聖書と共に

私の目を明らかにして下さい

今日は榎本保郎先生の「旧約聖書1日1章」
の、詩編13編3節からです。

 福音書には、よく盲人の目が開かれた事が
出てくるが、これは肉体の目が開かれたと
いう奇跡であると共に、その人の魂の目が
開かれたという事でもある。

ここで、あの有名なラザロの生き返った記事
を読んでみたい。それは、マリヤが中心の
記事になっている。生き返されたラザロは
その兄弟と書かれていて、主人公になっては
いない。
聖書が一番問題にしているのは死人が生き返
ること、盲人が見える様になること、足なえ
が歩くことでなく、
神と私達の関係が回復されていく事だと主張
しているのである。

神と自分との関係が正されていく事。それが
私達にとって一番、大切な事である。
それは、神に対して目が開かれ、人生が全く
180度、転回してしまうことなのである。

物乞いしていた盲人が主イエスに従っていく
人間に変えられたように、私達も神に対して
目が開かれる時に、それまでの物質だけに
頼っていた者から、永遠とか、真理とか、
滅びないところのものに、従う人生に変えら
れる。

パウロがアナニアから洗礼を受けた時、
うろこの様なものが、目から落ちたと書い
ある。(目からうろこが落ちる)

その時から彼の人生は180度転換して、
キリストの迫害者から、キリストの僕に
変えられた。

 **************
昔、テレビドラマの歌で
「真理、人生、ああ青春」という歌詞が
あった。それが、年齢と共に忘れ去られる。
もう一度、真理、人生を見直したい。

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