聖書と共に

誰に感謝する?

 「感謝する」ことは良い事です。
職場の人に、隣人に、友人に、家族に、親戚に、と感謝する事は多いですね。しかし、日本人の多くの感謝には父なる神様は入っていないのです。

聖書に
・常時喜悦……常に喜べ
・不断祈祷……絶えず祈れ
・万事感謝……凡ての事、感謝せよ

とあります。私達は誰に感謝するのでしょう。

まず、私達の父なる神様に感謝します。
「父なる神様は、その一人子を私達の罪のために、遣わし十字架で私の罪のあがないをして下さいました。それにより永遠の命を下さいました」
ですから父なる神様に感謝します。

「多く罪を赦された人は、多く愛します」

キリスト者は
・美しい花を見て、それを創造された神様に感謝 
  します。
・食事の時、お茶を飲む時、冷たい水を飲む時、
  これらを備えられた神様に感謝します。

「人に与えよ」
とのみことばがありますが、これは「私たちが神様から、どれほど与えて下さったかを知る事」が第一との意味であり、そうでなければ単なる人生訓に過ぎなくなります。

「いっぱい与えられた人が、いっぱい与える」のです。

病気の時も、神様が共におられる事を祈り知る事が大切です。その時に、感謝や讚美が生まれます。

私たち、日本人の多くが、その与え主を知りません。歌、歌謡曲でも人間関係のみです。
自分の子供が、他の人には感謝するのに、自分には全く感謝しない場合の親の気持ちはいかがでしょう。

「人は、皆、イエス・キリストの事を求めず、
 ただ、自分の事を求む。」 (ピリピ2-21)

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