聖書と共に

聖霊の注ぎ

今日も「キリストの御霊」(アンドリュ-マ-レ-著)か
ら抜粋し、ご紹介します。

「五旬節の日になって、…皆が聖霊に満たされ
、御霊が話させて下さる通りに…話し出した」
             (使徒2-1~4)
 神は人を、ご自身の様な者とするために、
ご自身のかたちに創造されました。
人は神が宿る宮となり、神がやすらう住まいと
なるべきでした。

 この事は、ナザレのイエスにおいて事実とな
りました。そして神は、全ての人を、この様な
者にしようと願っているのです。
 彼の死は、罪ののろいと力を取り去り、人々
が、その御霊を受け入れる事を可能にするもの
でした。

 イエス・キリストは人として、神との豊かな
交わりに入り、この聖霊を弟子たちに与える
権威を御父から受けました。いや、むしろ
彼ご自身が、この御霊によって来て、弟子達の
内に宿ったのでした。

 聖霊は、十字架につけられ、今、栄光を受け
たイエスの御霊として、新しい力を持って来た
のでした。御子のみわざと、御父の願いは、
ここに全く成就されました。人の心は、今や
真に神の家庭であるわけです。

 神の御子がベツレヘムにおいて、人となり
誕生された事、そのイエスが私達の保障として
罪ののろいと、死の中にも入った事。
そして、人間性において私達の長兄として、死
からよみがえって、永遠の命に入られた事。
又、イエスが父なる神の真の栄光の中に入った
事。
「見よ、神の幕屋が人と共にある。神は彼らと
共に住み…」というみ言葉が成就し始めたので
す。

神は罪深い人と共に住む為に、どんな犠牲を
払うことも、いとわなかったのでした。

聖霊はキリストの御霊であり、彼ご自身の命の
御霊です。キリストが私達の為に獲得して下さ
ったものについて、証しするためです。
それゆえ、聖霊は、キリストをあかしする以外
の職分を持っていません。
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