聖書と共に

キリストのすばらしさが現される事

派遣会社から電話があり、以前、働いた現場で、再度いかがですか?との話しにOKし、7月1日から短期で働いています。今回は、私にとっては過酷で、クタクタで帰ると、ボルタレンを首筋、腰、足に塗って疲労回復を計り、救心を飲んで、
ユンケル飲んで、やっと耐えています。年かな?
   *******
今回も、「岩から出る蜜」より抜粋します。

信仰による義、神から与えられる義とは、キリストのあがないを信じる者に与えられる義であるが
、律法を守って自分の義を得ようとする態度については、警戒しなければならない。
自己義には以下の様な特色がある。
1、自己拡大
 自分を人々の賞賛の中心にしようとする。
2、自己主義
 自分の意見を押し通そうとする。しかし、その          意見が聖書の教えにかなっている場合は別である
3、自己信頼
 自信過剰は全てを批判的に見るようになる。

福音に生きる者は、完全にこれらの事から守られているはずである。自己義の動作や計画がないかを、良く考えなければいけない。

パウロは次の様に告白している。
「しかし、私にとって得であった、この様なものをみな、私はキリストの故に、損と思う様になりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っている事の、すばらしさの故に、
一切の事を損と思っています。

私は、キリストのために、全てのものを捨てて、それを、ちりあくたと思っています。それは、
私には、キリストを得、又、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、
キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基ずいて、神から与えられる義を持つ事ができる、と言う望みがあるからです。」

地上的な誇り、優越さを捨てていないと、必ず、自己拡大、自己信頼が出てくる。
自分の行った業、霊的経験に対してのプライドは
神から受ける義に対する否認である。
全ての栄光を主に帰する事を学び修得するように
しようではないか。(ピリピ1-20)

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る