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熊本から気ままに山と自転車のブログ

城塚千体仏

城塚千体佛
2021/3/10(水) 晴

今日の最高気温21°出発は11時、気温16°、目的地を網津川眼鏡橋群としてポタリングに出る。

国道501→平木橋→農免道路へは、いつものルート。国道57へ出て右折し、尾根筋を見て左折した。が、間違って城塚千体仏の小池(写真1参照)に着いた。


前回も意図して来た訳ではなく、尾根筋から下ったらこの地だった。
今日の偶然も、千体仏(写真2・3参照)のお導きか。
風化し易い溶結凝灰岩に刻んだ千体仏像を保護するために、新しく上屋が設置されていた。


千体佛の伝説(写真4参照)
「城塚に千体佛とて巌角に佛像千体を彫刻す。今を去る一千百年前弘法大師西遊の際錫を當池に留め将に去らんとする時一夜の中に之を刻みたりと。然るに九百九十九體を刻みし時東天白みしを以て人に見られん事を恐れ當村飯塚の山中に一体を刻みて去れりとぞ。今尚ほ當山中に此の一体を見る村人は此の霊地の湮滅せんことを慮(おもんばか)り大正二年十月記念碑を建てたり。
「宇土郡誌」(大正十(1921)年刊行)より平成二七(2015)年三月 宇土市城塚町・宇土市教育委員会」とある。


城塚を後にして、馬門大歳神社に移動する。


城塚千体仏
2016/1/2(土) 曇

正午前から本年初ポタリングに出る。
宇土市、宇城市の未探訪の古墳所在地をweb検索し、首尾よくいけばウトイチ(宇土半島一周)も念頭に出かける。
つつじヶ丘自然公園椿原古墳の丘陵を下ると、集落の中の湧水池(写真12参照)があった。
「城塚」という地域名のようだ。
茅野輪潜りのときのような石の輪(写真1参照)がある。
勉強不足でこの意味が分からない。茅の輪の永久物か?中国風寺院の円門か?


そこには、磨崖の千体仏(写真2・3参照)が御座った。


解説板(写真4参照)では、室町時代後期の作と言う。
ここの崖の上に社があるが、鳥居もなければ祭神名もない。
ここに塚があったとすれば、塚城と言う字名も頷ける。
千体仏の場所:(マップファン地図)


「ウトイチ」は後日のこととし、住吉神社の小島を一周する。
半島になったのは江戸時代。小島と宇土半島を堤防で結び、東側を干拓地とした。
風流(たはれ)島を見る(写真5参照)、遠景は金峰山。
ここ住吉神社と風流島と金峰山が直線で並ぶ。
航路標識としては、格好の目印になったことと思う。


住吉神社を後にして、田圃の中の道を東に走り、次郎兵衛橋(写真19参照)で浜戸川を渡って帰途に就く。


新年ということもあり、気分も新たに聖地を巡礼したような気分になった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)23km→潤野古墳32km→熊本(自宅)
所要時間5.5時間(実4時間) 総計55km 走行累計114,474km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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