2022/5/8(日) 晴
今日の最高気温予報は28°と夏日予報だが、晴天で風は心地よいので、午前10時から図書館経由でポタリング出る。
目的地は、先ずは徳富記念園のカタルパの花を見て、咲いているようであればその他のカタルパの樹を巡回する予定。咲いていないときには合志三十三観音霊場2番札所仏供石(伏石)観音堂巡礼とする。結果は、仏供石(伏石)観音堂巡りとなった。
明午橋を渡り、産業道路を横断し徳富記念館に着く。
カタルパの花は樹上先端部(写真1参照)に少し開いているが、未だ少し早かったようで、予定を仏供石(伏石)観音堂巡りに変更する。
図書館に寄り本を借り換えると、小碩橋を渡り一路菊池市旭志方面へ向かう。
国道325を横断し菊池グリーンロードを東進する。桜ヶ水川、狐塚川を越えた所から右折して、標高差250mの4km弱の坂を上る。
覚悟はしてきたが、ほぼ歩きになった。途中、路肩に繁っているエゴノキの白い花(写真2参照)が疲れを癒してくれる。
目的の観音堂は、スーパー林道菊池・人吉線の交差点手前の左側の階段(写真3参照)を下る。
観音堂(写真4参照)は、階段を下って右側の桧林の中に鎮座する。
御仏像は、石造で二体安置されている。中央の御本尊は聖観音様か十一面観音様に見えた。右側の小さな石仏は、顔が三面あるので馬頭観音像と思うが、何れも確信はない。
説明板(写真5参照)には、「「伏石観音堂」(通称伏石馬頭観音)由来。
鞍岳観音堂(脇侍毘沙門天)は、大道元年(八〇六)円通大師、阿蘇大明神のお告げにより坂上田村磨がこの地方の開運平癒を祈願して建立したと伝えられる。<肥後国誌>
天正十三年(一五八五)小原の領主稗田弾正が眼病を治そうと七日間こもり祈願し平癒したという。
昔、平村に清女という尼さんがいて、この観音さんを厚く信仰し参詣していたが、令(よわい)七十を過ぎて険しい参道を登れなくなり、庵に籠り托鉢を乞いながらこの巨石に立ち供仏し乍ら遥拝したという。不思議なことにこの尼さん、何時も一つ歯の木履をはいていたので、巨石の上の窪みは、杖とその歯の跡と伝えられる。<合志川芥>
この観音堂は宝暦の頃野火にて延焼したため、高柳村より伊東半七という石工に頼み、奉建した毘沙門天を祀る。<菊池風土記>
病気平癒、牛馬守護佛として広く信仰されている。(数回改築される)・・・」とある。
御堂前に、菊池市指定天然記念物の「仏供石のたぶの木」(写真6参照)がある。
説明板(写真7参照)には、「仏供石という名は、この木のすぐ脇にある仏供石観音に由来しています。昔、鞍岳の頂上にある鞍岳観音へ毎日通い参拝する清女という尼が平村にあって、この尼が歳をとって山上へ通うことができなくなったときに、住んでる草庵の脇にあった巨石に供え物をし、鞍岳観音に向かって遥拝したそうです。
たぶの木は、遥拝するときに鞍岳観音に見立てるために尼が植えたものであると伝えられ、供え物を置いた巨石が仏供石と呼ばれるようになり、この木は仏供石のたぶの木と呼ばれるようになったそうです。
たぶの木は、低地に育つことが多く、標高四百二十mになるこのような高所で樹勢盛んになることは珍しいそうです。幹回りは四.六m、樹高は十七mになります。・・・」とある。
今日の仏供石観音堂巡礼で、合志三十三観音霊場巡礼を自転車で走破した。1番札所鞍岳観音堂巡礼は登山のときで、自転車で行ける場所でないのでご容赦いただきたいと思う。残るは山鹿と菊池である。現在時刻14時半、帰途に就く。
17時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)37km→伏石馬頭観音堂32km →熊本(自宅)
所要時間7時間(実6時間) 総計69km 走行累計48,234km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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