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熊本から気ままに山と自転車のブログ

山鹿三十三観音霊場8・9・10・11・14・15番札所観音堂

山鹿三十三観音霊場8・9・10・11・14・15札所観音堂
2022/5/29(日) 晴/曇
今日の最高気温予報は29°気温は高目だが、今日も暑さ覚悟で午前10時出発のポタリングに出る。
目的地を山鹿三十三観音霊場8番札所東向寺、9番札所円通寺、10番札所千福寺、11番札所安養寺、14番札所志徳寺、15番周保法観音堂とする。途中、城村城跡も見物する。

いつものように熊鹿ロードを北へ走り、宮原から国道3に出て北に走る。菊池川・吉田川合流点の休憩所で昼食とする。その後国道443を横断し、山鹿市立博物館の前を通り県道195に出るルートを選択した。今日の観音堂巡礼は、8・9・10・14番札所とも探訪に難渋した。先ず8番札所東向寺(写真1・2参照)は、本道から右に路地を進み納屋の裏を山裾に入り巡礼する。


次に訪れる9番札所円通寺は、地元の人にお世話になり、現地まで案内していただいた。有難うございました。入り口に城村城跡三の丸の標識があり、墓地南側の段下の御堂(写真3・4参照)に鎮座する。


円通寺を後にして、地元の人に案内頂いた円通寺に案内の道すがら、城村城跡も推薦いただいたので立ち寄る。
城村城跡から北に走り10番札所千福寺に移動するのだが、最初の道は溜池に突き当り、方向を変えて次の道はY字路が複数あり2・3度と引き返し、やっと千福寺(写真9参照)に辿り着く。


千福寺堂宇(写真10参照)の縁下には、薪が詰めてあり住職がいらっしゃるようである。


入口説明板(写真11参照)には、「千福寺は禅宗寺院の跡で山鹿郡三十三観音巡礼札所十番札所でもある。開基はわかっていないが、一説には京都南禅寺の末寺で聖武天皇の頃、神亀四年(727)八月十八日に建てられたという(「肥後国誌」)。境内奥にある火傷観音は一木造の仏像で平安期の可能性があり、当寺の歴史を偲ばせる。
当寺には、天慶の頃(10世紀前半)、信田小太郎(平将門の孫で中世の芸能「幸若舞」の作品、「信田」の主人公)の姉が小太郎の行方を尋ね、諸国をめぐってこの踊堂に来たという伝説が残る。その後寺は荒廃したが、寛永九年(1669年)、良及という僧が再興した(「肥後国誌」)。
堂内にある本尊は、千手観音立像で高さ170センチのヒノキ寄木造の仏像(山鹿市指定文化財)である。行基作という伝承や室町時代の作とも言われるが、姿形から江戸時代のものと考えられる。
毎年堂の原区の住民により灌仏会(花祭)が行われ、観音像もその時に公開される。」とある。


説明文中、「境内奥にある火傷観音」とは、この御堂(写真12参照)に安置されているのか。残念、拝観して来なかった。


千福寺を後にして、次に11番札所安養寺(写真13参照)を拝する。


安養寺を折り返し点にして帰途に就くが、次に14番札所志徳寺に移動する。国道3から左折して小路に入り、未舗装の路を詰めると墓石と御堂(写真14参照)が見える。


志徳寺(写真15参照)は、最奥に鎮座する。


志徳寺を拝して、15番札所周法寺(写真16参照)を拝する。こちらは田圃の中の集落の南西方向に鎮座する。現在時刻16時前に帰途に就く。


今日の周法寺観音堂巡礼で、山鹿三十三観音霊場巡礼を自転車で走破した。
今日は暑かった、600mlのペットボトル1本では足りなかった。18時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)43km→安養寺観音堂38km →熊本(自宅)
所要時間8.5時間(実7.5時間) 総計81km 走行累計48,817km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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