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熊本から気ままに山と自転車のブログ

富ノ尾古墳

北島墓地内の女性石人像(摸造)
2024/1/21(日)曇

最高気温16°早朝の気温8°今日も曇天ではあるが気温は暖かいので、午前14時からポタリングに出る。
目的地は、先日の富ノ尾古墳の石人があるという北島墓地内の女性石人像(摸造)を見て、先日の八竜宮続いて干支繋がりで小島下町の龍神社・住吉宮龍神社・大荒神宮とする。

崇城大学入口近くの北島墓地内の女性石人像(摸造)(写真1参照)を訪れる。
富ノ尾古墳説明板にある写真とは、全く違う石人である。説明板の「東京国立博物館」は一致しているのだが、「南西方向400mの墓地」が違っているのか。


中央下部に「久蔵」と彫んだ石碑(写真2参照)が石人の隣に建立されている。説明文に「名工松本喜三郎氏」とある。あの人形師の松本喜三郎氏と思うので写真に撮る。


石人像について、説明文(写真3参照)に、「往古継体天皇(五〇七年~五三一年)の頃より此の地に薬師堂あり、その境内に女石人建立しあり、古来北島住民はこの石人を薬師さんと敬称し祭礼し来たるも明治四十二年(1909年)我が国でも珍重なる女石人像として帝国博物館(現東京国立博物館)に寄贈し一般の供覧に付されている。ここにある石人像は其の後で摸作したものである。」とある。



富ノ尾古墳
2024/1/19(月)曇

今日は最高気温16°早朝の気温12°と暖かかったが降水確率40%の曇天に、午後14時半から富の尾古墳までウォーキングに出る。

崇城大学正門前の坂を上がり、池田公園の先を左に階段を上がると御堂(写真1・2参照)が鎮座する。御堂境内右奥には、「阿弥陀如来」の石像が鎮座する。


その北側に熊本市指定文化財の「富ノ尾古墳」(写真3・4参照)がある。以前訪れた時は竹藪だったが、有難いことに奇麗に除去されている。


説明板(写真5・6参照)には、「富ノ尾古墳は直径15m程の円墳で、石室内部に円文と三角文を施した装飾古墳とも言われています。
古墳時代中期頃の5世紀に造られたと考えられます。大正年間の調査では3基の古墳が確認されていますが、現在残るのはこの1基のみです。
古墳内部に遺体を葬る横穴式石室があり、奥の部屋玄室、通路を羨道と呼びます。石室は安山岩の薄い石材を精緻に積み上げ、内部にせり出すことでドーム状の部屋に仕上げています。玄室は1辺3m正方形、周囲に石障と呼ぶ板石を巡らせ、内部は板石で仕切り複数の埋葬を可能にしています。これらの特徴は熊本県内の古墳に多く、肥後型の横穴式石室と呼ばれています。石室の壁は一部赤色で塗られていますが、以前に認められた円文と三角文は現在確認できません。また、調査により玄室より水晶製の勾玉やガラス製の小玉が発見されています。
かつて富ノ尾古墳から南西方向に約400mの墓地には石人(人の形をした石像)がありました。現在は東京国立博物館に所蔵されていますが、本来3基の古墳近くにあった可能性もあります。
敷地は、平成10年10月30日に東洋興業株式会社代表取締役田上龍雄氏から熊本市に寄贈され、熊本市が管理しています。」とある。
写真の石人像は、胸が大きいので女性か?それとも胸筋が発達した例えば力士のような男性を表現したものか。「南西方向に約400mの墓地」に摸造の石人があるようなので、いずれ行って見たいと思う。ここを折り返し点として帰途に就く。


今日も無事だったことを天に感謝する。
総所要時間2.5(実2)時間(ウォーキングの記事は1万歩以上)


富ノ尾古墳
2015/12/7(月) 晴

下山して帰路に就くが、国道3を帰り富ノ尾古墳(写真9参照)に寄ることにする。
桜が丘病院の西側ということは分かっているが、幾度となく足を運ぶが所在が分からなかった。
病院職員と思われる方に、お訊ねしてみた。
あった!富ノ尾古墳(写真1参照)は、民家と駐車場の間の狭い道を南側に少し下った所にあった。
フェンスと笹薮の隙間からビニールシートが見えるのみ。この写真は、少し行儀悪いがフェンスによじ登り電柱に片足を掛けて撮ったもの。


古墳は、フェンスと笹薮に囲わていて、この解説板(写真2参照)がなければ容易には分からない。
解説板にあるように、2・3号墳は消滅している。これまで私は、この2・3号墳があった辺りを探していた。


この古墳は装飾古墳(写真3参照)とある。
崩落によりビニールシートをかけて保護はしてあるが、永久にこのままでという訳にもいかないだろう。
何とか予算を付けて後世代に残せる形を確保できないものだろうかと思う。


古墳の前にりっぱな御堂(写真4参照)がある。
植木町の慈恩寺経塚古墳にも御堂がある。


御堂横には、不動菩薩?の石碑があり、不動明王像や石仏、灯篭がある(写真5参照)。
2・3号墳だった北側には、墓地がある。
この古墳をご先祖とする方々が、崇敬の念をもって維持されてきたであろうと推測できる。
富ノ尾古墳の場所:(マップファン地図)


坂を下り、崇城大学正門前をとおり帰宅を急ぐ。

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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