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熊本から気ままに山と自転車のブログ

塚原古墳公園①~石之室古墳・花見塚古墳・琵琶塚古墳等

塚原古墳群
2023/11/15(水)晴

最高気温予報18°晴天の秋日和、出発時の気温13°とひんやりと寒い。ウィンドブレーカーを羽織って午前10時からポタリングに出る。
目的地は、熊本市南区城南町の国指定天然記念物「下田のイチョウ」、国指定史跡「塚原古墳群」、宇城市指定史跡「当尾の穴井手」とする。

下田のイチョウを後にして、塚原古墳公園に移動する。修学旅行の小学生が見えていた。邪魔にならないように少し離れた南側の琵琶塚古墳(写真2参照)見る。


琵琶塚墳頂に上がると前方部(写真3参照)が見える。初期の前方後円墳か、前方部は高くない。


琵琶塚墳頂から西側(写真4参照)を見る。多くの円墳の向うに、三段築造の「花見塚古墳」が見える。墳頂には、「琵琶塚古墳。大正6年。下益城郡豊田村」の銘がある石柱が設置されている。


花見塚古墳(写真5・6参照)を南側、北側から見る。


説明板には(写真7・8参照)に「現在墳丘長31.7m、総延長62.2m、墳丘長46.2m、後円部径24.6m、前方部幅24.3m、前方部長21.6m
花見塚古墳は、日本最大の前方後円墳である大山古墳(仁徳天皇陵)の約1/100の大きさにすぎませんが、塚原古墳群では、琵琶塚古墳と並ぶ最大の前方後円墳です。古墳の中では、最も遅く6世紀の終わりごろ築かれ、出土する土器から7世紀の初め頃まで利用されたことがうかがえます。
この古墳は、二重の周濠(溝)や周濠を共有する円墳を伴っており、地方の地方の小規模前方後円墳としては、きわめてめずらしい特徴をもっています。
内部には家形石棺が納められていたと思われますが、大正4年に心ない人達によって壊されてしまいました。その時、鉄剣・やじり・よろい・耳環・玉類など出土したと言われます。」「花見塚古墳の築造
前方後円墳を築くためには、いろいろな制約がありました。だれでもどこでも築けるというものではなく、身分によって大きさが制限され地形や周囲の状況にも影響されたと思われます。
花見塚古墳も、これらの条件にかなった設計図が描かれ、築造工事には、のべ1万人ほどたずさわったことが推定されます。」とある。


石之室古墳(写真9参照)は、公園の南西方向に鎮座する。


塚原古墳公園を後にして、宇城市の「当尾の穴井手」に移動する。


塚原古墳公園
2018/8/25(土) 晴

今日の天候は、午後から降水確率30%予報に曇り空を期待してポタリングに出る。
目的地は、南区城南町塚原古墳公園石之室古墳とする。
釈迦堂橋で緑川を越えて、城南町の田園の中を東へ走る。
浜戸川を渡ってから左折のところを、浜戸川手前で道を曲がってしまった。
事はついでだから沈目の大地を東に走り、熊本県文化財資料センターが一般公開をやっていないか寄ってみたが、休日なのか門が閉まっていた。やはり一般公開はないらしい。

一旦浜戸川の谷間に下り、南側の丘陵にある塚原歴史資料館(写真1参照)に寄る。


古墳巡りを始めて4年目になる。少しは知識が増えたか?資料から感じるところが少し違って見える。
岩之室古墳の現物は見られないだろうから、展示写真(写真2参照)を撮影する。


和田晴吾氏の「古墳時代の葬制と他界観」によると、岩之室古墳は組合せ妻入り横口式家形石棺で、開かれた棺に属し広川町の石人山古墳、和水町の江田船山古墳と同類という。
概略すると、
開かれた棺:中国北朝→高句麗→新羅→北部九州(横穴石室―仕切石・石障・石屋形・石枕)
開閉ざされた棺:中国南朝→百済→畿内(釘付き式木棺・刳り抜き形や組合せ形石棺・閉塞形横穴石室)
上記のとおりであれば、北部九州の磐井が新羅と交流を行っていたということも理解できる。
井寺古墳は石障形であり装飾古墳時代になっており刳り抜き型石棺は必要としない時代の築造であり、「馬門石使用に大王の許可」云々の論は成立しないことになると思う。

資料館を後にして、熊本地震被災のくぬぎ塚古墳、三段塚古墳を観て、最後に石之室古墳(写真8参照)を見る。
どこかに「内部視察可能」とあったように思うが石室の扉は鍵がかかっていた。
資料館にお願いすれば・・・とのことかとも思ったが、帰途に就く。


帰路に阿高・黒橋貝塚(写真9参照)の傍を通るが、今日は寄らない。


降水確率30%予報に曇り空を期待していたが、白い雲は浮かぶもののカンカン照りの晴天になった。
暑い帰路になった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→石之室古墳22km→熊本(自宅)所要時間6時間(実4時間) 総計49km 走行累計25,569km


塚原古墳公園(南側)ー石之室古墳・花見塚古・墳琵琶塚古墳
2016/2/10(水) 晴

今日も天候は、晴れ。12時半出発。
今日は南方向、塚原古墳公園まで走る。
公園へは国道266を南下するが早いが、祗園橋をとおり白川右岸堤防を南下する。野越団地から東方向へ走り、田圃の中を富合町方向へ南下る。
途中から東進し、城南町市街地をとおり国道266を南下し、東阿高から塚原古墳公園に入る。
塚原古墳公園の個々の古墳をじっくり見ると、その存在感に圧倒される。
古墳公園のある台地に上って直ぐ、左手に案内盤(写真1参照)がある。
案内盤の向こうに見えるのは、円墳群と花見塚古墳。


最南にあるのは、石之室古墳(写真2参照)。


その北側にあるのが花見塚古墳
まずは、周溝を共有する円墳方向から見る(写真3参照)周溝の外に周堤を持つ。


前方部から後円部を見る(写真4参照)


後円部から前方部を見る(写真5参照)


花見塚古墳解説盤(写真6参照)


調査時の写真(写真7・8参照)


縮小版の復元模型(写真9参照)


円墳群(写真10参照)。


円墳の埋葬施設の箱式石棺レプリカ(写真11参照)。
花見塚古墳の西側にある。


その解説盤(写真13参照)。


公園内二つ目の前方後円墳、琵琶塚古墳を前方部から見る(写真14参照)。


琵琶塚古墳を後円部から見る(写真15参照)。


ここまでが公園南側半分か。


塚原古墳公園
2014/10/3(金) 晴

久しぶりの晴天の下の自転車走行。
南を目指し10時出発。
釈迦堂橋を渡り、塚原歴史民俗資料館を目的地としようと雁回山を正面に見て走る。
木原不動尊参道入り口交差点を左折し、国道266に出て右折する。
坂を上り城南町阿高辺りで、標識をみて左折すれば塚原古墳に至るはずだが・・・行き過ぎた。
ならば、次の目的地を熊本県文化財松橋収蔵庫とする。
12時前到着。
館内見学ゾーンを一周して早々に退館し、道の駅「宇城彩館」で昼食を取り、塚原古墳公園に向け出発する。
今度は、しっかりと標識を確認し、国道266から右折し塚原古墳に到着する。(写真1参照)


説明盤(写真2参照)を見て、「資料館」に立ち寄り館内見学ゾーンを一周する。
前回のポタリングで見つけるこができなかった「陣内廃寺跡」の位置をお聞きして早々に退館する。



続き
塚原古墳公園②~丸山2号墳・三段塚古墳・くぬぎ塚古墳・りゅうがん塚古墳等北側

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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