鍼灸師「おおしたさん」のブログです

東京都港区南青山で開業20年 / 6月から広島に帰る予定です

総理と絆と

2020年12月20日 | 考えていることとか思っていることとか
以前勤務していた治療院から引き継いだ、かれこれ20年以上治療をさせていただいている患者さんの話です。

12年前にあることがきっかけでうつを発症、ちょうどゴールデンウィークが不安のピーク、できれば連休も治療してもらえないかと、お休みの日も毎日治療をさせてもらいました。

当時は私自身浅学で、うつ治療のなんたるかも知らず治療をさせてもらっておりました。
治療したら楽になるのでそれだけで有り難いとの事、ですから治すとかそんなおこがましい事は考えず治療させてもらいました。

その方自身の治療の変遷からは本当に多くを学ばせていただきました。特にご本人がこまめに取った記録はとても参考になりました。

その記録についてですが、縦軸はご自身の使ったお薬の名前とその量を、横軸は1ヶ月毎のメモリとその月に起きた出来事と不安についてを書いたものでした。

その表では、1回目の発症よりも2回目の方がお薬の量もその期間も短く、2回目よりも3回目の方が発症期間もお薬の量も少ない事が一目で見て取れます。

前より悪くなる事がないと実感を持つ事ができるこのグラフ、同じ症状の方の気持ちが楽になるかと思い、今も見てもらうことが多々あります。

もちろん十数年経っても完治に至っておりません。ただ社長業という忙しい中、症状と上手に向き合う事はできておられますし、今はそのような症状が出てもご自身に日々の生活への向き合いと当院の治療とで対処されておられます。


表題の話はここから、先日この方が秋田に旅行を旅行された時の話です。
利用した観光タクシーの初老のドライバーさんに「少し行けば菅首相の実家があるので寄ってみますか?」と言われ、せっかくなので案内してもらったとのことでした。

その道すがら、このドライバーさんが「私は首相より少し若いのですが、それでも長男が家から離れるということはできませんでした。ましてや少し上の世代の首相が上京できるだなんて、考えられないことです。」という話をされたとのこと。それを治療中してくれました。

その話を聞いて私は「絆」という言葉を思い出していました。

絆という言葉は本来「断つ」事のできない人間関係といった意味だったと記憶しています。ですからマイナスイメージがあったのですが、東北の震災以来、復興のポジティブなスローガンになりました。

改めて「絆」を辞書で調べてみたら、こんな意味が載っていました。

①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。
②断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係塁。繋縛。
広辞苑より

断つことのできない人間関係、家に縛られる、といった負のイメージもわかるかと思います。

菅総理の時代、家族の絆を断つのはそれ相応の覚悟が必要だったと思いますが、上京できたのはどういうことなんだろう?と、絆という言葉を聞いて少し思った次第です。


言葉はどの俎上に上るかによって、正反対の意味にもなります。

絆一つとっても、私が思う絆と他人がイメージする絆は違います。なので文脈で語られた言葉の意味、相手がどの文脈でそれを語っているのか、意識する必要が多分にあるかと思います。

発信者の切り取り方とその意図により如何様にも操作できるので、ソースを見るよう心掛けているつもりです。つもりではありますが、感情に流される事も多々あります。

何日か前のネットニュースで知った親子の餓死、このセンセーショナルな記事に、行政や近隣の住民は何をしていたのか、そんな気持ちがふつふつと湧いてしまいました。
でもその経緯はわかりません。行政からの援助を自らの意思で絶っていたのかもしれませんし、村八分のようなことがあったのかもしれません。本来受けるべき援助を行政の手違いで放置されていた場合も考えられますし、本当のことは当事者でないとよくわからない、というのが実情だと思います。

であるにもであるにもかかわらず、自分の感情で文脈を読み取ろうとしてしまう。そんな癖は私だけでないと思います。

心理学者アドラー はこのことを認知論で次のように語っています。

われわれは、われわれが与えた意味づけを通してのみ現実を体験する。

発言や言葉は自分が意味づけして語るのは当たり前のこと。
その方の色眼鏡を通して文脈は構成されるので、鵜呑みにしないよう気をつけないといけません。

そんなこんなを書きながら思い出したのがオウム真理教のこと。
私はその前身であるオウム神仙の会の活動に関心を持っていたこともあり、オウム真理教と名前を改め大きくなっていくこの教団を、興味を持って眺めていました。

実際、中沢新一やビートたけしが教団を擁護する発言をしていましたし、ダライラマまでも宣伝に利用していたので、当時如何わしい団体だとは露ほども思っていませんでした。

有識者の色眼鏡で見た光景を勝手に信頼していた私が悪いのですが、そういう経験を多くしてきて、その筋の有識者が持ち上げてたとしても、一歩引いて眺めてしまう自分がいます。

おはずかしながらこれまで占いや宗教にはまりかけた事がある身でもあります。

今まではなんとか道を外さずにやれてきたように思いますが、毎日危うき道を歩んでいるのだと、過去を振り返る度に考えてしまいます。

これから道を外れない自信は微塵もありませんが、自分の語りも自分自身の認知の中で語っているわけですし、相手も相手の認知論の中語っている、そこは意識しつつ人と相対してやっていきたいと思っています。

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