ある日の気づき

ABC予想は確かに証明されていると信じられる理由

目次/節へのリンク:
はじめに
1. 「数学」という学問の性質から、より「ありそうな事態」は何か考える
2. 「司法判断」や「ディベートの勝敗決定」などの基準を議論に当てはめる
3. にも関わらず、なぜネットで「IUT への懐疑論」が消えないのか
2022-08-16 追記: 関連文書の現状への対応
2023-01-02 追記: Wikipedia 記述の非中立性
更新履歴+関連記事

はじめに^

# 「ABC予想」の証明理論、欠陥見つけたら賞金100万ドル…ドワンゴ創業者の私費で
#  ↑2023/07/07 付の読売新聞記事:「ショルツェらの言説は欠陥を見つけた事になっていない」
# (∵ショルツェらはIUT理論に関する主張を何一つ証明していない)事実を踏まえた挑戦 :-)
# ↓なお、「IUT理論を発展させる研究」に対しても賞金が設定されている。:ー)
# 数学「ABC予想」新たな証明理論の研究発展させる論文に賞創設
ABC予想の証明について「議論がある」という話は、宇宙際タイヒミュラー理論(IUT)論文中の
たった1つの命題 (系3.12) の真偽についてのもの。
「宇宙際タイヒミュラー理論」はIUTTと略すべきかも知れないが、見慣れない略語を使うのも
煩わしいので、以下では引用箇所を除き、IUT と書いてしまうことにする。あと、文中敬称略。
宇宙際タイヒミュラー理論 - Wikipedia
での状況の記述と、私にも理解できる範囲の英語の文献から「問題の命題の真偽の数学的考察」
ではなく「議論の様相から見て、どちらの主張が正しいと判断すべきかという観点で考えたこと」を
以下に書く。
# ↑WikiPedia 記事の現在の版は以下の議論での引用箇所を含まなくなっているので、引用の
# 確認などは、 Web Archive に 2022年4月10日に保存された版を参照。(2022-12-21)
# 2023-01-02: Wikipedia の版を見比べると記事の「中立性」は悪くなっている印象を受ける。
# 2023-02-26: 以下、文末/節末の *R1*, *R2*, *R3*, *R4*上記別記事での再論を示す。

1. 「数学」という学問の性質から、より「ありそうな事態」は何か考える^

「2020年11月、ヴォイチェフ・ポロウスキ、南出新、星裕一郎、イヴァン・フェセンコ、望月新一らにより、
IUT 理論に登場する不等式を数値的に明示的な形(非明示的な「定数」が現れない)に精密化させた
帰結により、強いABC予想の証明への適用を拡げる論文がプレプリントで提案された。」
2022-04-18 補足:現在、この論文は既に査読を通っている(2022-08-21 追記: 2022年6月に出版)。

これから、IUT は、望月新一以外にも「共著論文が出せる」程度に習熟している研究者が複数存在
している理論と分かる。かれらこそは現時点での IUT の專門家であり、反対者のショルツェらは
IUT については門外漢である。
数学の難しさは「高度に抽象的な概念を厳密に論理的に使う」ことにあり、「高度に抽象的な概念」は
「具体性が感じられて来るまで使い込む」事なしには、正確な使用が難しい。よって、「複数の専門家が
見逃している論理的な欠陥に門外漢が気づく」事より、「専門家には「当たり前」になっている命題が
門外漢には納得できない」方が、もっともらしい。

2020年11月の論文の著者達は、何年もの間IUT の諸概念を使い込んで議論を積み重ねた事になる。
その彼らの誰一人として疑問を持たない命題の証明過程に欠陥があるという事態より、IUT の概念に
十分なじんでいない門外漢の勘違いの方が、ずっと起こりやすい。

望月新一自身のコメント1: https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/202001050000/
「2020.01.05
未だにときどき、ネット等で、「理論の正しさはまだ確認されていない」といったような主旨の主張を
目にすることがありますが、多数の研究者による、この7年半に及ぶ膨大な時間や労力による壮大な
規模の検証活動の中身や重みを鑑みるに、これは甚だしい事実誤認としか言いようがありません。」
# ↑e,g. 2013年12月時点2017年7月時点 (リンク先 p.25 l.7-l.11) での検証状況報告参照。
2022-08-21 追記:
望月新一自身のコメント2:https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/202201010001/
「2022.01.01
... 2020年1月のブログ記事や[EssLgc]の§1でも指摘していることですが、理論について誤解
されている内容は、適切な論理的な姿勢で向き合えば、(日本でいうと)修士課程レベルの、
それほど難しくない数学的内容であり、時間の圧迫を感じることなく、半年~一年程度の期間に
わたって議論を行なう機会さえあれば、理解することはそれほど困難なことではありません。
... 実際、2021年の、当方にとって特筆すべき出来事の一つは、まさに
長らく宇宙際タイヒミューラー理論について誤解に基く内容の主張を展開していた欧米の数学者の
一人を相手に、[EssLgc]の§3の内容を辛抱強く解説することによって、漸く相手に自分の主張が
全くの誤解であったことを明示的に認めていただいたことです。」(強調は本ブログ筆者)

近代の数学史で、「それまでより一段高い抽象度の概念」を駆使する理論が登場した直後には、
その時代で1,2を争うレベルの数学者(の一部)からすらも、必ずしも理解されていない。
例えば、ガロアの群論、カントールの集合論などがそうだ。「フィールズ賞をとった」と言っても、
ショルツェは「この時代で1,2を争うレベルの数学者」とまでは言えない。

そして、IUT は、間違いなく「これまでより一段高い抽象度の概念」を駆使する理論で、優秀な
数学者でも「十分時間を割いて IUT の諸概念になじむ」過程を経ていないなら、理解し損ねて
いても不思議はない。
ちなみに理論名の「宇宙際(Inter-Universal) 」という部分が「これまでより一段高い抽象度の
概念」を駆使する理論であることを、端的に示している。
ここで宇宙 ( Universe ) というのは、集合論や数学基礎論由来の言葉で、特定の状況において
考察される実体のすべてを元として含むような類を指す。(出典:宇宙 (数学) - Wikipedia

なお、類 (class)とは、集合 (set) の上位概念。ちなみに、ラッセルのパラドックスなどの有名な
「集合論の矛盾」を回避するため、類に一定の制限をつけたものだけを「集合」と呼ぶことにする
のが、公理的集合論。*R1*

従来の数学理論は、数学基礎論の立場からは、全て「一つの宇宙の中で展開されている」もの
だが、IUT は「複数の異なる宇宙に属する実体間を関係付けた」とも見なせるあたりが、
「これまでより一段高い抽象度の概念を駆使している」と考えられるゆえん。理論のこうした側面の
説明としては下記が分かりやすい。
https://lushiluna.com/abc-conjecture/

なお、IUT における「宇宙」の意味合いは、より厳密には、下記文献の Q1-Q4 への回答
(A1-A4)のように表現すべきことのようだ。
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Uchuusai%20ni%20tsuite%20no%20FAQ.pdf

2. 「司法判断」や「ディベートの勝敗決定」などの基準を議論に当てはめる^

「2018年3月、ペーター・ショルツェとジェイコブ・スティックスが京都大学を訪れ、望月と
星裕一郎は彼らと5日間議論し、双方による議論のレポートの作成につながった。
またこの議論は2018年9月のQuanta Magazineに記載された。
ショルツェとスティックスは、2018年5月、および2018年9月に10ページのレポートを公開して、
系3.12の証明の反例を詳述し、「小さな修正で証明戦略を救うことはできない、そして望月の
プレプリントはABC予想の証明を主張することはできない」と主張した。
一方、望月は、反例においてIUT理論にいくつかの簡略化がおこなわれており、それらの簡略化が
誤りであるとして有効とはみなしてない。
# 2023-01-02: イヴァン・フェセンコのショルツェとスティックスのレポートへの評価
# [FskDsm]: https://ivanfesenko.org/wp-content/uploads/2021/10/rapg.pdf
# p.5: l.11-l.14: a hugely incorrect version of IUT, based on a gross erroneous
# oversimplification of IUT. The report included not statements of theorems
# and no proofs. The report claimed, without proof, that their naive
# version of IUT, which is obviously meaningless, coincided with IUT.
# l.14: The report demonstrated total lack of grasp of basics of IUT.
# l.14-l.15: That caricature version of IUT made a mistake of identifying
# non-freestanding isomorphic subobjects of the log-theta lattice.
# l.16-l.18: Unusually for serious math texts, that report includes such
# phrases as ‘we are certain that even with all subtleties restored,
# the issue we are pointing out will prevail’, ‘it seems to us’.
# l.18-l.19: That report essentially denies the use of anabelian geometry
# and infinitely many theatres in IUT. (他の引用箇所: %0%1%2%3%4%5) 。
2018年9月、望月は上記のショルツェとスティックスのレポートが公開された後に、彼の理論の
どの側面が誤解されていると考えるかのレポートを公開して反論した。
# ↑後述するより詳しい経緯(%%)も参照。
また2021年3月、このような誤りは「理論の論理構造が論理的なAND “∧”であるが、OR “∨”に
取り違えた簡略化によるもの」との論文を公開した。
... 内容に懐疑的な海外の数学者もいるが玉川安騎男は「反論は出尽くしており、今後も平行線の
ままではないか」の見方で、編集委員会では「望月教授自身が反論もしており(ショルツェ教授
からの)再反論もない」との認識を表明した。」

上記箇所の記述は、非常に注意深く中立性を保とうとする意図で、抑制的に書かれているが、
言及されている文献の中を見ると、ショルツェらは「議論のルール」を破っている上、望月の
2021年3月の論文に整理されている論点に反論できなかった事が分かる。

まず、「議論の結果は双方の共同執筆によるレポートとして公表する」旨が事前に合意されて
いたにも関わらず、議論後にショルツェ側が約束を破ったため、別々にレポートが発表される
という事態になったという経緯が望月側から報告されている。この点についてショルツェ側の
反論はない。

さらに言えば、そもそも、望月が提出した理論について議論する以上、議論の前提となる用語や
概念については、望月が述べている事を受け入れて始めない限り「話にならない」のは明らか。
ところが、ショルツェらは、「同一視はできても本来的起源が違う対象」を区別して議論を
始めるという形の諸前提を受け入れることを拒否し続けた。つまり、IUT そのものではなく、
彼らがIUT だと勝手に思い込んでいる内容を前提にする事に固執したと、望月側から報告
されている。
# 2023-01-02: 下記望月のレポート p.5-p.6
# [Rpt2018]: https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Rpt2018.pdf ←→
# 略語は文書の最初に定義されている。IUTch: Inter-Universal Teichmüller
# HM: Hoshi and Mochizuki、SS: Scholze and Stix
# ...
# (T5) opposition by SS to the use of labels in IUTch to distinguish distinct
# copies of various familiar objects
# (T5-1) as a matter of taste,
# (T5-2) on the grounds that the use of such labels seemed to SS to be
# logically unnecessary or “meaningless”;
# (T6) refusal, on the part of SS, to consider various key ideas and
# notions of IUTch such as distinct arithmetic holomorphic structures
# (i.e., in essence, distinct ring structures);
# ...
# (H2) The approach taken in IUTch to histories of operations: By contrast,
# the approach to treating such histories of operations that is taken
# DISCUSSIONS ON IUTCH (MARCH 15 - 20, 2018) 7 throughout IUTch involves
# the frequent use of re-initialization operations (i.e., “?”)
この点についてもショルツェ側の反論はなく、「共同執筆でのレポート発行をショルツェ側が
一方的に拒否した」原因の一つと思われる。

数学において、起源が違う複数の概念を同一視する事が特定の文脈で正しいなら、区別して
議論を始めた後で、同一視しても問題ないことを証明可能なはずだし、そうすべきでもある
はず。一方、区別して議論しない限り正しい推論ができない文脈で、区別せずに議論を始めた
場合、誤り回避が原理的に不可能になるのだから、ショルツェ側が「(同一視できる事が後で
分かるかもしれないが)区別して議論を始める事」に同意しなかった理由は不明である。
望月が2021年3月に公表した論文には、比較的初等的な数学理論での「ある文脈では同一視
できるが別の文脈では区別しないと議論が破綻する概念」の例をいくつも挙げている(上記の
経緯を意識したと見られる)箇所がある。

ところで、下記サイトが「IUT の内容に懐疑的な海外の数学者の言説を集めていることで有名」
という話が、ネット検索して見かけたどこかの掲示板にあったので、眺めに行った。
https://www.math.columbia.edu/~woit/

本記事執筆時点において、上記サイトで IUT に言及した最新記事は下記。
「Some Math Items
Posted on July 30, 2021 by woit
Some math items that may be of interest:
Zentralblatt Math has a review of Mochizuki’s IUT papers, by Peter Scholze.
Scholze explains the problem with the proof claimed in these papers. ....」
"Continue reading..." をクリックすると、
"a review of Mochizuki’s IUT papers, by Peter Scholze"という箇所から、
リンクが貼ってあった。

4ページしかないが、2021年の文書で、公表された IUT 懐疑論文書としては、おそらく最新と
思われる。ところが、内容はと言えば *「お話しにならない」*代物だった。

そもそも、ショルツェの「IUTへの懐疑論」は「自分には原論文の系3.12の証明がフォローできない」
という形で始まって、その後の主張も、この命題に集中している。
さて、(例えば Wikipedia にあるが)「数学において、ある主張(典型的には定理)の系(けい、
英: corollary)とは、その(既知の)主張から「直ちに」証明される主張をいう」事に(常識かも
知れないが念のため)注意しておこう。
「直ちに」という部分に主観性が入るのは当然なので、論文の著者あるいは IUT の概念に習熟した
査読者にとっては「直ちに」分かることでも、門外漢にとって「「直ちに」分かる」とは言えないことが
あるのは当然で、そこに疑問を述べる事自体には、別に問題はない。

問題は、上記のショルツェの2021年のレビューが、原論文がそうした疑問が出た場合を想定して
用意している(目次を見ると、改めて相当の分量の一節として起こしている)補足説明箇所に
全く言及していないことにある。
補足説明箇所は、より新しい版になるほど加筆されているが、やはりネット検索して見かけた
掲示板で、「かなり初期の版にも、それなりの分量で存在していた」というコメントも見かけた。
少なくとも京都で直接会って議論した頃の版には存在していたし、いまだに見落としている事は、
当然あり得ない。そう言えば、「ショルツェのIUTへの懐疑論」が初めてネットで話題になった頃、
「自分も証明をフォローできなかった」と書いている記事を見たことがあるが、思い出して見ると、
その記事も系3.12の補足説明箇所には言及していなかった。その時点で補足説明箇所はなかった
のか、あったのだが記事の著者が見落としていたのか定かでないが、それは、この際どうでもよい。
とにかく、ショルツェが最新の公表文書で補足説明箇所に言及しない事は、不誠実な議論としか
言えない。

やはり、とある掲示板で見た話だが、ショルツェが「IUTへの懐疑論」を言い出した頃「明確に
誤りがある箇所を特定していない時点で新しい理論への疑いを言い立てる事は感心しない」と
窘められた事があるそうだ。
数学理論の「正しさ」は、結局のところ「全ての推論のステップが論理的に妥当か」だけに
かかっている。従って、「数学理論に誤りがある」場合、必ず、どの推論ステップが論理的に
妥当でないのかを具体的に特定できるはずである。
例えば、ワイルズによるフェルマー予想の最初の証明への誤り指摘は、当然ながら、その
ステップがどこかを明示したもので、ワイルズは、それが妥当な指摘であると納得できた。*R2*
そもそも、理論の提出者は、扱う問題について考え抜くので、見落としを指摘された場合、
積み重ねた思考を背景に、指摘の妥当性判断が比較的容易にできる事が普通である。

ところが、ショルツェの「IUTへの懐疑論」は、そうした「数学理論の誤りの指摘」としての
体を成さず、結局のところ「系3.12 の議論全体が自分には分からない」以上の内容を含まない。
そもそも議論の出発点となる前提自体を拒否しているのでは、原論文の推論過程を追って
「ここの推論が論理的に妥当でない」と指摘できようはずがない。
論文誌への掲載の是非を問う際のレビューでの指摘では、当然、「誤りのある推論箇所」を
具体的に示す必要があるので、少なくとも、ショルツェには IUT 論文の査読者たりうる能力/
資格はない。

ショルツェの「反例」構成に使用されている「簡略化された IUT」における諸命題は、望月
論文の前提を受け入れずに展開されている以上、それら自体を数学論文として述べ直して
おかない限り、学問上の根拠が明確でないことになる。しかし、「簡略化された IUT」を
述べた「数学論文として整った」文献は存在しない。望月は「これでは数学としての学問的に
健全な議論にならない」と2021年3月の論文で指摘している。

「ショルツェのIUTへの懐疑論」の実態は、こうしたものに過ぎない。望月が自身のブログ上で
「海外からの雑音」といった表現で切り捨てているのも、むべなるかな。

素人が IUT 自体を理解することはできない。しかし、望月らとショルツェらの議論を観察して
「裁判の陪審員」や「ディベートのジャッジ」のような判断をする事なら、理系学部レベルの
数学知識、教養課程レベルの英語力、あとは多少の根気があれば十分可能で「勝敗」は明らか。

3. にも関わらず、なぜネットで「IUT への懐疑論」が消えないのか^

超然としている望月に代わって、何人かの関係者が「(控えめにではあるが)西欧の数学界に
ありうる偏見などへの言及 *R3* 」も含めて、いくつか推測を述べている。しかし、慎み深い
彼らの誰一人として敢えて口にしない、最も単純な説明は、当然ながら下記の通り。

「意固地になったショルツェが「 IUT を理解していない」と認めないから」

ショルツェ本人に「IUT を理解していない」自覚があるか不明だが、いずれにしても、知性と
いうより情緒の問題と思われる。正確な文言は忘れたが、岡潔の随筆に、

「数学をする上では情緒のありようが重要。情緒の状態が良ければ、ケアレス・ミステイクは
しても、致命的なミステイクを犯すことはない。一方、情緒の状態が悪ければ、しばしば
致命的なミステイクを犯してしまう。」

といった趣旨のことが書いてあった。多分、ショルツェには、 IUT に適切な情緒で対する
ことが、(今さら)できないのであろう。
2022-08-21 追記: 2022-01-01 の望月コメントは「誤りを認めた数学者」が誰か述べていない。
# ↑「武士の情け」:-)。しかし、2024-01-02のブログに氏名を含む報告書がリンクされた。

2022-08-16 追記: 関連文書の現状への対応^
Wikipedia の「宇宙際タイヒミュラー理論」の項の記述は、本ブログ記事執筆時点のものから
大幅に変更されているため、本ブログ記事で引用した文章の多くがなくなってしまっている。
しかし、下記で言及されていた望月の論文は、基本的な論点は維持しつつ何度かの改版を経た
ものが、望月のホームページ論文のページにある。関連文書の完全なリストも含んでいる。
↓ なお、望月のホームページは「報道目的利用禁止」と書かれている。
「2021年3月、このような誤りは「理論の論理構造が論理的なAND “∧”であるが、OR “∨”に
取り違えた簡略化によるもの」との論文」と言及された論文の最新版が2022年11月に出ている。
ショルツェらによる"Why abc is still a conjecture" の記事 p.4 "2.1 Glossary" の項で、望月の
IUT 論文での説明とは異なる "drastic simplifications" の数々、および望月の論文に出てこない
用語を前提に議論していることを認めている。また望月による前記「反批判論文」で指摘されて
いるように、文献上の根拠を示さず "it is clear that" とか "We are certain that" といった表現を
使用している。そして、この2018年8月版が、ショルツェらが提出した最も詳しい文書。※1※2
望月の「反批判論文」の §1. Summary of non-mathematical aspects for non-specialists には、
ショルツェらの「学問的議論のルール破り」や、第三者を交える場合も含む議論継続の呼び掛け
に応じようとしなかった事などの諸問題が、まとめられている。望月はショルツェらの間違った
IUT を "RCS-IUT" 、その唱導者を RCSと呼んでいる。「(正しい IUT の文脈では同一視できない
対象を同一視するため)本来の IUT に(対象の)余分なコピー Redundant Copies がある」と
主張する派が、主張の多少のバリエーションにより複数あるので、Redundant Copies School
と命名したのだそうだ。さらに、正しい IUT では全ての対象についての AND 条件の意味での
"any" を、OR の意味で "any" と解釈してしまったことになるので、本来の IUT とは無関係な
無意味な議論に陥っていると指摘している。
望月の「反批判論文」の§2. Elementary mathematical aspects of “redundant copies”では、
こういう取り違えは致命的であること、「同型」のように「ある文脈で同一視可能」であっても
対象として区別が必要な文脈があることが述べられる。p.44 の下記以下の Example 2.4.5 は、
少しだけ IUT 用語を使った「バカバカしい論理的誤り」の例で、ショルツェらの議論を連想
させる構成になっている(2020.01.05の望月のコメントに、この例の日本語での説明がある)。

Indeed, it appears that one fundamental cause, in the context of the essential
logical structure of inter-universal Teichmüller theory [cf. the discussion of
Example 2.4.5 below!], of the confusion on the part of some mathematicians
between logical AND “∧” and logical OR “∨” lies precisely in this sort of
confusion between “narrative ∧/∨”and logical “∧/∨”....

"§3: The logical structure of inter-universal Teichmüller theory" での説明は、IUT の詳細な
知識前提なので、素人にはフォローできない。しかし、望月ら IUT の専門家から見れば、
「RCS-IUT の議論は §1.で述べられた「ルール違反」のあげく、§2. Exampe 2.4.5 で述べられた
ような、下らない論理的誤りに陥ったようにしか見えない」と言っているあたりまでの議論は、
素人にも十分フォロー可能である。
# イヴァン・フェセンコの[FskDsm] も参照。次の追記で少し詳しく引用/言及する。
%0) p.5 l.1-l.3
3.3. One example of ‘study’ of IUT. Failing to properly study the theory,
some made beginner’s mistake by inventing their own primitive incorrect versions
of IUT and claiming the its identity with IUT, of course without being able to provide
any mathematical evidence.

2023-01-02 追記: Wikipedia 記述の非中立性^
まず、前提知識である遠アーベル幾何分野の業績はなく、IUT に関するワークショップに
参加したこともないショルツェが、*数学的根拠*を示さず 2013-2017 の間「IUT の欠陥」
について公然と語っていた事、2018年3月の討議も周囲から強い圧力をかけられての事という
経緯に触れていない点が問題。
%1) [FskDsm] p.5 "3.3 One example of ‘study’ of IUT. " l.4-l.9
"In 2013-2017 not a single concrete mathematical remark indicating any
essential issue in IUT was produced. Yet, Scholze, who does not have
any published work in anabelian geometry and who has not participated
in any anabelian geometry and IUT workshops, kept talking publicly about
faults in IUT since 2014, of course without ever providing any math
evidence. After a lot of pressure from several mathematicians,
including the chairman of the Fields Committee, he visited RIMS,
together with Stix, in March 2018, just for several days."
次に、望月側(=IUT の専門家側)の意見に対し*本文中での引用や言及*が少な過ぎる。
リンク先文書の内容を適切に反映していない記述は、リンク先の内容を確認した場合と逆の
印象を読者に与え得る(政治的言説においては珍しくない。典型的な実例の一つを参照)。
言及の仕方も非対称で、望月側(=IUT の専門家側)見解は、*生の形*で述べていない 。
特に、望月のレポートやイヴァン・フェセンコの文書の主要な論点には触れず、当たり触りの
なさそうな言葉だけ引用しているのは、「記述の中立性」の観点から疑問。また、望月側は
相手側の主張を含む関連文書を含めたリスト(url)を公開しているのに対し、ショルツェ側は
文書初版のオンライン公開を望月側のレポートを見て中止したにも関わらず、その望月側の
レポートが提示した重要な問題に答えない事に言及しないのは、中立・公平な態度ではない。%%
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Cmt2018-05.pdf
p.1 (C1) l.10-l.13
"For instance, [SS2018-05] never mentions (or even discusses in
different, but essentially equivalent, terminology) various key notions
in IUTch such as “multiradial”, “log-shell”, “tensor-packet”,
“procession”, or the indeterminacies “(Ind1, 2, 3)”. "    (※0)
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Cmt2018-08.pdf
p.1 l.4-l.5
"Most of the Comments of [Cmt2018-05] were not addressed in [SS2018-08]
and hence, in particular, continue to remain valid concering [SS2018-08].   (※1)
# しかも、無回答箇所は、ショルツェらの主張の問題点を端的に指摘した箇所。
# e.g. [Cmt2018-05] ($) p.2 最後の4行 - p.4 l.3 の (C5),(C6) 中の p.3 の (Q1)-(Q3) に
# 無回答。いずれも、ショルツェらが根拠を示さず述べている(実際は成りたたない^^;)
# 主張の根拠を示すよう求める「詰問」。p.4 l.5-l.31 (C7) もショルツェらの議論を
# "completely false" として、その理由は最初のレポート[Rpt2018]にも詳述していると
# 指摘。裁判やディベートなら、一つに無回答なだけでも敗北確定レベルの論点。^^;
# 2023-02-07: (C7) の対象箇所でのショルツェらの間違いの説明資料 (by 山下剛)
# ※ [Rpt2018]
# 上記レポート↑のイヴァン・フェセンコ文書からの引用中での呼称は次の行↓。
# "the comprehensive first report of the author of IUT" (45ページあるが、
# 文章は読みやすく、IUT 入門にも役立つような気がする。つまり、例えば、
# 「相対論の正しい間違え方」という本が、相対論入門に有用なように。:-)
# 「ショルツェらが公開をやめた最初のレポート」が [SS2018-05] 、二番目のレポートが
# ※2 [SS2018-08]。なお、[SS2018-05] は、前述の関連文書リストから辿れば参照可能だが、
# 直接 URL を指定すると関連文書リスト↓から辿るよう指示される。(※0)
# https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/IUTch-discussions-2018-03.html
%2) [FskDsm]
p.5 "3.3 One example of ‘study’ of IUT. " l.20-l.26
"The German mathematicians intended to make their report available online,
however, after reading the comprehensive first report of the author of
IUT on their report and these comments, they changed their mind and
abandoned plans to post their report at that time. In his comprehensive
report on their report the author of IUT formulated few questions to the
German mathematicians which may have helped them to appreciate their
mistakes. However, the second version of their report failed to
address almost all of those questions. Moreover, it included new
incorrect statements demonstrating lack of basic knowledge of more
classical areas such as height theory and one of the Faltings papers."
#↑での "lack of basic knowledge" の具体例は、[Cmt2018-08] (*) p.1 (C1) で
# "their profound ignorance of the elementary theory of heights" と表現されている。
# 問題1: 「初等的命題」であるはずの楕円曲線 E/k の有限性を述べようとする文脈で
# 「ファルティングスの定理(通称「モーデル予想」)」という大定理を持ち出している。
# ↓「初等的」な理由=「絶対値が定数以下の整数係数モニック多項式の根の有限性に帰着」
# "follows ... from the finiteness of the set of complex numbers that satisfy
# a monic polynomial equation of degree d with coefficients ∈ Z of absolute
# value C, for some fixed real number C that depends only on d and b"
# 問題2: 「有限性」/「ファルティングスの定理」の前提条件を確認していない。
# "Another problem with the argument in Remark 5 is that it is never
# mentioned why the discriminant of k/Q is bounded."
# ここ↑での"height theory" の height の定義は、例えば、下記にある。
# http://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/atsushi/article/distr.pdf (付録A)
# https://www.mathsoc.jp/section/algebra/algsymp_past/algsymp08_files/kawaguchi.pdf(定義 1.10)
いくつか細かい点を補足しておく。
(1) 「双方による議論のレポートの作成につながった。」の後で、望月側レポートの内容に
本文で言及していない。また、望月がショルツェらのレポートへのコメントで指摘した問題に
対して、ショルツェらが答えていないことにも言及していない。
(2) 「「*数学コミュニティの大勢*はこの問題が決着したと考えている」と述べる*複数の
匿名の専門家*のコメント」を無批判に引用する一方、イヴァン・フェセンコが指摘する
資質の問題、すなわちIUT の理解には「遠アーベル幾何」の知識が決定的に重要である事に
言及していない。「数学コミュニティの大勢」という表現を引用するなら、フェセンコの
同じ状況へのコメントにも言及すべきだろう。
%3) [FskDsm]
p.4 l.3-l.11
"Online aspects have negatively contributed to these damaging
developments. Few mathematicians chose to publicly talk or comment
in a benighted way about IUT and its study, while being fully aware about
their lack of expertise in the subject area. They made public their
ridiculous opinions about a fundamental development in the subject area
which is far away from their expertise, with no evidence of their
serious study of IUT and without providing any math evidence of errors
in the theory".
"Talking exclusively with non-experts, who have very weird ideas about
IUT, can only produce weird outcomes. Unfortunately, non-expert negative
opinions about IUT seeded a pernicious mistrust of this rare
breakthrough and pioneering math research in general. Their behaviour
contributes to the erosion of professional norms. For instance, there are
no active US researchers in anabelian geometry of hyperbolic curves
over number fields
, but most of negative comments about IUT originated
from a tiny subset mathematicians in that country".
# そもそも「匿名」の意見は「数学の専門家としての見解」ではなく、ゴシップでしか
# ないのだから、一方の意見だけ取り上げるのは「中立的」でない。Nature の記事自体、
# イヴァン・フェセンコの指摘した問題を持つものでしかない。
%4) [FskDsm]
p.4 "3.2. Some articles about IUT in mass media". l.4
"Some articles, even in Nature, cite opinions of non-experts only,
mathematicians with zero track record in anabelian geometry. Experience
in areas such as classical Diophantine geometry, algebraic geometry,
modularity, Galois representations, the Langlands program, aspects of
local number theory does not enable one to professionally comments on
deep work in anabelian geometry and IUT."
(3) 「ボン大学教授のペーター・ショルツェはZentralblatt Math誌で望月IUT論文に批判的な
レビューを寄稿した。内容は2018年に指摘した反例の回答に対する不満足を主張するもの」
と記述しながら (1) のショルツェ側から応答がない事に言及しないのは「中立的」でない。
また、ショルツェの「レビュー」に対してイヴァン・フェセンコが指摘している問題点には
言及しない事も「中立的」でない。
%5) [FskDsm] p.5 最後の5行。*
Scholze’s recent short review of the IUT papers, containing not a
single reference to a published paper justifying his position, is an
additional evidence of his rushed superficial ‘study’ of IUT.
It includes new mathematically incorrect statements such as statements
about Hodge theatres and demonstrates sheer lack of understanding of the
main concepts and structures of IUT. Numerous complaints in relation to
this behaviour have been sent to IMU, EMS, MPG, DMV.
最後の4つの略語は、以下の数学者団体を指す。
International Mathematical Union: IMU
European Mathematical Society: EMS
Max-Planck-Gesellschaft (Max Planck Society): MPG
The Deutsche Mathematiker-Vereinigung: DMV
(4) 「望月新一のかつての指導教授であったゲルト・ファルティングス等の「これまでの数学
との違いを分かりやすく説明する言葉を見つけてほしい」等の意見」の質について、望月が
ブログで述べている見解及び番組自体への意見に言及しないのでは、「中立的」でない。
https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/202205020000/
「なお、ファルティングス氏の場合、ご本人の研究(=1980年代後半の、p進ホッジ理論における
「殆どエタール拡大」の研究が特にそうですが)の歴史的経緯から考えても上述の主張はとても
不思議な主張に聞こえます。ご本人の研究論文の場合、他のp進ホッジ理論の専門家が論文の
アイデアをちょっと聞いただけで論文の正否の判断が簡単にできたかというと、実態は
(関係者の間ではよく知られている話ですが)それには程遠いものでした。実際、同氏は当時、
まさに自分の論文を丁寧に読んでくれる研究者が余りいないことによって的外れな批判が多発
しているだけだと盛んに主張していたように記憶しております。
つまり、同氏の主張を時間軸に沿って総括しますと、「自分の論文を丁寧に読んでくれない
研究者は断じて許せないが、他者の論文を丁寧に読むことを自分に期待するなんて到底承服
できない」という、身勝手極まりない、一方的な主張のようにしか聞こえません。」
# 2023-02-02: 上記の望月のコメントを裏づける資料を別記事で引用。 *R4*

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