飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

大宮駅 思い出ランキング

2014-07-04 04:20:36 | 日常のたしなみ
お酒を飲んでいると、あるタイミングで昔の話が浮上した途端、懐かしい過去の話に彩られるのはよくあることです。最終的に、「昔はよかったなぁ」、「あの頃と比べると今は全く」といった、若い人が辟易するような話が溢れてしまい、世代断絶に一役買ってしまう・・・。特に、過去の栄光を知っているものからすると、今の姿とのギャップにガッカリしてしまい、あの頃は・・・となってしまう傾向にあるようです。

そんな場所の一つに大宮駅があります。
今でも、埼玉県No.1の駅であることは、県民も認めるところであり、埼玉の中でも発展していると感じる場所でもあります。ただ、大宮に長くかかわっている県民からすると、華々しく発展し続けているのは駅の中だけであり、衰退の一途をたどっているとしか見られない現状が、周囲には広がっているように感じます。

・・・と、そんな暗い話をしたかったわけではありませんで、酒の肴にでもしていただければと思いまして、つらつらと書いております。

テレビ東京が誇る、地域密着系都市型エンターテイメント「出没! アド街ック天国」(・・・何故フルで書いた)では、「大宮」の特集の際は、このようなランキングとなっておりました。


2007年10月27日のランキング

1位 鉄道博物館
2位 氷川神社
3位 さいたまスーパーアリーナ
4位 デパート&ファッションビル
5位 JR大宮総合車両センター
6位 大宮公園
7位 ソニックシティ
8位 アライヘルメット
9位 盆栽村
10位 大宮アルディージャ


この放送日の数日前に、秋葉原から移転した鉄道博物館がオープンしたこともあり、話題性ということでこのような順位となったようです。大宮地域全体で考えると、妥当・・・いや、無難なランキングといえます。


2013年7月27日のランキング

1位 武蔵一宮 氷川神社
2位 大宮 夏まつり
3位 鉄道博物館
4位 大宮本社
5位 大宮 アルディージャ
6位 駅前ショッピング
7位 大宮ソニックシティ
8位 アライヘルメット
9位 FM NACK5
10位 大宮公園



そして、6年後です。
夏まつりの2位は、全くもって賛同はできませんが(それなら十日市・大湯祭でいいだろうと・・・えっ、無理?)、それ以外は、順位はともかくとして、あまり文句もつけられない感じです。4位の「大宮本社」は、しまむらと日高屋が大躍進をしたためですね。

これが、一般的な世間のイメージでの「大宮」ランキングですが、これを酒の肴にするのには、なかなか難しく感じます。
カテゴリーが大きすぎるということもありますが、「今の」ランキングであるため、共通認識を持つことが難しいためでもあるような気がします。とはいえ、これ以上深堀をしてしまうと、NACK5での放送となってしまいますので、難しいのでしょうね。

※ ただ、11位以下になっていくと、誰が行ったか知らないが確かに(雑誌に)聞こえる・・・的な、流行りの店や老舗の店が並び、おいおいそんなのランキングに入れるのかよな地元民困惑レベルが混じってきます・・・それが大宮の多様性ゆえでもあるのですが・・・まぁ、2007年のざ○お 大宮店(閉店)よりはましですけど


と、前置きはともかくとして、もう少し、昔の地元民も納得できそうな昭和世代のランキングを考えてみたいと思いまして、勝手に順位付けしてみました。ただ、こうして並べてみると、過去のものばかりが並んでおりまして、大宮の全盛期は、すでに終わったのかなぁと感じてしまうのが残念なところ。

あ、先に申し上げておきますが、自分は、大宮市民でもありませんで、大宮を都会と思ってはばからなかった田舎町出身ですので、記憶違いはお許しください・・・。


さてさて、そんなこんなでランキング。1位からどうぞ!!


第1位:まめの木

二重螺旋が天を衝く!!
のっけから知らない人が置いてけぼりなものが登場しましたが、携帯電話もポケベルも無い時代、誰もが一度は、ここで待ち合わせをしたという位に有名な、大宮駅の待ち合わせスポットといえば「まめの木」でしょう。

元々は、駅改札出口のコンコースど真ん中にありましたが、今年(2014年)に入ってからまめの木が撤去されて、インフォメーションセンターが出来た時には、何事かと思いましたが、2014年3月末、コンコース中央からかなり西口側に寄りましたが、再び二重らせんが復活となりました。

思い出といえば、まめの木を待ち合わせ場所にすると、まめの木の半径5m圏内は大混雑、かといって、まめの木直下で待つのは恥ずかしい。結果、ちょっと離れた柱の陰で待つ人が多く、携帯の無い時代でしたから、来ているのに出会えないということもありました。まめの木の周りをひたすらグルグルと探し回ったり、待ち合わせの友達の家と自宅に電話して伝言をお願いしたりしたのは、いい思い出です。



第2位:大宮ハタプラザ

複合商業施設の元祖。2006年(平成18年)6月18日廃業。
3つの映画館とボーリング場の「ハタボウル」を中心に、卓球場やらゲームセンターやらゴルフ練習場やらクラシックカー博物館やら、昔は、マルエツに飲食店街もあったという、複合商業施設の走りのような存在でした。
ここで初めて映画を見た人や、映画デートをした人も多かったのではないでしょうか。とにかく映画を見るなら、ボーリングをするならここでしたね。カントリーラーメンを知っている人います?



第3位:中央デパート

大宮東口を象徴するデパート。
大宮駅周辺には、たくさんのデパートがありましたが、中央デパートとOSB(大宮ステーションビル)程、人々の記憶に残ったデパートはないように思います。そして、共に隆盛を誇った十字屋、長崎屋、西武の大宮一番街御三家(?)、そして今も名前がまだ残る中央デパート共に、今は、跡地が全てパチンコ屋メインの施設となってしまうという結果となりました。元々複合商業施設であったため、まだその名をギリギリ残す中央デパートは、東口衰退の象徴として残っているように見えて、残念でなりません。

自分も足蹴く通っていたのが相当に昔の話ですので、鮮明に記憶していることは多くありませんが、何かしら強烈に記憶に残っている方も多いと思います。
誰もが憶えているのは、幼少のインパクトしてとても強かった屋上観覧車とコーヒーカップでしょうか。力の限りぶん回されたコーヒーカップの回転速度たるや、屋上であることを考えても恐ろしいものがありましたっけ。店舗では、キディランドやパターゴルフ、王様のアイデアもありましたね。
後は、小学生からアーケードゲーム好きだった自分としては、変則 6Fにあったゲームセンター。タレントの土田さんも思い出深い場所としてよく名前が出て来ますが、不良がたむろするような雰囲気としては危険だった反面、たくさんのゲームが安くできることが魅力でした(20円ゲームとか)。大型筐体や周囲にずらりと並ぶピンボールが多かったのも印象的でした。初代ストリートファイターの2ボタン立ち筐体があったことや、ガントレット(アタリ)の魅力を知ったのもここでした。
また、任天堂全盛期の幼少時代は、セガ好きのため肩身の狭い思いをしていましたが、セガのマスターシステムのカセットが売っていたことも自分にとっては、有難かったです。100円でファミコンが出来たのは、カメラ屋でしたっけか?

※ 中央デパートのその後の話です。

大宮東口再開発・・・か? (2016年3月4日)

大宮中央デパートの閉店にあたり(2018年7月21日)


第4位:大栄橋

なんとなく、名前が良く出る大栄橋 (だいえいばし) ・・・違います「たいえいばし」です。

・・・いやぁ、今の今までずっとだいえいばしと誰もが呼んでいましたので、たいえいばしだとは思ってもみませんでした。


大宮駅の北側、商店街の終点、歓楽街(北銀)の入り口にある、大宮駅の東西線路をまたぐ橋の名前です。通勤者の方は、駐輪場でお馴染みでしょう。橋の上から電車を眺めているだけでも楽しめるスポットではありますが、特に何があるというわけではありません。
昔は、東西を渡るために通過必須であったこともありますし、「大栄橋の近くの・・・」と言っている自分がいて、それを理解出来ない人がいないという認知度の高い場所。それが大栄橋の存在感なのでしょう。


第5位:南銀座商店街/南銀(なんぎん)

とりあえず、南銀。飲みに行くなら南銀へ。
ここ最近は、チェーン店であれば、西口の方がお店の数も増えましたが、西口がもっと場末感を漂わせていた頃は、飲み屋のメッカは南銀でした。居酒屋 酔い処の踏切警報機の音を聞きながら、居酒屋か怪しい店かショットバーかを考えたりしたのは、懐かしい思い出。パチンコ屋と映画館が隆盛を極めた時代も終わり、ドンキホーテ・カラオケ・おしゃれな飲み屋を中心とした若者向けのお店も増えてきましたが、裏通りは、まだまだ特徴的なお店がたくさんあります。

※ 居酒屋 酔い処、2016年に閉店していたのですね。


第6位:デパートの屋上

今は、ビアガーデンとゴルフ・スポーツクラブといった使い道ですが、昔の印象としては、ミニ遊園地とコンサート会場でした。
中央デパートについては、前述しておりますが、イベント施設に乏しい埼玉県としては、デパートの屋上が遊園地であり、色々なイベント会場でした。戦隊ものの握手会あり、新人歌手のコンサートありと、今の複合商業施設のイベント広場のようなものでした。正直、子供の頃の記憶は、昔々の話で曖昧ですし、それがどこの屋上だったかなどは、あまり覚えておりませんが、ヒーローショーを見に行ったりしたことは、今の子供と変わらないところですね。
自分よりも年上だった人の話を聞くと、○○さんのサインを貰ったのよ、と今聞くと驚くような名前が出てくる話は結構たくさん聞きますね。

デパートの屋上に何があったか。インパクトがあるものは覚えているものでして、

中央デパート:観覧車、コーヒーカップ、パターゴルフ
高島屋:メリーゴーランド、売店、ペットショップ、ゲームセンター
西武百貨店:モノレール

こんな感じだったでしょうか。
我が家が高島屋メインだったもので、高島屋のイメージだけはやけに鮮明に残っています。


第7位:高島屋

大宮東口最後の砦。
要塞のような堅牢な外観をしていますが、その姿からも大宮東口の最後の砦のような気もしてきます。西口は言わずもがなとして、東口も大きな転換を図られている昨今、高島屋は相変わらず我関せずのように見えますが、実は違っているようです。大宮ロフトの閉店に伴い、ジュンク堂書店とABCクッキングスタジオを受け入れたりと、年配向けのイメージ脱却も進めているように思えます。今後は、東口開発にもかかわっていくと思われますので、今後の動向も注目です。
子供の頃の記憶といえば、長い買い物に飽きて父親と階段のところにあるベンチでぐったりしていたことや、屋上で遊んだり、地下二階で食事したことでしょうか。地下二階のレストランの名前は覚えていないのですが(ファミリー大食堂でしたっけ? ローズ何とかでしたっけ?)、ここで食べるのが我が家のささやかな贅沢でした。クリームソーダを必ず頼んでいましたっけ。食券を買って席で半券をモギるという、懐かしいシステムでした。


第8位:映画館

数限りなくあった映画館は、もう無いのですよね・・・。
映画を見るために、大宮に行くことは、ほぼ必須な時代でしたねぇ。
前述のハタプラザ:2006年6月(「プラザ劇場」「ハタシネマ1」「ハタシネマ2」)、大宮東宝白鳥座/大宮スカラ座:2004年9月、大宮キネマ(シネマ)リゾート(大宮日活名画座):2005年、大宮東映オスカー:2005年5月、松竹大宮ロキシー:2005年5月、大宮オリンピア劇場、大宮セントラル劇場
とたくさんありましたが、すべて閉館。コクーンやマイカルなどのシネコンの影響が大きかったとは思いますが、シネコンが悪いわけではなく、流石にこれは時代の趨勢というものでしょう。自分にとっては、ハタシネマをメインで、白鳥座・スカラ座がサブでしたが、皆さんにとっての思い出の映画館は、ありますか?


第9位:大宮駅東西自由通路

昔は、タクシープールがもっと小さかったので、今の東口1F蕎麦屋の前あたりだったでしょうか。新幹線開通による駅改修が行われるまで、大宮の東西を繋いでいたのが地下連絡通路でした。この頃は、まだ子供でしたので、あの通路が怖くて仕方ありませんでした。水漏れがする通路、すえた臭いと転がる人々、そして入口近くの傷痍軍人さんのアコーディオン。チャーチャチャチャチャーチャチャーと物悲しい音楽が、今でも記憶に残るほど刻まれております。


第10位:大宮スケートセンター

冬はスケート、夏はプール(マンモスプール)。そしてプロレス・・・?
大成(現在の大成小)にあったスケートセンターです。1996年閉鎖ですから、15年以上前の話なのですね。
我が家は、少し北よりだったので、上尾水上公園の方が交通の便が良かったため、それほど利用することはなかったのですが、周りでは、結構行っていた人は多かったようです。それよりは、プロレスや格闘技などのイベントの方が有名だった気がします。女子プロレスの会場もここでしたっけ。



その他、気になるスポットといえば・・・

次点

・とんかつ とんこ:贅沢の最上級。大宮に来た時の楽しみが高島屋のランチだったとしたら、何かのイベントのごちそうといえば、とんかつ とんこでした。
子供の頃でしたので、憶えていることといえば、割りばしの豚の絵が可愛かったのと、でかいとんかつと味噌汁がおいしかったことでした。正直、味の記憶は、殆どありませんが、貧乏だからこそのご褒美といえば、このとんこだったことはいまだに記憶に残っています。調べてみたところ、移転を繰り返して、最終的には、お店はなくなってしまったようですが、もう一度食べてみたいものの、このまま記憶でとどめておきたい気持ちもあります。

・・・と書いておりましたが、最近、今でもとんかつとんこの味が楽しめることを知りました。懐かしいと思われた方は、是非どうぞ。

とんかつとんこ へようこそ (2021年6月8日記事)

・ クレモナ:洋菓子屋さん。とんこと悩むところでした。日進・大和田の人にもなじみ深いケーキ屋さんでしたので、共感する人は多い気がします。生クリームの誕生日ケーキなんて・・・夢でしたね。

・ 大宮ステーションビル(OSB):自分には、ちょっと古すぎます・・・WeかPINOなら分かるんですけど(ん?

・ 騒音掲示板:高島屋前のスクランブル交差点にありました。数値を上げようと手をたたいたり、叫んだりして、親に怒られたこと数知れず・・・。

・ 押田謙文堂:参考書や専門書を買うならここでした。

・ レコード屋:ROCK INN(新星堂)、ヤマギワレコード、やすな。自分は、押田謙文堂とセットで新星堂でした。

・ 埼共連ビル:電車に乗っていると見えてくる、何のビルだかわからないものの、「埼共連」ととにかく強そうな名前がビルの上に書かれていて、印象に残っているビル。現在は、JA共済です。

・ ミシン屋さん:リッカーミシン・ブラザーミシンの看板が目印の東口駅前角のミシン屋さん。長いことお店を構えておりましたが、どのような客層だったのか、通るたびいつも不思議でした。

・ いづみや:東口の長年続く飲み屋さん。最近、こういった長年続く大衆居酒屋が若者の間でも注目されるようになったため、一躍有名店の仲間入り。時代の流れというのは、面白いものです。いつか自分もここの常連になる日が来るのでしょうか・・・。


ちょっと個人的なものをランキングに入れてしまいましたが、皆さんの思い出としては、如何ですか?

※ 大宮好きな方は、こちらの記事もどうぞ「大宮駅へようこそ(1)」(2014年7月8日)

※ そしてこちらの記事もどうぞ 「大宮西口のDOMというもの」 (2021年8月1日)
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7 コメント

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補足いたします。 (みやのこ)
2014-09-09 22:10:08
こんばんは。
JR大宮駅の中央コンコースにある高さ9mのモニュメントである通称・まめの木の正式名称は、「行きかう線」であり、これは昭和60年(1985)の9月30日に開業した埼京線(仮称・通勤新線)を記念して、開業2日前の同年9月28日に当時の大宮市長だった馬橋隆二翁(1918~2000.市長在位1978~1990.鉄道博物館を構想した大立者のひとりでもある)の手で除幕式が行われたそうです。
また、昭和41年(1966)の12月7日にオープン中央デパートさんですけど、私がかつて大宮に住んでた時代(昭和50年代なかば)は、なんとエレベーターガールが居たのを記憶にあります。
そして、大宮駅北のシンボルである大栄橋の呼び名は、「たいえいばし」(一部では「だいえいばし」と呼んでるのもあるが、かつて旧大宮市の小学校向けにあった小学校3.4年生の社会科の副読本「おおみや」では、「たいえいばし」となってました)であり、なんでも大宮が栄える様にとの事で、命名されたそうです。
という具合に補足いたしましたけど、私は大宮が大好きであるものの、一見すると喧騒な感じではあるけど、すこうし離れると静かな佇まい(私がいま住んでる場所もそうです)を魅せてるギャップが本当にイイです。
それでは、私はこの辺で失礼します。
たいえいばし (かいねこ)
2014-09-09 22:28:17
> みやのこさん

いやはや、本気で驚きました。
周りの誰もが「だいえいばし」と呼んでいましたから、
まさか「たいえいばし」だったとは、今の今まで知りませんでした。
Wikipediaにもちゃんと書いてあるのですね。久しぶりの衝撃の事実でした。

エレベーターガールは、自分の頃には、もう居なかったかと思います。高島屋は、覚えていますけど。

まちBBS (まちおさん)
2016-08-08 05:57:03
はじめまして。

町BBSを見ていて検索していてたどり着きました。
自分のまわりでもだいえいばしと言っていて、しばらくたってたいえいばしだったんだと知りました。
子供の頃、よくよじ登ってましたが頂上まで行く勇気がなかったのが悔やまれます。

大宮は大きな駅なので駅を行きかう電車を見てるのが大好きでした。利用するにも便利で、JRが国鉄時代にチャレンジ20000キロのキャンペーンをしていたころは周遊券を買いまくって西へ東へと動き回りました。

西口に操車場があったころ、深夜に停まっている貨物列車の車掌車にはいって、こっそりビールを飲んでいたりしました。なんどか見回りの鉄道員さんに見つかったけど、「朝になると動くから連れていかれるよ」「浮浪者が来てるのか、時々新聞を燃やした後があるんで見つけたら注意して」と、のんびりしていました。

2年も前の日記へのコメントで失礼しました。
Unknown (通りすがり)
2020-01-28 15:07:09
はじめまして

大宮駅に久しぶりに行ったら中央デパートがなくなっていてびっくりし、「大宮中央デパート」をググってここに来ました。

ずーっと今まで「だいえいばし」と読んでました、いやはや。

昔ランキングに入れてもらいたいのが
・東西地下通路でよく使っていた頃は傷痍軍人(風?)の人たちが居て物乞いしてたのを鮮明に覚えてます。
Unknown (我ら大宮こどもらは)
2020-02-29 08:48:39
古き良き時代の大宮の光景が脳裏に蘇り
泣きそうになりました。

懐かしい思い出をありがとうございます。
Unknown (ちよりん)
2023-06-02 13:54:41
「クレモナ」は、どうなったかしら?・・・と、ふと思い出して検索したところ、ここに来ました。
懐かしい施設が沢山書かれていて、昭和の喧騒が懐かしく思い出されました。
どうもありがとうございます。

大宮に産まれ育って68年、西口開発に翻弄され、二度の転居の末、今は陽の当たらない、布団も洗濯物も乾かせないような場所で暮らしています。
クレモナ、美味しかったですね。
一番街の旧中山道側の出口に「ナカムラヤ」(でしたっけ?)というパン屋さんがあって、ケーキも売っていました。ここも美味しくて、スフレタイプのチーズケーキの食感が絶妙でした。他の品々も、大きめであまりデコラティブではなく、香りの良い、優しいケーキ。当時まだ元気だった母の大好物で、西口からわざわざ東口まで歩いて買いに行ったものです。あの店も見当たらず。昔、パン屋さんだった頃、歌手になる前のアイ・ジョージさん(知っている人は少なくなってきているかも)が働いていた、と聞いています。
レコード屋さん、たしか「ハナマタ」?があって、よく仕事帰りに寄って試聴させてもらって、LPレコードを買いました。店員さんと仲良くなりました。私の選ぶ盤が、彼女の好みにあっているとのこと。試聴しながら、よくおしゃべりしました。高島屋の北側、駅前通りを挟んだ「お向かい」にありました。地下道の出入り口近くの店でした。そこは、かつて「大一(だいいち)デパート」とかいう建物だったと記憶しています。デパートではなくなった後、飲食店や本屋等の多様な店舗が入り、いつも人が行き交う賑やかさでした。道が狭かったし。「混雑」「密集」のイメージ。
「すずらん通り」「一番街」「住吉通り」は、お散歩コースにピッタリでした。足を伸ばして氷川参道で森林浴気分を味わって。
60年程前に、すずらん通りに「ドリアン」という喫茶店があって、よく叔母が連れて行ってくれました。プリンやパフェ、クリームソーダが美味でした。
すずらん通りの中山道寄りの中程に、北方向に向かう小路があって、映画館があり、すずらん通りに抜けられたと記憶しているのですが、映画館に行く途中に「田村」という甘味屋さんがありました。ここはあんみつがおいしくて、中学生になる頃は女友達と連れだって食べに行ったものです。
長々とすみません!あれこれ思い出されて、芋づる式に過去がよみがえってきました。
まだ認知症は大丈夫かしら?だいぶ忘れてきてるけど。あっ!「ワシントン靴店」のビルもあったっけ。よくパンプスを買った、あの若い日。40数年後、外反母趾で手術することになるなんて思いもせず、ヒールの高いパンプスで元気に走り回っていた私。
楽しかった頃を思い出したら、ちょっと活力がよみがえってきました。どうもありがとうございます!
Unknown (ちよりん)
2023-06-02 14:08:22
書き間違えましたので、訂正させてください!
「すずらん通り」から北方向に向かう小路の出口には、「一番街」があったのでした。これを「すずらん通り」と記載してしまいました。ごめんなさい!投稿前にチェックするべきでした。怠慢してごめんなさい💧
やっぱ、衰えてきてる・・・ショック😱

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