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『メカゴジラの逆襲』

2019-10-29 15:13:50 | 映画
今回は、映画記事です。
前回はコラム的なことを書きましたが、ここでまたゴジラシリーズに戻りましょう。

シリーズ15作目にして、第一期の最終作となる『メカゴジラの逆襲』です。

 
前々作の『ゴジラ対メガロ』あたりから、ゴジラは硬派路線への回帰を目指しているように思えますが、その総仕上げともいえるのが今作でしょう。

この『メカゴジラの逆襲』では、本多猪四郎みずからがメガホンをとります。

第一作で監督を務めた、あの本多猪四郎です。本多監督は第十作『オール怪獣大進撃』以降ゴジラ作品から離れていましたが、この第十五作において、御大自らが出馬したのです。ここからも、原点回帰という企図は読み取れるでしょう。

それゆえ、本作『メカゴジラの逆襲』は、終始シリアスなドラマになっていてコミカルな要素はほとんどまったく見られません。テイストとしては、『地球最大の決戦』みたいな感じでしょうか。完全に子供向けになっていたゴジラが、ひさびさに路線変更以前のフィーリングに戻りました。

脚本は、新人のシナリオライターたちからコンペ形式で募集されたといいます。
その結果選ばれたのは、高山由紀子さん。女性が脚本をつとめるという意味で、珍しい作品となりました。

例によって、東宝公式YouTubeチャンネルの動画を貼っておきましょう。

【公式】「メカゴジラの逆襲」予告 メカゴジラを不動の人気にしたゴジラシリーズの第15作目。

そのタイトルからもわかるとおり、ストーリーは前作『ゴジラ対メカゴジラ』の続きとなっています。

地球侵略をもくろむブラックホール第三惑星人が、前作で破壊されたメカゴジラを改修し、後継機メカゴジラⅡを開発。新怪獣チタノザウルスとともにゴジラを倒そうとします。

前作までの流れとは違って、今回はゴジラ単独での戦い。

のみならず、前作ではメカゴジラ一体に対してゴジラ側が複数だったのに対して、今回は敵がタッグを組んでいる状況……さすがのゴジラも、これにはだいぶ苦戦します。最終的には、人間の助けを借りてなんとか敵を撃退することになるのです。


ゴジラは時代を映す鏡だ、とこのブログでは何度も書いてきましたが……
この作品もまた、時代を映しています。
明確に批評的な視点を持っているのです。

たとえば、ブラックホール第三惑星人の首魁が登場する場面。
高層ビルから東京の街を見下ろして、その部下がいいます。

  汚濁と混乱――秩序は常に後から追いかけるものにすぎない。
  結局のところ地球人は、自分たちが何を作っているのかさえわからないのです。


このように、シニカルな文明批評の視点があります。
“文明への懐疑”という視点がここに表現されていて、その点でも、ゴジラの原点に戻っているのです。
しかも、それまでの作品にときおりあった、ともすれば付け足しのようにも見える通り一遍のものではなく、現代文明への透徹した視線がかじられます。
そういう意味で、私としては、ゴジラ作品はこうあるべし、と思う作品です。

さらにもう一つ、原点回帰という点では、伊福部昭の音楽が戻ってきたことも見逃せません。
9作目『怪獣総進撃』以来の復帰です(『ゴジラ対ガイガン』は、過去音源の流用で、新たな作曲はしていない)。
本多・伊福部の組み合わせが復活するのも、『怪獣総進撃』以来。ゴジラファンならば、これはもうたまらない。前作で一気に人気怪獣になったメカゴジラも出ていることだし、大ヒット間違いなし、というところなんですが……

しかし、『メカゴジラの逆襲』は、当時の観衆に受けがよくありませんでした。

御大自らがメガホンをとったこの作品は、映画興行としては完全な敗北に終わります。

公表されている観客動員数は、97万人。

それまで最低だった『ゴジラ対メガロ』をさらに下回り、現時点で、ゴジラシリーズ全作品中ワーストの観客動員数となりました。


なぜ、『メカゴジラの逆襲』は失敗したのか?

突き詰めていくと、結局は、子供向け路線と原点回帰路線の齟齬というところにつきると思います。

ここまでの数年間において、ゴジラ作品は子供向けの興行形態にシフトし、もう、大人はそもそも見ないものになっていた。その状態に、大人向けのゴジラ作品を出してしまったことが失敗だったんでしょう。
どうひいき目に見ても、『メカゴジラの逆襲は』子どもが喜ぶ作品にはなっていないと思えます。
たとえば、ゴジラが登場するまでにだいぶ時間がかかる。
ドラマパートに力点がおかれているために、後半になるまでゴジラが出てきません。メカゴジラも、ほぼ同様。このため、前半部分はチタノザウルス一匹でもたせなければならなくなりました。ルーキー怪獣にとって、これはちょっと荷が重かったんではないかと思われます。
そのこととも絡みますが……メカゴジラの出番が少ない。タイトルやジャケットに示されるように、この作品はメカゴジラが前面に押し出されていますが、その割にメカゴジラはそれほど画面に出てきません。観ようによっては、脇役のようでさえあります。ゴジラとメカゴジラの二枚看板であるはずが、一番出てくるのがチタノザウルスという……これが期待外れ感につながってしまったのではないでしょうか。

では、力点がおかれているドラマ部分はどうかというと……ここもやはり、子どもにはぴんとこなかったでしょう。
科学者父娘の悲哀、成就することのない愛、自己犠牲……このドラマが、怪獣の格闘を見に来たキッズたちにどれだけ伝わったものか。
また、批評的な部分についても、どうだったでしょうか。
批評性は子どもにも強い印象を与えうると思いますが、それもある程度わかりやすくしてあってこそ。“核の脅威”や、“環境汚染”といったことなら子どもの心にじゅうぶん響くと思いますが、この作品における文明批評はいささか抽象的にすぎ、子どもの観客には難解と映ったのではないかとも想像されます。

逆に、大人の観客を対象として考えた時には、子供向けな部分が夾雑物となりかねません。
透徹した文明批評が、メカゴジラやブラックホール第三惑星人とった子供向けSF要素と混淆しうるのか……という問題です。大人の観客の場合、それはそれとして――というスタンスが見る側にないと、単に荒唐無稽な物語ということになってしまうでしょう。

実際のところはわかりません。
映画の成績についてあれこれいったところで、所詮は結果論であり、何がよかったのか、悪かったのかをはっきりさせることなどできない相談です。

ただ……ともかくも『メカゴジラの逆襲』は、映画興行としては失敗に終わったといっていいでしょう。

この失敗は、ここまでの数年間、生存ぎりぎりのラインを漂っていたゴジラシリーズに、とどめの一撃となるに十分なものでした。

刀折れ、矢尽き……というところでしょうか。
これによって、とうとう昭和ゴジラシリーズは打ち切りとなるのです。
本多猪四郎監督は、これ以後ゴジラ作品のみならず、映画を監督することはありませんでした。

ゴジラが復活して銀幕の上で再びあの咆哮をあげるには、およそ10年という歳月を待たなければならないのです。


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