むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

近くの遠くと、遠くの近く

2013年11月24日 | 旅行
晩秋に、長野県の紅葉の山を歩いた。
夜、目をつむると、黄・橙・赤にまぶたが発光していた。

そういうこと、沖縄の海でもあったなぁ。
ひざ下丈の浅瀬に顔をつけたら、どこまでも澄んだ、とろりと光る空間が広がっていて、黄・紫・青の熱帯魚たちが白砂に細長い影を落としながら、ひら~、ひら~。と舞っていた。
その夜、わたしは夢の中でも、魚の後を追って、揺れていた。
それは、潜らないと見えない、足元の別世界だった。


山歩き二日目に、雲行きが怪しくなってきたので、早めの帰路に着いた。
渓谷沿いの、細くカーブの多い道を車で降りてくると、畑の脇に露店が出ていて、おじいさんが台の上にゴロゴロ野菜を載せているのが見えた。

ちょうど、少し前から降り出した雨も弱まったところだ。
道端に車を寄せ、どれどれ。と戻ってきてみると、大小色形さまざまなカボチャ、どーんと存在感あるさつまいも、天然きのこいろいろ、大豆に大根、見慣れない乾物。。などが、たくさんではないけれど、小気味よく並べられていた。

「おぉー、ぜんぶ自分で作ったよ。今日はこれだけになっちゃったけどねぇ。うんうん、カボチャかね。そりゃあ、おいしいのは、やっぱりこの大きいのだよ。味は比例するからねぇ。おーう、ほっくほくだよ」
と、身振り手振りで話しながら、スイカみたいな大っきいカボチャを薦めてくれた。

日持ちのしそうなものをと、隣に並んでいるさつまいもの、これも大きいほうの二本入りを選んで買い物袋に入れたら、重みがぎゅーっと手に食い入った。

トランクに積み終えて振り返ると、おじいさんはぽつぽつ雨の中、黒い長靴で畑に戻っていくところだった。
その傍らには、キャベツが二株青々と育っていて、収穫の済んだ土ばかりの畑で、砂漠のサボテンのように見えた。

 
数日後、街に帰ってきたら、桜の紅葉の渋さに初めてはっとした。
いつも、春だけ待ち望んでいたんだ。

さっそく焼いたお土産のさつまいもは、お菓子のようにねっとり甘かった。
カボチャだけじゃない。
わたしまでほっくほくしていると、雨に煙る小さな露店と、野菜の台の後ろから体いっぱいの動作で作物たちを紹介してくれた、あのちいさなおじいさんを思い出した。

遠くて近いあっちの方から、じきに雪がくるだろう。






















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「それ」らしく

2013年11月10日 | こころ
庭の南天が、赤い実の房に枝をしならせ、その粒つぶには、銀色の雨の雫が寄り添っている。
いつの間にか、赤と緑の似合う季節になった。


先日友人と、子どもの頃に行ったきりだった、地元の動植物園を廻った。
林を抜ける、幅の広い下り坂に差しかかった時、ふと
「ここいたことある!」
と、感じた。

右隣に、麦藁帽子を傾けた母、圧倒的な緑のトンネル、降り注ぐ木漏れ日。
幼稚園の頃、通っていたお絵かき教室の写生会で、象をスケッチした後、ここに移って色塗りしていたんだっけ。
桃色の画板を首からぶら下げて、左向きに並んだ二頭の象をどんな色で塗ったらいいか、たじろいでいた。


象と言えば、3、4才頃にも、この動物園でのインパクトがある。

象舎の囲いには、何十円か入れると象とお話ができる「電話機」が取り付けてあった。
「電話越しなら、象もお話ししてくれるんだ!」
と、びっくりして、なんだかすごい秘密を打ち明けるような気持ちで、恐るおそる母に話した。

「お金を入れてもらったら、何を話したらいいんだろう。 わぁ。 まず、『こんにちは。』だよね。 あの3頭のどの象が、どうやって電話に出てくれるんだろう。 前足で受話器、持てるのかな。(鼻は思い浮かばない) 受話器持ったら、こっち向くのかな。 わぁ。 どうしよう。。」

などと、めくるめく展開にドキドキしたけれど、覚えている母の反応は、笑ったようなあいまいさで、ぼんやりしている。
それから、惜しさとちょっとの安堵で、右に電話機を見上げて、土っぽい象さんの庭を離れた。


そんなことを思い出しながら歩いていると、「象は新舎に引っ越しました」という標識の先に、いたいた。いたゾーウ。
人だかりの向こうの囲いには、やっぱり「電話機」らしきものが見える!

近寄ってみると、説明書きがあり、それによれば…
100円を入れて、コードの付いた受話器に見えたもの(それにしては小さかった)を取り外して耳に当てると、動物の解説が聞ける、そうだ。

そんなところと想像していたものの、懐かしいひとに再会したようでうれしい。
その上から、マジックで「故障中」と書かれた紙が張られているのも、それでいいような気がしてくる。

水飲み場で、象が一頭鼻を丸めて、笑った形の口に水を注いでいた。 
その様子を、泥場の端っこから一羽のカラスが見ている。
あの頃より遊び場がこじんまりして見えるのは、わたしが大きくなったからかな。

 
ロッキー山脈に棲む大きな黒熊、月の輪熊たちが、こちらとあちらを仕切る溝の縁を。 トラは檻に沿って、せわしなく行ったり来たりを繰り返していた。 フラッシュと歓声を浴びて。

もしも電話が通じたら、彼らはなにを話すだろう。
今度は、そんなことを思った。


帰りの電車に、大きな黒縁眼鏡に水玉の蝶ネクタイ、魔女が履いていそうな先の尖った黒靴、の男の子が乗ってきた。
シートの端の、一際きらびやかなオーラに、思わず「ほぉー」と目を引かれたけれど、彼にはその装いがなんとも似合っていて、気取ることなく普通に寛いでいた。 

どんな状況やカタチでも、その命らしさがムリをせず、しっくり光っていればいいんだろう。
そのためにできることは、きっとまだある。





10月、海を望みながら緑の丘でヨガをしてきました。



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