むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

お父さん、お父さん

2016年11月26日 | 日記

11月6日、白馬に父とまた滞在する予定でいたけれど。

5日夜、いつもと変わりなく父は元気に車を運転して一緒に

カキフライを食べに行き、その夜中に一年五か月の間共存してきた

膵臓がんの痛みがはげしくなり、翌日緊急入院、8日の朝に逝きました。

 

亡くなる前日まで家族の後のことを気にかけ、万全の準備をし、わたしを励まし、

ありがとうと何度も伝えてくれながら、元気な印象のまま

安らかな眠りにつくように逝きました。

 

なみだがかってにあふれてきます。

「死について41の答え」OSHO を読んでみたり、

家の中、一緒に行った場所で首を傾げたり、深い海の底にゆっくり沈んでいきそうな

救いようのない気持ちになったり、胸が塞がって息ができなくなる気がしたり、

毎朝目覚めておはようと言おうとして、もういないその方が夢のようで苦しくなったり、 

それでも父の想いや愛情が、カタチという境界を失くしたことでわたしの中に

溶け込んでくるように感じて胸がいっぱいになったり、青天の荒海にいるようです。

 

ぶつかったこともあったけど、いつもわたしのことを気にかけていてくれて、

後で見た日記には、この三か月間毎日痛みが続いていたとあったのに、

できるだけその姿を見せまいとにこやかでいて、

わたしが動揺すればどんと受け止め、明るく元気づけてくれました。 

日を増すごとに、それは強くなっていったよね。

亡くなった後のことを話して一緒に泣いたり笑ったりし、

穏やかな日常はおかげで一瞬一瞬、切実に楽しむことができました。

お父さん、楽になってよかったね。 本当にありがとうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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