吹く風ネット

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

最後の一句

2022年12月31日 | ぶるうす
 今年最後は、21年前と同様、この一句で締めくくります。

 『すす払い 出てくるものは ゴミとグチ』

 今年1年、ありがとうございました。
 よいお年をお迎え下さい。

大晦日(健康編)

2022年12月31日 | 日記
↓これが、



↓一食抜きを実践したおかげでこうなりました。



 この結果を見て、いろんな反応がありました。

 健康センターのお医者さん
「よく頑張りましたね」

 母
「何でこんなに痩せたんね?」
「朝食を抜いたんよ」
「朝食を抜いた?そんなことしたら身体壊すよ。ちゃんと三食摂らんと」
「あんたは三食しっかり摂って糖尿になったやん」
「・・・」

 コンビニのおばちゃん
「病気でもしたと?病院に行って診てもらったほうがいいよ」
「医者から痩せれと言われた結果ですよ」

 久しぶりに会った友人
「脳梗塞のせいで痩せたんか?」
「脳梗塞で入院したのは2年前。あの入院のせいで、82キロまで肥えた。病院食がおいしかったんよね」

 医者から10キロ痩せろと言われている知人(二人いる)
「どうしたらここまで痩せるんね?教えて欲しい」
「とりあえず、朝食を抜くことから始めたらいいですよ」

 義弟
「義兄ちゃん、姉ちゃんからロクな物食べさせてもらってないんやろ?」と言って、お歳暮にお菓子の詰め合わせを送ってきた。

大晦日(病院編)

2022年12月31日 | 日記
 今年ほど病院と縁のあった年はなかった。それは1月4日に母を大学病院に連れて行ったことに始まった。以降、毎月複数回母を病院に連れて行くことになる。
 5月に母が大学病院に入院。その前にいろいろな手続き(事前のコロナ検査、レントゲン検査、入院申請等)のために、何度も病院に通った。母の入院中は病院から何度も呼び出しを食らい、少なくとも週2回は大学病院に行っている。
 母は7月に退院をしたのだが、9月にまたしても入院。まあこれは、検査入院みたいなもので一日で退院したのだが、その前後に5月の入院の時と同じく、ぼくは何度も大学病院に足を運んだ。
 母の病院通いはその後も続き、今では皮膚科のお世話にもなっている。もちろん今もぼくが付き添っている。

 ぼく個人のことでいうと、1月に車を追突されてむちうち症になり、6月末まで整形外科通いをしたのだが、通った日数は78回だった。脳梗塞の再診が二ヶ月に1回で計6回、コロナのワクチン接種が2回、今月に入って歯医者に1回、耳鼻科に3回。すべてを足すと84回だ。
 この数字に母の病院を加えると、100回は優に超えている。
 もううんざりだ。来年は病院には行きたくない。

大晦日(2001年版)

2022年12月31日 | 過去の日記
2001年12月31日の日記です。

 1977年12月31日、その日ぼくは、3ヶ月後に東京に出るなどとは、みじんにも思ってなかった。「さて、来年はどうなるかなあ」と、人ごとのように来る年を占っていただけだ。
 年が明け、正月が過ぎ、母は「今後どうするのか?」と聞いてくるようになった。最初は「考えてる」と答えていたのだが、その後そのことをしつこく言われるようになった。
 3月のある日、いつものように母が「今後どうするのか?」と聞いてきたので、思わず「東京に行く」と答えた。「じゃあ、東京に行け」ということになってしまった。翌月、ぼくは東京に出た。考えてみると、衝動がぼくの人生を作ったといえる。

 あれから25年経ったわけだが、相変わらずぼくは「さて、来年はどうなるかなあ」と、人ごとのように来る年を占っている。年齢と周りの環境と立場が少し変わっただけで、ぼくの本質は、あの頃と全く変わってないのである。

 ところで、東京に出て何かいいことがあったのかというと、まったくなかった。強いてあげれば、『ショートホープブルース』というオリジナル曲が出来たことくらいだろうか。
 あの歌を作った頃は無敵だった。
「この歌で、今までふられ続けてきた音楽業界に殴り込みをかける」と意気込んだものである。
 しかし、それも自己満足に過ぎなかった。そういうものを生活に結びつけるなどということは、夢のまた夢である、とわかったのはずっと後のこと。幾たびの歌のオーディションや、詩の投稿を通して、ぼくは自分が大した才能や運を持っている人間ではないということを覚ってからのことだった。それ以来、ぼくは夢を忘れた日々を送っている。
 さて、来る年はどういう年になるのだろうか。

 と、今年最後の日記をまとめたところで、一句。
「すす払い 出てくるものは ゴミとグチ」
 来年もよろしくお願いいたします。

よいお年を

2022年12月30日 | 過去の日記
2001年12月29日の日記です。

「よいお年を」
 社会に出てから、この言葉を何度口にしただろう。それまでは一度も口にしたことのない言葉だった。どうして覚えたんだろう。別に「年末の挨拶は“よいお年を”と言わなければならん」などと強要された覚えはない。ということは、見よう見まねで覚えた挨拶なんだろう。
 では、それまではいったい年末の挨拶はなんと言っていたんだろうか?おそらく、普段の別れの挨拶をしていたんだと思うが。

 そういえば、別れの挨拶の言葉も、年をとるにつれ変わってきている。
 高校を卒業する頃までは、いつも「バイバイ」だった。その後、社会に出るまでは「じゃあね」とか「またね」だった。社会に出てからは、「お疲れさん」だ。社会に出てから、「バイバイ」などと言ったことはない。
 これらの挨拶も強要されてそういうふうに言い出したわけではなく、また高校を卒業したから「じゃあね」と言おうとか、社会に出たから「お疲れさん」と言おうとか決めていたわけでもない。それは流れの中で変化していったものだ。
 ちなみに、友だちに「さようなら」と言ったことはない。そんなこと、馬鹿らしくて言えん。

 さて、社会に出てからは、以前からの友だちにも「よいお年を」などと言っているが、これがまた照れ臭い。言う前から、「何で、こいつに挨拶しなけりゃならんのか」と思ってしまう。
 言っている最中も、ニヤニヤして「ばーか」などと思いながらやっているので、ありがたみも何もないだろう。まあ、相手もそう思いながらやっているんだろうけど。

 ところで、「よいお年を」のあとの続く言葉が何であるかを、真剣に悩んでいた時期がある。もちろん「よいお年をお迎え下さい」が正しいのだが、その頃は、そう続くことに違和感を感じていた。
「よいお年をお過ごし下さい」、この言葉を使うのは年が明けた後だろう。
「よいお年をお取り下さい」なら、年寄りに向かって言っているようである。
 やはり「よいお年をお迎え下さい」が妥当なのか。しかし、言い回しがどうもしっくりこない。
「よい年でありますように」ではいけないのだろうか?
「幸せな一年を」ではいけないのだろうか?
 ただ、これらの言葉を「よいお年を」のように略して言うとすると、「よい年で」や「幸せな」となってしまって、逆におかしくなってしまう。
 いろいろ考えたあげく、「よいお年を」だけでいいじゃないか、というところにおさまった。後の文章は「余計だ」と思うに至ったわけである。それから、自信を持って(?)、「よいお年を」と言えるようになった。

 ということで、皆さんよいお年を。
 ん・・・?
 ああそうだった。まだ日にちは残っていたんだった。

来年の抱負など

2022年12月30日 | 日記
1,昨日の記事の訂正
 昨日の記事の冒頭、数字の掲載ミスをしていたので書き直しました。会社のおかしなシステムのせいで、自分の数字の感覚もおかしくなってしまったようです。もしかしたらまだ間違っているかもしれません。

2,昨日の記事について
 昨日の記事はもっと複雑な文章だったのです。なかなか納得出来る文章にならないので、何度も何度も書き直し、そのうち自分で何を書いているのがわからなくなっていった。しかたなくまた一から書いていき、最終的に昨日の文章に落ち着いた次第です。
 数字に間違いは、書き直ししていた時に使っていた数字を、そのまま貼り付けたことにありました。記事をアップする前にちゃんと確認すればよかったのですが、朝早く出かけなければならなかったので、それが出来なかったのです。

3,来年の抱負
 最近過去の日記を読み返していて思ったことがあります。当時のぼくの日記は文字数がかなり多いのです。伝えたいことだけを書けば、半分以下の文字数で終わったと思うのですが、当時は昨日の日記と同じく、納得いくまで何度も何度も書き直していました。そのせいで文章が複雑になり、文字数が増えていったというわけです。
 ある時、文字数が増えると書く方も読む方も疲れてしまうということに気づき、それ以降文字数を減らしていったのですが、その結果がここ数年来の日記の形態です。
 しかし文字数が増えると、やはり以前のように複雑な文章になってしまう。そうなると時間はかかるし、昨日のようなミスも起こる。ということで、そのミスを避けるためにも、来年からは「シンプルが一番」ということを肝に銘じ、書いていくことにします。

おかしな会社

2022年12月29日 | 日記
 ぼくの今年の有給休暇数は、その前年の未消化分5日を分含めて25日だった。今年取った年休数は15日。残った有給休暇数は10日だから、ぼくの計算で行くと来年は30日有給休暇を取れることになる。ところが先日、来年度の有給休暇のお知らせがあったので見てみると20日しかない。
 さっそく地域担当者に連絡した。すると担当者は、
「うちの場合、これが普通なんです」と言う。
「これが普通?」
「以前、しんたさん同様おかしいと言って来た人がいてですね、その時こちらから総務に聞いてみたんです。すると総務の回答は『そうなっているものですから』でした」
「そうなっているって、どうなってるん?」
「うちの会社は、他社同様前年の有給休暇の未消化日数を繰り越してはくれるけど、その年の休暇はその年に付与された有給休暇日数から先に消化することになっているらしいんです」
「それっておかしいやろ?」
「はいおかしいです。でもそうなってるんです」
 ぼくはこれまで二度転職しているが、こんな有給休暇のシステムは初めてだ。

 昨日、同業者の方が来たので、そのことを話すと、
「変なシステムですね。うちは古いのから消化していきますよ。常識じゃないですか」とおっしゃった。
 うちの会社はおかしいんだ。

据わりがいい

2022年12月28日 | 日記
 一昨日、職場の若手社員(と言っても30代半ばだが)との会話。

「ぼく、結婚しない方がよかったと思うことが、よくあるんです」と彼が言った。
「何で?」とぼくが聞くと、
「一人の方が何かといいでしょう。気が楽だし」と言う。
「そうかねえ?」
「しんたさん、そんなことを思うことはないんですか?」
「うん。逆に結婚してよかったと思うことはあるけど」
「えっ、どうして結婚してよかったと思うんですか?」
「だつて、据わりがいいやん」
「据わりがいい・・・?」

 ぼくは、どうして自分が「据わりがいい」と言ったのかわからない。とっさに出た言葉なのだ。その会話があった後、ずっとそのことを考えているが、結局わからないでいる。
 考えれば考えるほど、あの場面では「据わりがいい」が最適の言葉だったと思えてくるのだ。何の据わりがいいのかは、二日経った今もわからないが。

この街は息をしてない

2022年12月27日 | ぶるうす
―もうずいぶん前から
 この街は息をしてない

駅前には大きなビルが
いくつも並んでいて
ちょっと見は都会だ。
だけど人影はまばらで
独りよがりなオブジェを
見ているような気になる。

―もうずいぶん前から
 この街は息をしてない

駅前がまだ平屋だった頃は
この街をひっきりなしに
走っていたチンチン電車が
深呼吸でもするかのように
多くの人を吐き出しては
多くの人を吸い込んでいた。

―もうずいぶん前から
 この街は息をしてない

とはいえ年号で見ると
それは遠い昔の話ではなく
どちらかというと最近の話だ。
空はくすんでいたけど
この街は虹を描いていた。
それが街の誇りでもあった。

―もうずいぶん前から
 この街は息をしてない

過去日記「新宮さまご誕生」

2022年12月26日 | 過去の日記
2001年12月2日の日記です。

 昨日の午後2時過ぎ、テレビで突然「新宮さま御誕生」の特番が始まった。そこでさっそく、ぼくは以前から興味のあったことを調べてみた。この特番をやってない局探しである。
 やっていたのは、NHK・衛星第2・日テレ系・テレ朝系・TBS系・フジ系で、やっていなかったのは、NHK教育・衛星第1、そしてやはりやってなかったテレビ東京系だった。
 NHKは4つのチャンネルで似たような番組をやる必要はないと理由だろう。これは納得がいくが、テレビ東京系だ。ここは以前小泉首相の靖国参拝の時も中継せずに「レディス4」をやっていたが、昨日はなんと競馬やっていました。先日「番組をパクられた」と大TBSにインネンを吹っかけていたが、ここは他局から真似されるのも、自局が真似するのも嫌なのだろう。

 今日の朝刊は、俗に右寄りと言われる「読売」や「産経」はもちろんのこと、あの左寄りで中国や韓国や北朝鮮が好きな「朝日」でさえ一面トップは「御誕生」だった。当然「朝日」寄りの「毎日」もそうだった。

 さて、「しんぶん赤旗」はどうだったかというと、新聞を見てないのでなんとも言えないが、HPのトップ項目は“負けてたまるかリストラの職場で”となっている。とはいえ、「ご誕生」の記事がないことはない。何項目目か後に“雅子さんが女児出産”という記事が出ている。
「皇太子夫人の雅子さん(37)が東京・皇居内の宮内庁病院で女子を出産しました」である。
 そこには「志位委員長のコメント」も出ていて、「マスコミの求めに応じて」という注釈付きで、「新しい生命の誕生は、ひとしく喜ばしいことです」とある。相変わらず負け犬の遠吠えとしか思えない記事である。
「皇太子夫人の雅子さん」とはなんだろう?それなら「志位委員長」などと書かくな!「志位さん」で充分じゃないか。志位さんが「ひとしく」というのなら、ここは「皇太子妃雅子さま」と書くべきじゃないのか。
 彼の党は、こういう喜ばしいことが国の経済を良くしていくという道理がわかってないのではないだろうか?「御誕生」から「経済上向き」、そして「リストラ減少」となるのではないのだろうか?
 労働者のためを思うのなら、
「こういう喜ばしいことがあったのだから、当然経済も上向きになるだろう。それが一時的なものになるか、長期的なものになるかは、労働者諸君の頑張りいかんにかかっている。今がチャンスだ!頑張ってリストラのない世の中を作り上げていこう」というようなことを書くべきだと思うのだが。

                      

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