吹く風ネット

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

最近言われたこと

2023年03月31日 | 日記
1,「見えるんですか?」
 スマホを触っていると、同世代と思しき方が近づいてきて、
「えっ、見えるんですか?」
 とおっしゃる。
『この人、何を言ってるんだろう?』
 と思っていると、
「いや、メガネもかけずに、スマホを見ているもんだから、つい」

 どうやら、その方は、同世代のぼくが、老眼鏡を用いないで、スマホの細かい字を見ていることに違和感を感じたようだ。
 ぼくは近くにあるスマホは見えるのだが、歳をとってから、少し離れた所に書いてある文字が二つに見えるようになった。加齢による支障が出ているのは同じだ。


2,「おぐしがきれいですね」
 先日、とある神社に行ったときに、見知らぬ老婆から、
「あなた、おぐしがきれいですね」
 と言われた。
「えっ、こんなに真っ白なのにですか?」
「いやいや、その白がいいんですよ。大事にしなさいよ」

 よく、白髪がきれいだと褒められる。しかし、あまり嬉しくはない。だから、リアクションに困る。

 それにしても、「おぐし」なんて、久しぶりに聞く言葉だ。いまだにこういう言葉を使う人がいるんだな。


3,「わりと普通なんですね」
 この間、東北から単身赴任してきた方と話をした。
「北九州、来るの初めてなんですよ」
「そうですか」
「北九州というと、ニュースで成人式の模様を見るたびに、荒れた地区なんだなと思ってたんですけど、来てみると全然普通ですね」
「成人式は、一種のお祭りみたいなものです。普段は彼らも普通なんですよ。真面目な人間が多いし」
「そうなんですか」

 北九州というと、ちょっとした事件でも、全国ニュースに取り上げられる。もしかしたら、マスコミも「荒れた地区」と思っているのかも知れない。


4,「書いてないんですか?」
「このところ、過去の日記ばかり上げてますね。日記を書いてないんですか?」
 ということで、今日書きました。

春休み、もう一つの遊び

2023年03月30日 | 過去の日記
2002年3月30日の日記です。

 春休みになると、野球のほか、もう一つ遊びがあった。『ダンチン(ビー玉とかランチンと呼ぶ地域もあった)』だ。

 これは野球ほど人数がいらなかったので、小数人が集まれば、ダンチンをやっていた。これも野球と同じく、前の広場が会場だったが、時には隣の町内へ遠征に行ったりもしていた。
 ポケットにダンチンを詰め込んで、ジャラジャラ言わせながら歩いていたものだ。ポケットがより膨らんでいる奴が、強い奴ということになる。

 ダンチンには、「穴入れ」「三角打」「インキョ」といったゲームがあった。それぞれやり方があったのだが、それを説明すると、「テシ」などという訳のわからない言葉も説明しなくてはならなり、大変な文字数になるので割愛する。

 要は賭け事で、数を賭けてやる遊びなのだが、今思えば、卑怯な奴が勝つゲームだった。

春休みの関心事

2023年03月29日 | 過去の日記
2002年3月30日の日記です。

 春休みならではの関心事があった。ちょうど今頃の新聞に載る、公務員の人事異動である。
 別に、お役所関係の異動はどうでもよかった。ぼくが関心を持っていたのは、教職員の異動である。

 毎年新聞を広げては、目を凝らして人事異動の欄を見ていた。
 転任してくる先生は、自分の小学校の欄を見ればすぐにわかるのだが、転任して行く先生を探すのは大変だった。
 当時、区内には三十数校の小学校があった。それを一校一校、隈なく探していくのである。時には他の区や郡部に転任して行く先生もいるのだから、その欄もおろそかにできない。

 根気のいる作業だったが、やりだすとやめられなくなった。
 その中に、過去に担任だった先生の名前や、一度でも叱られたことのある先生の名前が入っていると、
「あの先生、おらんようになるのか、寂しいなあ」とか、
「あの先生が出ていく。やったー!」とか言って、一喜一憂していたものである。

 直接ぼくと接触はなかったのだが、厳しいと言われている先生には、転任してもらいたかった。
 それまでぼくは、いつもソワソワして落ち着きがなく、叱られてばかりいたので、仮にそういう先生が担任にでもなったら、それは地獄だ。転任すれば、そういうことはなくなるので、それを確かめておいたのだ。
 転任しなかったとしても、担任の可能性があるとわかっていれば、ある程度の心の準備はしておける。そういった意味でも、教職員の人事異動の記事は役に立っていた。

春休みの遊び

2023年03月28日 | 過去の日記
2002年3月30日の日記です。

 小学生の頃、ぼくの住む地域は、春休みから夏休みにかけて野球をやっていた。
 前の広場に誰かがバットとボールを持ってくると、自然に人が集まってくる。そこで適当にチーム分けし、試合が始まるのだ。

 広場が狭かったため、いつも三角ベースでやっていた。広場が内野で、道路が外野だった。
 ホームランは道路の向こうにある人の家だった。
 ただ、これにはルールがあって、ホームランになるのは向かって左側、つまりレフト側の家だった。反対側、つまりライト側の家に入るとどうなるのかというと、チェンジになっていた。

 これには理由があった。
 レフト側の家は、野球のメンバーの家だったし、家の人は昼間いなかったから、ボールを取りに敷地に入っても、家を直撃しても文句を言われなかった。だから、そこにいくら打ち込んでもよかったのだ。

 逆にライト側の家にはドラえもんに出てくる『神成さん』のような親父が、いつも野球をやっている時間にいた。ボールがその家に飛び込み、ボールを取りに行くと、いつも親父が怒鳴りながら出てきた。そして「広場で野球をするな」と文句を言われた。
 それがイヤで「あの家に打ち込むな」ということになり、いつしかその家にボールが飛び込むとチェンジというルールが出来たのだった。

 このルールは、左打ちのぼくには厳しいものだった。満塁でぼくに打席が回ってくると、相手はわざと打ちやすい球を投げてきたものだ。注文どおり、ぼくはライナーで『神成さん』宅にぶち込んでしまう。これでチェンジだ。もちろん、ボールを取りに行くのも、叱られるのも、そこに打ち込んだぼくだった。

 しかし、何が幸いするかわからないものである。そのおかげで、ぼくは流し打ちを覚え、クラス対抗や子供会の野球大会、さらには社会に出てからの早朝野球では重宝がられたものだった。

春に三日の晴れ間なし

2023年03月27日 | 過去の日記
2002年3月29日の日記です。

1,
 ここ何週間か、休みの日には必ず雨が降る。それも晴れ間のひとかけらもないのである。休みの前後の日は必ず晴れているのに。
 これはどうしたことだろう? ぼくは決して『雨男』ではない。要所要所では必ず晴れているから、どちらかと言うと『晴れ男』に近いと思っている。
「春に三日の晴れ間なし」という言葉があるそうだし、これも巡り合わせの問題なのだろうと諦めている。

2,
 しかし、休みの日に晴れ間を拝めないと、何か損をした気がするものだ。
 先日、あるアンケートで「一日のうちで、どの時間帯が好きですか?」という質問があった。ぼくは躊躇せず「夕方」と答えたのだが、これも「晴れていれば」という条件付きでのことだ。
 曇天や雨天の夕方は大嫌いである。ぼくの部屋の窓から見える工場街の灯りが、何かしら寂しく感じるものだ。きっとそこに、ぼくの嫌いな冬の情景を重ねてしまうからだろう。

3,
 雨が降ると、何をする気も起こらない。ここまで雨に見舞われると、家の中で運動することも嫌になる。次の休みがどうなるかはわからないが、もし雨だと、また家にくすぶってしまい、また『妖怪ハラマワリ』を巨大化させることになってしまう。この悪循環を断ち切るためにも、来期は休みのローテーションを変えてみようかなあ。

4,
 ぼくが勝手に「雨が似合う街」と思っている場所がある。東京の銀座、京都市内、島根の津和野、福岡でいえば太宰府と秋月、大分の日田、那覇の国際通りなどである。

 最初にそれを感じたのは銀座だった。雨に濡れる三越のライオンを見て、ふと
「この街は傘が似合う」
 と思ったのである。その時から、銀座は風情があっていいな、と思うようになった。
 古都や小京都と呼ばれるところも、同じような理由からである。

 では、那覇はどうしてか?
 答は、スコールが好きだからである。
 那覇には何度か行ったことがあるが、そのたびにスコールに見舞われていた。突然の土砂降りというのは、気持ちがいいものである。腹の底から「今生きている」というものが、湧き出てくるような気がするのである。
 そういうことは、北九州にいても夕立などで味わえるのだが、那覇に比べると、その頻度は低い。やはり、那覇が本場という気がするのである。

 しかし、いくら雨が似合う場所といっても、雨が降ると、外に出る気が起きないのだから、そういう場所に行くことが出来ない、というのが現状である。

洗濯機の取扱説明書

2023年03月26日 | 過去の日記
2001年3月29日の日記です。

 今日、H社の洗濯機の注意書きを見ていて笑ってしまった。
「運転中の洗濯機の下に手足などを入れないで下さい」
 と書いてあったのだ。

 運搬中ならともかく、運転中である。
 洗濯機が回っているのを見て、
「おっ、洗濯機が運転中だ。ちょっと手足などを洗濯機の下に入れてやるか」
 などと思う人は、まずいないと思うのだが。
 
 なんでこんな文章を載せたのだろう。
 実際に、そんなことをした人がいたからだろうか?
 書いた人に「手足などを入れる」癖があるのだろうか?
 それとも、「こういうこともありうる」と思って書いたのだろうか?

 他のメーカーの洗濯機には、そんなことは一切書いてない。
 謎が謎呼ぶH社の洗濯機である。

 ところで、「手足など」の「など」とは何なのだろうか?
 腹なのだろうか? 頭なのだろうか?
 わけがわからん!

春先小紅(過去の日記より)

2023年03月25日 | 過去の日記
2001年4月9日の日記です。

 ここ2,3年、この季節になるとよくラジオでかかる歌がある。矢野顕子の「春咲小紅」である。もはや春の定番となったようだ。
 ぼくが学生の頃、春の定番といえば、シャドウズの「春がいっぱい」だった。FM,AM問わずよくかかっていた。
 しかし、最近ラジオでこの曲を聴くことはなく、「春といえばこの曲ですね」というDJの声と同時に登場するのが、矢野顕子だ。

 この歌が流行ったのは1981年、ぼくが前の会社に就職した頃だった。
 この曲にはちょっとしたエピソードがある。その年の春、神戸博覧会があったのだが、「春咲小紅」は実は神戸博のコマーシャルじゃないのか? という噂が流れたのだ。

 確かに、
“ほーら春咲小紅、ミニミニ見に来てね”
 は、
“ほーら春先神戸に、見に見に見に来てね”
 と聞こえる。

 真偽の程は定かではなかったが、レコードも売れ、神戸博の入場者もまずまずだったらしい。

メンバーズカード

2023年03月24日 | 過去の日記
2002年5月1日の日記です。

 以前いた会社で、ぼくはCDやLDといったソフト類を扱っていた。
 そこではメンバーズカードを発行していたのだが、それはメンバーズカードに買った日付と金額を書き入れて、何ポイントか貯まると、その5パーセント分のCDがもらえる、というお手軽なものだった。

 一度だけだったが、このカードを悪用しようとした人間がいた。近くの中学の生徒だった。
 彼はこの手書きのポイントを、巧みに修正してCDに代えようとしたのだった。
 CDの価格は、だいたい3千円くらいのものである。いくらまとめて買っても、3万円が限度だろう。
 このメンバーズカードは、3千円購入の場合は「3000」と書くのだが、この生徒は、「3000」の前に「10」を書き加えた。つまり「103000」にしたわけである。
 その作業を、何度か繰り返し、彼は何と「680000」ポイントを稼いだのだった。

 680000ポイントだと、3万4千円分のCDがもらえる。彼は、それをビートルズのアルバムに換えてくれと言った。アルバム全部で10枚だった。
 パートさんが応対していたのだが、金額が金額だっただけに、すぐにぼくに言ってきた。
「主任、これ、おかしいんですけど」
「え、680000ポイント!?」
「ええ、おかしいでしょ」
 ぼくは、その中学生のところに行き、
「これ、あんたが買ったと?」
 と訊くと、
「お父さんのカードですから、ぼくは知りません」
 と彼は言った。
 明らかにおかしい。
「今ビートルズのアルバム切らしているから、取り寄せるまで待っといてね。入ったら連絡するから」
 そう言って、ぼくは相手の電話番号を聞きだした。

 彼が帰ってから、メンバーズカードに書かれている日付の、レジの記録用紙を全部調べた。しかし、そこに書かれている金額を、一人で買った人はいなかった。
「やっぱり、偽造か。どうしようか」
 とぼくはスタッフと話し合った。
 はっきりと本人に言っても、「お父さんのだから、ぼくは知りません」と言うだろうし、そういう中学生なら逆恨みして、また何をしでかすかわからない。
 ここは相手を戦意喪失させる方法をとろう、ということになった。

 まずとった手は、こちらから相手には連絡しないで、相手から連絡があるのを待つ、ということだった。

 2日後、彼から連絡があった。
「もしもし、ビートルズはまだですか?」
「悪いねえ。まだ届いてないんよ。届いたら連絡するけね」
 まだ、次の一手をとらない。じらさないと相手は堪えない。

 それから2日後。
「もしもし、ビートルズはまだですか?」
「もう少し待ってね」

 次の日。
「ビートルズはまだですか?」
「ごめんね。まだなんよ」

 翌日。
「ビ-トルズはまだですか?」
「メーカーが切らしとるみたいなんよ」
「本当に注文したんですか?」
「注文はしたんやけど。ごめんね」

 そして、メンバーズカードを受け取ってから一週間が経った。
「もうビートルズは届いたでしょうね?」
「今日で8枚揃ったんやけど、2枚がまだなんよ」
「じゃあ、8枚取りに行きます」
「いや、このカードの場合、全部揃わんと渡せんのよね」
「換える気がないんやろが!」
「いや、あるよ。ああ、それと言い忘れとったけど、このカードお父さんのやったねえ」
「そうやけど」
「じゃあ、揃ったら、お父さんに連絡するね」
「・・・。わかりました」

 それから、30分後、事務所に電話が入った。
「そちらのレコードのコーナーで、ビートルズのCD頼んでたんですけど、キャンセルします!」

 その後、彼から二度と電話は入らなかった。いや、二度と店には来なかった。
 おそらく彼は、
「店から電話がかかったらどうしよう」
 と考えて、ヒヤヒヤしていたはずだ。
 まあ、こちらから電話することはなかったが、メンバーズカードだけは、ずっと取っておいた。

大人を逃げていませんか?

2023年03月23日 | 過去の日記
2002年4月22日の日記です。

1,
 前の店にいた頃のことだ。
 ぼくの部門は2階にあった。そこには1階から上がってくるエスカレーターがあったのだが、そこを子供たちが駆け下りるのだ。
 ほとんど毎日のことだった。おそらく、親は下で買い物をしているのだろう。
 もしこれで事故でもあった場合は、当然のように店が責任を問われる。怪我でもされたら、賠償金ものである。

 しかし、問題はそういうことではない。怪我をして一番困るのは、怪我をした子供本人なのだ。それを教えるのが、大人の務めである。そう思ったぼくは、駆け下りる子供を見つけるたびに注意していた。

 最初は
「そこで遊んだら危ないよ」
 と言っていたが、そんな優しい言い方をしても子供たちは聞かない。
「だって、ここ下りのエスカレーターがないやん」
 と言うのだ。生意気である。

 そこで、ぼくは怒鳴ることにした。
「こらー、どこを駆け下りよるんか!!」
「ここで遊んだら、死ぬぞ!!」
 効果覿面だった。駆け下りていた子も、途中で下りることをやめ、2階まで上がってくる。そして、すごすごと階段を下りていくのだ。
 また別の子が同じことをやっている。そこでまた怒鳴り上げる。その繰り返しだった。
 親がいても関係ない。注意しないほうが悪いのだ。ぼくは、どんどん怒鳴ってやった。

2,
 ある時、小学校の社会見学で、団体の小学生が2階に上がってきたことがある。
 先生がいるから大丈夫だろうと安心していたのだが、子供たちは相変わらず駆け下りをやっている。
 そういう場合、ぼくは先生が注意するものと思っていた。しかし、先生は何も言わない。ただヘラヘラと笑っているだけだ。

 カッとしたぼくは、いつも以上に声を張り上げ、
「こらー、そこで遊ぶな!!」と怒鳴った。
 その時、先生が言った言葉に、ぼくは呆れてしまった。
「ははは、ほーら怒られたやろうが」
 だった。

『あんたは引率者だろう。何をノー天気なことを言ってるんだ。怪我をされて困るのは、自分たちじゃないか!』
 ぼくは、この言葉がのどまで出かかったが、言うのをやめた。こんな奴らに何を言ってもだめだ、と思ったからである。

3,
 今日、うちのパートさんから胸のすく話を聞いた。
 そのパートさんがバスに乗った時のこと。バスの中で、子供が騒いでいたらしい。
 その子の母親は、周囲への建前からか、
「運転手さんに叱られるから、静かにしなさい」
 と注意した。
 すると、それを聞いた運転手さんは、マイクを通して
「叱るのは親の仕事でしょ」
 と言ったという。
 周りにいたお客さんは、それを聞いて拍手したらしい。
 母親は、真っ赤な顔をしていたという。

4,
 店で子供が騒いでいたりすると、母親やばあさんがこちらを見て、
「ほら、静かにしないと、おじちゃんに叱られるよぉ」
 などと言っている。
 よくよく考えてみると、おじちゃんが悪者になっているのだ。
 悪者逃れをしている悪者は、あんたたちでしょうが!

フルネームコンプレックス

2023年03月22日 | 過去の日記
2002年4月11日の日記です。

 ぼくは昔から、人前で自分の名前を呼ばれるのが嫌いである。特にフルネームで呼ばれることが嫌である。

 たとえば、銀行に行くと、苗字を呼んでから、追い討ちをかけるようにフルネームを呼ぶ。
「しろげ様、しろげしんた様」といった具合だ。
 これほど恥ずかしいことはない。だから、ぼくはATMで出来ることは、すべてATMで処理するようにしている。

 それでも、通帳を更新する時は、嫌でも窓口に行かなければならない。そこでぼくは、フルネームを呼ばせないために、「しろげ様」と呼ばれた時点で、「はい!」と大きな声で返事することにしている。
 ただでさえ、フルネームで呼ばれることが嫌いなのだ。もし公衆の面前でフルネームを呼ばれたりしたら、もうその銀行には行く気がしなくなる。

 郵便局も同じことが言えるが、ぼくは、郵便貯金をやっているわけではないし、簡保に入っているわけでもない。通販などの払込みに利用するだけだ。
 その場合、番号札の番号で呼ばれることがほとんどで、名前を呼ばれることはまずない。ゆえに、ここはセーフである。

 学校の入学式や卒業式もフルネームで呼ぶ。さらに悪いことに、名前を呼ばれると、必ず返事をして立たなければならない。
 こういう場でもぼくは、
「しろげ し・」
「はい!!」
 と、名前を呼んでいる途中に、大きな声で返事をして立ち上がっていた。
「お、元気がいいなあ」とほめられてたこともあるが、実はフルネームを呼ばれるのが嫌だったからである。
 卒業証書をもらう時も、
「卒業証書。6年2組、しろ・・」
「ゴホッ、ゴホッ」
 と、校長先生が名前を読むと同時に咳払いをした。
「大丈夫かね?」
 大丈夫ではない!

 意外な所で、フルネームを呼ばれたことがあった。神社である。
 車を買った時、多くの人が神社やお寺に安全祈願をしに行く。ぼくもご多分に漏れず、交通の神様で有名な宗像大社に、祈願に行った。
 神社は、車のお祓いをする前に、本殿で祝詞をあげることになっているが、ここで予期せぬことが起こった。その祝詞である。
「・・・、福岡県北九州市八幡西区○○町×丁目に住みたる、しろげノしんた・・・」
 やられた。しっかりフルネームを読まれてしまった。しかも、「ノ」まで付いている。
 当然返事は出来ない。突然読まれたので、咳払いをする間もなかった。さらに、神前に玉串を奉げる時に、もう一度名前を呼ばれた。同じ日に、二度交通事故を起こした気分であった。

 なぜそこまでフルネームを呼ばれることに抵抗を感じるのか?
 理由は簡単である。自分の名前が嫌いだからである。物心ついた時から、大っ嫌いである。嫌いな名前を、よくまあ、44年間も引きずってきたものである。変えられるものなら、さっさと変えていただろう。

 しかし、そういうわけにもいかない。そこで考えたのが、通称名を広めよう、ということだった。
 東京にいた頃、ぼくは別名を使っていた。また、アルバイト先でも別名を使っていた。詩などの投稿の時には、必ずペンネームを使っていた。ぼくが姓名判断を始めた理由も、実はそこにあるのだ。

 姓名判断を始めた時のこと。自分の名前が、大変良い画数であることがわかった。
「これはおかしい。こんな名前が良いわけない」
 ということで、自分の名前を悪く書いている本を探したものだった。が、どの本を見ても、「この画数は大吉です」と書いてある。
 しかたがないので、この名前がいかに悪いかというのを、自分で証明しようといろいろ研究した結果、「名前で運命はわからない」という結論に達したのだった。

 しかし、どうして自分の名前が嫌いなのだろう? その理由は今もってわからない。おそらく、幼児の頃に、何か嫌な思いでもしたのだろう。
「お前の名前、でーべーそ」とでも言われたのだろうか。


2023年3月22日
 その後も、姓名判断の研究を続けているが、ある時、いい名前には法則があるのに気づいた。
 それ以降、「ある程度.名前で運命はわかる」というところまで来ている。

                      

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