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世界わがスケッチの旅 ベローナへの途中1 イタリア

 

ベローナへの途中1 世界わがスケッチの旅 イタリア

 

今日も、スケッチブックを整理してみようと思いました。第2。ベニスとベローナだ。



 ベネチアを出て、ベローナへの道に向かう途中だ。
一枚一枚を眺めると、その時の情景を思いだします。?。う、、、、、そ。すぐには思いだせない。なんせ、走り描きなんで。この前の日記と同じだ。


 ベローナの近辺が、どのような風景なのか。少しは、わかるような気がする。つもりだ。
ベローナの町の復習をしてみよう。


人口はおよそ26万人。イタリアではべネチアに次ぐ人口である。
日本で言えば、だいたい神奈川県の平塚市のようだ。そうして、古代ローマ時代の円形闘技場や遺跡も数多く残されていて、観光客でたいへんにぎやかであった。この町の雰囲気は、とても良くて、イギリスのシェークスピアが、この地を舞台に戯曲を書き上げている。
ジュリエットの家にも入ったのだが、たくさんの人でいっぱいだった。
毎年 50 万人以上の観光客が訪れ、今もたくさんの観光客が詰めかける大人気のスポットです。

「ヴェローナ市街」は、ユネスコの文化遺産に登録されています。

裕福な商人の家であったらしいジュリエットの家(あの有名なシーンのバルコニーがある)は、せまい庭で、人たちいっぱいで、ここでのスケッチはできなかった。でも、別の日記にロミオのお家は掲載してあります。

移動中、速書きスケッチで。

必要時間は、通常この場合ですが、1枚デッサンを5分、色ぬりを5分です。携帯用のスケッチ帳で、

絵の具も携帯用です。歩きながらでもスケッチできますよ。


さて、そのベローナの近くにある風景のスケッチを今日の一枚にします。2016-03-12

 

 

 

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フィレンツエの川に添って遊歩

 

ただ、一人で旧市街をぬけて、川にそって遊歩してると、公園が静かにあり細い1mくらいの道に入り込み林を通る。30分くらいで、座り込みスケッチを楽しむ。観光地からはなれている住民の常用の通路なので誰も会う人はいない。遠く日本から来て、のんびりとした旅、贅沢といえばそうかもしれない。

川ばたに小さい花たちが咲いている。腰かけて、静かに座って小鳥のさえずりを聞きながら、スケッチをする。一人のスケッチ旅をこよなく愛してきた特権である。

 

古くから川にそって時代を見つめてきた、とっても感じのいい教会。対岸にある落ち着いた気持ちのいい構図。川面に映る影も面白い。日本の国内でも良い場所はたくさん。一緒に絵をかきませんか。喜楽にたのしくスケッチを学びませんか。

暑くて、体にこたえる季節なので、もう少し秋がおとずれて気温が下がる頃になると、

また、スケッチの勉強会を計画できるかも。

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ヴェローナ 世界わがスケッチの旅 イタリア 

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スケッチのヴェローナの路地や広場を幼少のロミオ、子供達が走りまわって遊んでいたと思うと、なんか楽しいではありませんか。この上から見た赤い屋根の旧市街は、見物のできる塔があって、高いせまい細いエレベーターがあります、その塔の上からのながめです。

 

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今日のスケッチ一枚は、ヴェローナを紹介します。


 ヴェローナと聞いてすぐ思い出すのは、言うまでもなくロミオとジュリエットです。
私は、この話を知ったのはいつだったのだろうか。今、手元に当時、中学校のとき昭和37年に購入した英語のシェイクスピアの太い本がある。彼は四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。絵については、『ハムレット』、オフィーリアの死。ジョン・エヴァレット・ミレー画(1852)が私にはとても美しいと思ったし実物を見た時にとても印象に残った。それで、この本をめくっていると、そこに歌劇フアルスタッフの原作を見いだした。これは以前に県民ホールでの二期会オペラ公演のポスターの原画を描いたものでびっくり、中学生時から53年ぶりにその原作小説にであうとは、今日は、ヴェローナを話題としているので、まず、その町の説明は、下記を参考に。
ロミオとジュリエットの話にもどることに。
さあ、13世紀のイタリアの都市ヴェローナ。当時、モンタギュー家とキャピュレット家が、血を流す抗争を繰り返していた。モンタギューの一人息子ロミオは、友人らと共に、キャピュレット家のパーティに紛れ込む。そこでロミオは、キャピュレットの一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。二 人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚。ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打つことを期待した。 しかし結婚の直後、ロミオは街頭での争いに巻き込まれ、親友マキューシオを殺された仕返しにキャピュレット夫人の甥であるティボルトを殺してしまう。ヴェ ローナの大公スカラは、ロミオを追放の罪に処する。一方、キャピュレットは、悲しみにくれるジュリエットに大公の親戚であるパリスと結婚することを命じ る。 
ジュリエットは、ロレンスに助けを求める。ジュリエットをロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てるロレンス。しかしこの計画は追放されていた ロミオは知らなかった、ジュリエットが本当に死んだと思ったロミオは彼女の墓で自殺し、仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追って死 ぬ。事の真相を知った両家は、ついに和解するという話である。
私は、二度のイタリアスケッチの旅で、モンタギュー家のお墓の前の路地と、館の前の広場のスケッチもしてあるので併せて掲げることにする。



************参考説明
 Verona is a city (pop. ~250,000) in north-eastern Italy's Veneto region most famous as the setting for Shakespeare's Romeo and Juliet. Though close to the more popular tourist destination of Venice, many people consider Verona a more relaxed and pleasant place to visit. There are many tourists, but the number of tourists per square meter is lower.
 Verona was a Roman city, and many Roman ruins have been preserved, notably the Arena. Most of the historical sights to see today date from the past 800 years. If you are keen on art history, Verona offers a golden opportunity to see the transition of Western European art from late medieval to early renaissance styles, with its rich offering of 12-Century churches and art museums. Verona's military importance has also left city fortifications and an excellent castle. Look out for architectural details related to the Scaligeri (or della Scala) family, who ruled the city from the 12th-14th Century - their family emblem is a ladder, and appears in many places around the city (scala is Italian for 'ladder').
 The Arena, An enormous, spectacular Roman amphitheatre, crumbling on the outside but still functioning today. It was erected in the 1st Century AD in an elliptical shape, and is the world's third-largest amphitheatre to survive from antiquity. Much of the outer ring was damaged during the earthquake of 1117 but the inner part is still intact. If you can, plan your trip during the Opera season and see a performance in the Arena. Ouside the opera season you can visit it during the day. 現在、アレーナのローマ劇場は、広くてすばらしいものです。
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世界わがスケッチの旅 ‪フィレンツェ, ドゥオーモ‬



スケッチ今日の一枚。‪フィレンツェ,ドゥオーモ‬前の広場で、スケッチをしています。


それが、鐘の音を聞きながらとなったわけです。


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‪フィレンツェ,ドゥオーモ(教会)

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  私のイタリアへの入国は、空港で最初ミラノに入りベネチア、フィレンツエと南下のコースを考えていたのだが、その日は天候が悪くローマには着陸できないことに、それでミラノに引き返してしまった。

航空会社が、ま~用意してくれたホテルがとてもいい部屋で、おそらく普通の旅行では宿泊できない高級ホテルであった。部屋の説明は省略するが、それで早朝からその飛行機でローマに行ったのである。

さて、フィレンツエの街を復習してみると、ベネチアからのバスルート、ローマからの列車を考えるのだが、空港からしてローマからの方が景色が面白い。テルミニ駅からはエウロスターイタリア(ES)と呼ばれる高速列車に乗ってフィレンツェに行きます。ローマのテルミニ駅からフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅までの所要時間は1時間40分です。フィレンツェに向かうESの車窓には、のどかなトスカーナの平原がつづき、あ~イタリアだな~と見とれるのでした。


 フィレンツェは、もともとエトルリア人が暮らす集落であって、そこに1世紀頃ローマ人が殖民都市を建設し、「花の女神」を意味する「フロレンティア」と呼びました。英語ではフロレンスが言いやすい。

その後、ローマ帝国の衰退の後、15世紀になるとメディチ家の庇護の元で、ルネサンスの花畑となります。ドゥオモのクーポラを設計したブルネッレスキやドゥオモの脇に建つ鐘楼を設計したジョットをはじめ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの多くの芸術家が活躍したのです。

フィレンツェは1865~1871年にかけてイタリア王国の首都でした。


さて、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出て、なんかさ、ごみごみしてね、と思いながらフィレンツェの中心に向かって歩くと、フィレンツェのシンボル、ドゥオモが見えてきます。どうも、どうもと言いながら、「ドゥオモ」というのは、司教座が置かれている大聖堂を意味しているとも知らずに、お堂のことだと思っていたのです。(ウソ~)さて、今日の一枚と関係ないので、、、、。

私がとても気に入ってるのが、ラファエルです。
ラファエルの名前は、レオナルドダヴィンチとミケランジェロとともに、ミケランジェロよりも18歳、レオナルドよりも30歳ほど若かったにもかかわらず、高ルネサンスの代名詞です。

2人の有名な同時代人として絵画の状態を大きく進歩させたとは言えません。彼の作品はハイルネッサンスのすべての発展の力となりました。

ラファエルは画家の息子として生まれる幸運があったので、彼の成長は、小貴族の息子であったミケランジェロのそれとは異なり、親からの引き継ぎとして決められました。

父の死から数年後、彼は優れた画家であり優れた技術者であるペルジーノのウンブリア工房で働きました。21歳のときに彼が署名し、日付を記入した彼の最初の絵画は、聖母の婚約者でした。これは、ペルジーノのキリストがピーターに鍵を与えたことにすぐにその起源を示したもので明確。技術的にも吸収感覚が優れており、しかもラファエルは屈託のない性格で、彼の人生を網羅する有名な画家のスキルを恥ずかしがらずに利用していきます。つまり、応用問題では作品は、多数の異なる画家の個々の資質が一緒に合成されて描かれています。

つまり、ペルージーノの丸みを帯びたフォルムと明るい色、ギルランダイオの生き生きとした肖像画、レオナルドのリアリズムと照明、ミケランジェロの強力なドラフトマンシップは、ラファエルの絵画に統一感覚をもって実ることになる。

短い人生の中で、彼はいくつかの大きな祭壇画、海のニンフの印象的な古典的なフレスコ画、ガラテア、二人の法王とその中の有名な作家の傑出した肖像画を描きあげ、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井、一連の壁を描いた。さらにバチカンの部屋のフレスコ画。アテネの学校は個性を実らせた。(後ほどアテネをとりあげてみたい。)

このフレスコ画は、ラファエルがレオナルドダヴィンチをモデルにしたことで有名なプラトンの中心人物の周りの壮大な古典的な環境に見られ、さらに石の大きなブロックのそばに座るヘラクレイトスの陰気な人物は、ミケランジェロの肖像なのであり、システィーナ礼拝堂の預言者エレミヤの後者の絵へと進みます、彼の自身の肖像画は、先生のペルジーノの横にある右側に描きました。

しかし、ラファエルの人気の原泉は、彼の主要な作品ではなく、おそらく最も有名で、思うにルーブル美術館にあるラベルジャルディニエール(「美しい庭園の聖母」)と私は考える。そうではないと言う方があろうとも、個人的な感想です、傲慢でしょうか。

 

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 人生一度だから 旅へ2


フィレンツェ 世界わがスケッチの旅 イタリア


今回は是非とも フィレンツェ である。第一の場所は、風光明媚抜群のミケランジェロ広場からの眺めである。展望所からの眺めで、世界中でも一、二を争う市街の景色だ。

世界遺産である フィレンツェ歴史地区は、1982年、文化遺産として登録されている。フィレンツェを見下ろすならミケランジェロ広場だ。オレンジ屋根が並ぶすばらしい街 並みが望める。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。イタリア語の「ドゥオーモ」は英語の「カテドラル」で、大聖堂を意味する。大聖堂とは司教が座る ための椅子=カテドラ(司教座)がある教会堂のこと。大聖堂は主に3つの建築物、ドゥオーモ(大聖堂、カテドラル)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ダンテも そのデザインを絶賛したというジョットの鐘楼からなる。トスカーナ地方の赤・ 白・緑(3色)の大理石がふんだんに使われた。


今日のもう一枚は、イタリアのアルノ川添いの教会のスケッチ
  私はパリを花の都と呼んで、これが世界でも一番なのかと思っていたが、どうもイタリアのフィレンツェも花の都と呼ばれて久しいのだと気付く。この花という のは、華やかな都という意味ですよ。雰囲気のことを表現しているのですよ。と囁かれてしまった。さらに、街のそこそこに、ルネッサンスを開花させたメディ チ家の紋章(百合の花と丸薬)を見かけるのです。


 美しいアルノ川が街のなかを、東西に流れ両側の旧市街の丘や町並みと教会の風雅な情緒をスケッ チしない手はないのです。美しいクーポラのドゥオーモとジョットの鐘楼、市庁舎であるヴェッキオ 宮など目につく建物も良いが、私は静かにたたずむ川添いの教会の風景が、この上なくスケッチのモチーフに適している、と言うよりそれが持っている歴史の深 み、重みが人々のくらしを見つめてきたのだと感じるまでに表現を、わざとらしくないように自然にそのまま描くのが私の描画上のMy perspective vantage pointなのです。

フィレンツェを見下ろす大聖堂。 アルノ川添いの教会。  そのレイアウト印刷後。


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