コメント欄で非公開で複数の方から「虐め」について様々な意見を頂きましたので、いつものニダ♪ニカ?は使わずに、素で返事に替えさせて頂きます。
まず現在苛めにあっているあなた、決して自分を責めてはいけません。どんな学校でも、どんな会社でも、対人関係のきしみで虐めは起こります。虐めのきっかけなど様々な要因が絡み合って起こります。そして虐めている側は苛められている側の反応を見て楽しんでいます。要するに遊びの延長なんですよ。
虐めをする子自体が自分に自信が持てないとか、変なコンプレックスを感じている場合が多いですね。
自分より立場が弱いもの、おとなしい子を目掛けて虐めの標的にします。それは大人の世界でも変わりません。皆が皆同じような感性を持っている訳ではありませんから、集団で合わせられないとか、そういう人が虐めに逢いやすいと、私は個人的には思っています。
私の場合は教師には「優秀な子」扱いされていて、リーダーシップがある子だと思われていました。でもそれは私の虚像です。実際の私は、同級生に合わせることが苦痛で、同性でつるむとかも本当に嫌でした。仲良しグループに入らないと変わった子扱いされるので、嫌々ながら適当に話を合わせていたに過ぎません。おそらく当時の同級生は私がこんな感想を持っていた事も知らないと思います。
ちょうど私が小学校高学年の頃にさとう宗幸さん主演の「仙八先生」というドラマが放送されていて、その挿入歌になっていたこの歌を聞いたとき、まさにこれは私の気持ちだなと思いました。
榊原まさとし 不良少女白書
私は不良になるほど、尖ってもいませんでした。当時の私は、今から考えると変に大人びていたのでしょうね。廻りの同級生が子供っぽすぎて嫌だと考えていましたし。虐めをしている子に「馬鹿馬鹿しい事は止めなさい」と言った事から、私自身が虐めの標的になりました。でも私は何をされようと動じませんでした。具体的に言うと「筆箱に虫の死骸を詰められる」とか「教科書にマジックでいたずら書き」とか「上履きを捨てられる」とかですね。
通常なら泣いてしまうような事ですよね。私はそういう苛めをされても何も傷つきませんでした。教師に言っても無駄だと冷めていましたし、虐めをする相手は、ストレス解消になれば何でも良いのですから。同級生は皆知っていて見てみぬふりをしていました。自分に降りかかる事に怯えていたのだと思います。
私は親にも相談しませんでした。私の親ならどういう反応を示すかが解っていたからです。だから私は別のクラスで友人だった人に「こういう状況でこういう対処をしてるのだけど、どう思う?」と客観的な意見を聞いてみました。その友人は「君が好きなようにしたら良いと思うよ。君が選ぶことだし」と答えてくれました。その友人は本当に私から見て素直に天才だと思える子でしたが、さすが見抜いているなと思いました。
そのとき、もし同情的な事を言われていたら、私は壊れていたと思っています。私にその時必要だったのは「私への肯定」だったのです。
私への虐めのターゲットは3ヶ月ほどで消えました。そもそもが私は苛められる側でも、虐める側でも無い子供でしたから。
虐めを汚水と考えたら、汚水に混ぜられても、汚れない強さがあれば良いのです。
社会に出てからも様々な虐めはありました。協調性を求められるのに合わせられない「私という個性」が許せないと思われたのでしょうね。いくら仕事が出来ても能力より、詰まらない事で文句を言われる。私は常に冷めていたというのもいけなかった理由ではあるとも思います。
ただし「私という個性」を最大限に認めてくれる友人も多々出来ました。一流の大学に入って、一流の会社に入って、自分が楽しいか?充実しているか?と自問自答したときに、「自分には向いてないな」と思ったのも事実です。
私が他人の学歴だの職歴だの、地位や名誉だのに興味も関心も無いのは事実です。それらは単なる箔付けであって、その人個人が優秀だと思える判断基準にならないと、私は思っています。
努力、根性という言葉も私は嫌いです。人に押し付ける事では無いと思ってます。自分のペースで自分なりに進めば良いだけの事です。
苛めで今苦しんでいる人に、これだけは私が経験上から伝えたい事です。
泣きたいときは泣いてください。少しでも感情が治まるのであれば。
逃げたいと思ったら逃げてください。あなた自身が選ぶ事であれば。
人の人生が80年だとしても、色々な困難は次々と襲いかかってきます。
そのときに自分が主体になって考えてください。対処方法を。介護で途方に暮れていたら行政に相談してみてください。
何事も最良の方法など存在しません。しかし知恵を絞ればなんとかなるものです。
まず自分自身に深く問いかけけてください。何が自分にとっての良い方法なのか。
そうすれば答えが出てきます。
今日の一言
自分に自信を持って、前を見てください。あなたは一人ではありません。