ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

偽坊主の托鉢サギを直撃

2023-10-08 10:39:05 | 宗教、オカルト

偽坊主の托鉢サギを直撃

 

 

 

動画: 実例「ニセモノの托鉢僧」

● 僧衣で立って1日数万円、笑いが止まらない

● 聖職者になりすまして荒稼ぎする悪質な托鉢サギ

● 繫華街に立っている托鉢僧のほとんどはニセモノ

● 本物は 「托鉢許可証」 の木の札を付けている

 

 

 

 

 

「そんな目くじら立てなくたって・・・」  「誰にも迷惑かけているわけじゃなし・・・」  「お布施したい人がしてるだけなんだから・・・」 と見る人がけっこういる。 けっきょく、無意識に「僧衣のイメージ」 に縛られているのだ。「悪人」 が聖職者のフリをしてひとを騙して稼いでいる事実が自分の意識下の先入観にあまりにも反するので受け入れられないのだ。そして、自分を 「寛容で心の広い人間」 としてアピールしようとする。

 

 

 

 

 

特に仏教徒ではない今のほとんどの日本人の深層心理ですら、僧衣のお坊さんを目にすると反射的に無意識の敬意が生じるのだ。だからこそ、それに乗じた罰当たりなニセ托鉢僧がおそらく過去五百年、後を絶たないのだ。「托鉢許可証」 はそれを防止するための苦肉の策なのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動画: 鎌倉の修行僧たちの本物の托鉢

この動画は12年前のものだが、私の町ではこうした托鉢僧達の姿は今でも変わらない。しかし、観光客が増えるにつれて、駅界隈で突っ立っているだけでぼろ儲けする偽坊主が出てきて、地元の人間は不愉快に思っているのだ。偽坊主は地元の真面目な修行僧達とは真逆の、「人を騙す悪人」 である。

 

 

 

 

 

詐欺師は口が達者

悪いことをする人間は、常に自分の悪事を正当化する理屈を考えている。

いつ突っ込まれても、必ず言い抜ける術を心得て用意している。

「自分なりに修行して托鉢をしているだけだ。どこが悪い?」

「托鉢許可証なんか無くたって、フリーの修行僧が托鉢して、何が悪い?」 

いろいろ言うだろうが、所詮、金儲けのために聖職者のふりをして世間を騙す悪人なのだ。

 

 

 

 

 

 

実はこの偽坊主とはその後も同じ場所で、ツイートしたことも話している。この偽坊主は詐欺師の例にもれず、かなり能弁であり、決して黙っていられないタイプである。なので、第三者のフリをして、ザウルスのツイートに反論や批判を書き込んでいる。見る人が見れば、わかるはずだ。

言うまでもなく、托鉢サギの偽坊主は鎌倉だけでなく、日本中にいる。彼らの一部や元締めが今回の一連のツイートに気がついて、自分たちの 「しのぎ」 を守るために托鉢サギの正当化論をザウルスのツイートで必死に展開している。

何を言おうが、聖職者のフリをして、ひとを騙して金を得るのは詐欺師で、悪人なのだ。

 

「自分で修行して托鉢して、何が悪い?」    ご立派なリクツ!

 

● 托鉢許可証なし

● 所属寺院の表示なし

● 顔も隠してまったく正体不明

 

 

 

僧侶のフリで世間を騙して金を得ている悪人だからこそ、正体をすっかり隠して、必死に身バレを防いでいる。 「托鉢サギの修行」 をしているだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この現職僧侶のツイートがそもそもの発端:

賑わった場所に立っていれば、本物に見られることがあるのも当然わかっているはず。それでも平気でやっているのは、まともな人間の神経ではない。僧侶のフリして世間を欺いて稼ぎながら、「自分はフリーの僧侶なんだ!」 「ブッダだって、最初は一人だろ!」 と言い返す算段? いくらカッコつけた理屈をこね回しても、托鉢サギは賽銭泥棒と同列ではなかろうか?人々の信心からのお金を掠め取っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

募金、布施の構造:

お金を入れた後のすがすがしさは 「解放感」

「可哀想な人達」 の為に何もしていなかった自分・

「信仰心」 も無く、俗世にまみれた日々の自分・・・

そうした 「やましさ、後ろめたさ」 から解放された気分を味わう為の幾ばくかのお金・・・

そして、その受け皿を持つ無数の邪悪な手

 

 

多くの人は、騙されることによって悪を繁栄させている。

騙されていることが暴露されたら、今度はその悪を許容することによって、自分の寛容さ、心の広さをアピールして 「卑屈な優越感」 に浸る。

悪に無感覚な人間ほど悪に加担する。

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7 コメント

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お金じゃなくて飯 (とまとまと)
2023-10-08 16:15:37
托鉢なんだからアツアツごはん、
召し上がってくださいって
鉢に入れてあげればいいのかも。。。
Unknown (通りがかり)
2023-10-09 18:35:20
新宿の京王線の改札近くでチーンと鳴らしながら長年にわたり托鉢をしているニセ托鉢僧がいるのですが、それはフジテレビのノンフィクションでも番組になってました。
そこそこ食べていけるぐらい実入りがあった記憶が。
一度、ニセ坊主が!と一括してみたいです 笑
通りがかり さま (ザウルス)
2023-10-10 13:31:28
テレビに堂々と出ていたケースがあるとは驚きです。偽坊主の托鉢サギをノンフィクション番組で批判することなく紹介するということは、ひとを騙す行為を正当化するに等しいですね。
嘘や悪に無感覚な人間ほど、嘘や悪に加担しています。マスコミもそうです。
Unknown (テミリ)
2023-10-12 13:09:52
托鉢は立派な修行の1つだけど、忘れてはいけないのは、托鉢だけをしている僧侶はいない、ってこと。
托鉢は苦肉の策でしている修行で、生活に困ってないなら、無理に托鉢をする必要はない。
永平寺の修行僧も托鉢はするが、収入を目的とはしていない。
托鉢だけで生活した僧侶 (ぬこ)
2023-10-12 20:41:05
檀家を取らず、托鉢だけで生活された伝説の僧侶がかつて長野県におられました。残念ながら2015年に逝去されましたが…

↓の方のお師匠さんで、この方の講演会に行ったことがあります。町の守り神と親しまれ、何と生きているうちに銅像が既に立っていた、とのこと。

https://hankei500.kyoto-np.jp/archives/530

高級車を乗り回す僧侶が目立つ中で、このような本物の僧侶もおられます。世の中まだ捨てたもんじゃないです。
Unknown (通りがかり)
2023-10-12 21:59:09
フジテレビのザ・ノンフィクションという番組でしたね。
家に帰ると、一軒家なのですが、金を数えて普通の服に着替えて生活してました。確信犯ですね。
番組的には、托鉢僧に人生相談する人もいてそれに回答していたりもするので悪い人ではない、という描き方でしたが、詐欺みたいなもんですよね。

鎌倉駅前のニセ托鉢僧はぜったいザ・ノンフィクション見てすよw
Unknown (通りがかり)
2023-10-12 22:04:46
実は通りがかりではなく、結構みていたりもしてました。

チップチェッカーがある日から嘘のようにがらりと赤が消えたのを自分で確認しています。想像を超えたとんでもないことが進行しているかもしれないと実感しました。

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