戦場において様々な犯罪を犯す者の心理はどのようなものであろうか。早尾の観察によれば、平常時にはごく普通の人であるが、「第一戦気分」にのまれ、その時は犯罪とは考えず後になって後悔をするという。
「余ガ直接重犯、軽犯者ニ接シテ犯行ニ及ビシ動機ヲ検スルニ将兵ニシテ病的欠陥者ニアラザル限リ亦前科ノナキ限リ誠ニ同情ニ堪ヘヌ者ガ少クナイ。余ノ前ニ涕泣シツヽ慚愧シテ進ンデ罰ニ服シ名誉恢復ヲ誓フ所悉ク心底カラノ悔悟ト信ズベキ者ガ多イ。彼等ニアツテハ所謂「第一戦気分」ノ解釈ノモトニ不良行為ニ対スル観念ガ麻痺シテ居ルトシカ考ヘラレナイ。異口同音ニ『「第一戦気分」デヤリマシタ』ト答ヘル。全ク其ノ時ハ悪イコトダトハ考ヘヌラシイ。捕ヘラレテ俄カニ「恐ロシイ事ヲヤツテ了ツタ」ト気ガツキ気ノ毒ノ様ニ萎レテ居ルノヲ見ル。強姦、窃盗、掠奪、脅迫、横領、放火、殺人等アラユル重犯行為モ第一戦デハ見逃サレテアツタトシテモ秩序ノ恢復ト共ニ次第ニ是等ヲ犯セシ者ノ発覚ト共ニ旧ニ逆リテモ収監セラルヽ様ニナリ都市ト言ハズ地方ト言ハズ自治委員会ノ成立ト共ニ切リニ新犯者ガ収監サレテ来ル。其者デサヘモ「第一戦ノ気分デヤツタ」ト言フノデアル。兵ニ何時迄モ此ノ気分ヲ保持セシムルコトハ甚ダ遺憾ナコトデアリ良民ニ対スル犯行ハ許スベカラザル事柄デアル。」(81-82頁)
また、負傷して第一線から送られてくる将兵の態度が悉く悪いと早尾は言っている。なぜ悪いのか。これも「第一線気分」が原因であるという。早尾が第一線からの将兵に質問したところ以下のような回答が返ってきたという。
「其ノ理由ヲ尋ヌルニヤハリ「第一線デハ礼儀モナケレバ上官モ何モナイ。ドウセ死ヌノダカラ皆同等ダ。後方ヘ来ルト矢鱈ニウルサイ事ヲ言フ」ト第一線気分ガ失セナイ為トワカツタ。此ノ外ニ疲労ヤラ病苦ヤラ疼痛等ガ手伝ツテ気分ガ悪イコトニモヨルト考ヘル。万事ニツケテ此ノ「第一線気分」ガ将兵ヲシテ飲酒ノ勢ニ乗ジテ身ヲ過ラシムルモノト考ヘラレル。」(82頁)
犯罪を犯した将兵のほとんどは、後日自分の犯した罪を後悔するのだが、なかには後悔もしなければ反省もしない者もいるという。そのような者は大抵犯罪の常習者か刑務所から出所したばかりの人であるという。つまり前科者である。
「余ガ検査シタ人々ノ中ニハ一向自己ノ犯行ニ反省ノ色ノナイノガアルコノ場合ニ細検スルト内地ニ於テモ同様ノ行為ノアツタコトヲ話シタ。例之戦友ノ所持品(例ヘバ写真機)ヲ持チ出シテ売ツタリ借リタ金ヲ返サナカツタリ借リタ品ヲ入質シタリスル兵ハ同様ノ行ガ内地デモアツタ。即常習的ノモノデアル。更ニ亦注意スベキハ前科アル者デアル。其等ノ中ニハ刑務所カラスグ応召シタノモアル。新聞紙ハ切リニ彼等ノタメニ祝福シテ戦地ヘト送リ出シテ居ルケレド周囲ノ人ハ彼ヲヨク迎ヘナイ。彼自身モヒガミガアル。結局ハ自暴的ニナツテ遂ニ犯罪ヲ重ネル様ニナル。彼等ハ余ガ前ニアツテモ少シモ悔悟ノ念ハナクムシロ人ヲ怨ム傾ガアル。」(83頁)
犯罪者であるために軍隊内(内務班)ではあまりよく思われず、さらに犯罪を既に犯しているという意識に「第一線気分」も加わり、戦場における犯罪行為へとその兵をよりかきたてるのではなかろうか。
早尾が特に困った傷病者として挙げている者に花柳病患者がいる。
「某兵站病院ニハ花柳病患者ヲ収容スルコトニナツタ。何処ノ場所モ同ジテ花柳病患者ハ患者デアリナガラ患者ノ気持ガナイ。従ツテ私カニ酒ヲ飲ミニ出タリ女ヲ買ヒニ出ル者ガアル。患者ノ心理状態ハ前科アル者ニ酷似シタ点ガアル。兵站病院デモ某室長ガ伍長デアリ見習士官ニ取リ入リ其ノ印形デ酒ヲ買ヒ或ハ其背広ヲ借リ着用シテ無断外出ヲナシ租界ヘ遊興ニ出タ。同室ノ一兵ハ上官ガヤルノダカラ自分モヤツテモ差支ヘナイト考ヘテ四月三十日ノ晩ハ原隊復帰ナス兵ト飲酒シ五月一日ノ晩ハ飲酒後補助憲兵ノ腕章ヲ私カニ借用シテ無断外出ヲシタ。彼ハ慰安所ヘ到ル道ヲ知ラズ某部隊ノ厩ニ行キ当リ其処デ其ノ道ヲタヅネタ。其ノ時ニ酔ニ乗ジテ今病院ニ敵襲ガアルトイフ知ラセガアツタカラ患者デ分隊ヲ作ツテ是ニ備ヘテルト話シタ。彼ハ其処ヲ去リ慰安所ヘ向ツタガ亦道ガ知レズ今度其ノ部隊本部ノ前ヘ出タ。歩哨ハ既ニ伝令ニヨリ憲兵ガ敵襲アリト知ラセ歩イテルコトヲ耳ニシテ居リ伝令ハ各方面ヘ飛ンデ居タ時ダカラ直チニ此ノ憲兵ダト合点シタ。兵ハ此処デバレタト考ヘテ憲兵デハナク酒ノ上ニテ病院カラ遊ビニ出ル為メノ手段デアツタコトヲ自白シタタメニ本当ニ憲兵ニ引キ渡サレテ軍法会議ニ廻サレタ。此ノ兵ハ上官ノナスコトヲ見習ツテ自ラ罪ニ落チタノデアルガ自己ノ行為ニ対シテ反省スル念ガ少ナカツタ。」(84-85頁)
ここにもあるように、また、今までの考察にもあるように、早尾は軍紀・風紀の乱れの原因を将校の態度に求めている。
「亦将来ノ思想問題トシテ考ヘネバナラヌ事ハ将校ノ態度デアル。部隊中ニ人格高キ将校ガ揃ツテ居レバ其ノ部隊ノ兵カラハ決シテ犯罪者ハ出ナイ。反之兵ノ行為ニ対シテ兎角文句ヲ言ヒナガラ俺ハ将校ダカラト勝手ナ行為ニ出ル者ノアル部隊ニハ必ズ事故ガ多イ。「第一線気分」デ将校ガ先ニ立ツテ不正行為ニ出レバ部下ハ皆是ニ習フ。」(83-84頁)
「就中兵ノ気分ヲ害スルノハ将校ノ酒癖ト不品行デアル。例ヘバ上海ニ出テ来タ様ナ場合兵ハ兵站宿舎ニ泊リ極メテ質朴ナ日ヲ送ツテル(ママ)居ルノニ将校ハ旅館ニ泊ツテ不自由ナク過スバカリデナク兵ノ点呼後カラカフエー、舞踏場、料亭、淫売窟等ヲ歩キ廻ルナンテ事ハ誠ニヨクナイ事デアル。其ノ口フサゲニ兵モ慰安所ヘ行クナラ公用証ヲ出スカラ遠慮ナク行ケト規則ガ出来テル。此ノ逃ケ道ヲ作ツテ将校ハ遊ビニ出ル。上海料亭ノ前ハ夜ニ入ルト深更迄上官ヲ待ツ自動車ガ列ヲナシテ居リ絃歌嬌声夜ヲ徹センバカリ近所ノ日本居留民ヲアキレサセル有様デアル。待ツ兵隊コソ善イ機会ト亦適当ニ遊ビニ行ク。此ノ自動車ノ列ガ遂ニ余リ目立ツコトヽナリ待ツコトヲ禁止セラレタ。今度ハ夜半ヤ暁ニ迎ヘル為メノ自動車ガ切リニ来ル。上官ノ遊興ノ迎ヘニ出ネバナラヌ兵モ誠ニ気毒デアル。此ノ様ニ鉄面皮ニナツテ行キ公用ト私用トヲ混淆スルガ故ニ兵ハ決シテ上官ヲ能ク言ハナクナル。軍規ノ紊乱ハ将校ガ作ツテル結果トナル。地方ニアツテモ慰安所ヘ耽溺シ不正ノ金デ女ヲ落籍シタリ上海カラ私カニ芸妓ヲ呼ビ寄セテ付近ヘ住ハシメタリ慰安所ノ女ト共ニ「ドラブ」(ママ)シタリ散歩シタリ料亭ヘ入ツタリ或ハ高価ナ指輪ヲ売笑婦ヘ買ヒ与ヘタリ更ニ甚シキハ兵ニ強姦ヲ奨メンバカリノ言動ニ出デタリ慰安所ニ行カヌト言フタ兵ヲ精神病扱ニシタリ実ニ種々ナル事実ヲ挙ゲルコトガ出来ル。如此行ヲ見テ批難シタリ自ラ戒メテ居ル間ハヨイガ精神ノ緊張ヲ失フトキニ、或ハ第一戦気分ト酒気ニ乗ジテ兵ガ見倣フ様ニナルト誠ニ軍規ノ存在モナクナルコトニナル。要之犯罪ヲ少カラシムルニハ酒精ノ乱飲ヲ禁ジ「戦争ダカラ何ヲシテモ罪ニハナラヌ」トイフ心持ヲ矯正シ将校下士ガ先ニ立ツテ善キ範ヲ垂ルヽヨリ外ニ方法ハナイ。ソシテ将来ニ対シテハモツト教育ノ力ニヨツテ将兵ノ徳育ヲ向上セシムルコトデアル。」(86-88頁)
また、戦争が長引いてきたため徴集される兵士の中には予備役・後備役の者も多くなってくる。このような者たちは、部隊を指揮する将校より階級は下ではあるが、年齢が将校よりも上である。そのため、将校の命令に腹を立てたり、将校の態度を見て批難する者も出てくる。これらの関係も軍隊における軍紀・風紀の乱れの原因となっている。
「兵ハ一々上官ノ行為ヲ批評シテ問題ニスル時代ガ来ルト思フ。殊ニ今事変ハ殆ンド予後備ノ編成デアルカラ将校ヨリ兵ノ方ガ年齢ガ長ジテ居ル。従ツテ表面ハ星ガ上デアルカラ其ノ命ニ従ツテ居ルガ非紳士的行動ノアル将校ニ対シテ次第ニ嘲弄ノ言動ガ赤裸々ニ出デ遂ニ統制ガ乱レルコトハ少クナイコトデアル。此ノ点ガ在郷将校ノ徳育ノ足ラヌニ基因スルト叫バレタノデアル。然シ余ハ現役将校ニモ更ニ強ク其ノ行動ヲ謹ンデ貰ヒタイ心持ガスル。「在郷ダカラ」ト一口ニ兵カラ言ハルヽト同時ニ「現役ダノニ何テコトダロウ」ト言フ。何レニシテモ将校下士ガ不徳義ノ事ヲ絶対ニヤラナケレバ兵ハ必ズ悪イ事ハセヌト確信ヲスル。」(85-86頁)
これら将校の態度、戦争長期化による予後備兵の増加、そして早尾は指摘していないが付け加えるならば、大義名分のない日中戦争(目的が分からない)、いつ本国へ帰れるのか分からないという不安、こういった要素も加わり日本軍の軍紀・風紀の乱れはおさまらなかったのではなかろうか。