「ウルトラマン 脚本・金城哲夫の生涯 沖縄と本土の懸け橋に 民芸10日から舞台」
ウルトラマンの脚本を手掛けた金城(きんじょう)哲夫は、先の戦争で沖縄戦の惨劇を生き抜いた人だ。「沖縄とヤマト(本土)の懸け橋になる」と公言していた金城の生涯を描く舞台「光の国から僕らのために~金城哲夫伝」を、劇団民芸が10日から、東京・新宿の紀伊国屋サザンシアターで上演する。被災地を回り演劇を上演し続けている県立青森中央高校演劇部顧問で劇作家の畑澤聖悟(はたざわせいご)さん(51)が脚本を書いた。「楽天的で緩いのが、金城さんの強さ」というウルトラマン生みの親の秘話が語られる。 (五十住和樹)
メフィラス星人 黙れウルトラマン。貴様は宇宙人なのか、人間なのか。
ハヤタ隊員 両方さ。貴様のような宇宙のおきてを破るやつと戦うために生まれてきたのだ。
ウルトラマン第三十三話で登場するメフィラス星人に問われ、ウルトラマンに変身するハヤタ隊員が答える。宇宙人と人間をつなぐ存在だという言葉。沖縄と本土の懸け橋になると言い続けた金城を象徴する場面だ。畑澤さんは「金城さんには『両方さ』と即答する強さがあった」と言う。
ウルトラマンが登場する一九九〇年代、人間は戦争を克服し宇宙人や怪獣と戦う組織があるという設定。「夢のような世界。金城さんは一生懸命楽天的にしていた」と畑澤さん。沖縄戦で機銃掃射を浴び、左足を負傷した母親を置いて祖父に背負われ砲弾の雨の中を逃げたという金城だが、その経験をほとんど周囲に語らなかったという。
「努力して封印していたのが分かります」と畑澤さんは言う。東日本大震災では、同じ東北だが被害が少ない青森にいた自分は「当事者ではない」と感じた。高校生と被災地を回った演劇では「津波や原発事故の当事者による舞台にはかなわない」と自覚していたが、福島の高校の舞台を見て「当事者だから書けない」ことを痛感したからだという。
金城の遺族だけでなく、シリーズを制作した円谷プロダクションの同僚の脚本家で、やはり沖縄出身の上原正三さん(78)にも取材した。「上原さんは対照的に“沖縄の怨念”を作品に盛り込んだ」とみる。上原さんがメーンライターの「帰ってきたウルトラマン」では、沖縄の人たちが本土で受けた差別や、先の大戦で沖縄が本土防衛の捨て石にされたことを思わせる場面も出てくる。今回の戯曲で畑澤さんは、金城と上原さんが沖縄への思いをめぐってやり合う場面も描いた。
高校演劇を率いる畑澤さんだが、今の中高生たちは多様化しすぎて、苦境を助けてくれるウルトラマンのようなヒーローは持ちづらいという。地球から戦争が消えて沖縄にも基地などない。そんな世の中に、ウルトラマンは人類を助けに来る。「正義とか団結とかは恥ずかしくて、パロディーでしか口に出せない若者たち。そんなヒーローをつくった人の苦悩を、何一つ解決していない沖縄の苦悩を見てほしい」
<はたざわ・せいご> 1964年、秋田県生まれ。劇団「渡辺源四郎商店」を主宰、青森市を拠点に全国的な演劇活動をし、他の劇団への書き下ろしも多い。青森中央高校教諭で、演劇部顧問。2012年、全国高校演劇発表大会で同校の「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」(脚本・演出)が最優秀賞を受賞するなど、これまでに3回の高校演劇日本一に輝いている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016020402000184.html
http://www.gekidanmingei.co.jp/performance/2016/hikarinokunikarabokuranotameni.html
http://www.gekidanmingei.co.jp/news/2016/news20160128_01.html