つれずれに、、、
幼い時はほとんど母の手作りの服だった
次はどんな服ができるのか楽しみでカタカタミシンの側を離れられなかった
冬は冬で編み棒から生み出されるセーター、ベスト、帽子、手袋、、
古くなったセーターをほどいてヤカンの蒸気で伸ばして、、、新しい別の物に。
6歳の夏、二人でお弁当(おにぎりだけ)持って近くの小さな浜へ泳ぎに行った
その浜には母と私しかいなくて浮き輪で泳いだり浜で砂遊びしたり
あの波のキラキラは今でもはっきり覚えている
私が10歳の時弟が生まれ それ以降あまり母との思い出は浮かんでこない
厳しかった父の事の方が多く残っている
スパルタ教育だった 何度も手を上げられた
でも 良くひねくれもせず家を飛び出す事も無く(笑)大きくなったもんだ
遠く北海道から親戚もいない、食べる物や生活環境の違うところへよく嫁いできたものだ
九州のど田舎へ プライドだけは高い父の両親
「どこの馬の骨か分かん嫁もらってきて、、」と何度も言われ
父の弟達の嫁と比べられ、、辛い事が多かったようだ
そんな父の両親を最後まで介護した母
2011年 体調不良で受診して すい臓がんが見つかる
このままだとあと3ヶ月、良くても半年と宣告される
77で手術を受け膵臓、胃、十二指腸をグルっと摘出。
その時、リンパに転移していると言われた
さて、この先抗がん剤の投与でどれだけ生きられるものかと、、
なんだかんだで ゲートボールや、カラオケにも行けるほどに元気になった
そんな矢先、2015年父が悪性リンパ腫発病
2016年のはじめ入院、4月頃には自主強制退院 父は在宅治療を希望。
体力が落ちていく父は私に残されて1人になる母を頼むといった
これは母は知らない
そんなワガママな父も在宅で最後を迎えた。
2018年8月頃から母がご飯が欲しくないと言い出す
母には言ってなかったが主治医からは何があっても不思議はない状況である事は聞いていた
食が細りだんだんお粥と梅干ししか口に入らなくなる
無理矢理ヨーグルトや果物を勧める
口がその時の体調で変わって昨日食べたから今日も、、、とはいかない
2018年9月19日主治医から母に末期に入ったから入院した方がいいと言ってもらう
また ホスピスも紹介してもらう
なかなか私から入院を勧めても重大さがわからないようだったので。
「なんでこんなにまで生きんといけんかな〜」と言う母に
「生きたくても生きれん人もおるんやから 最後までちゃんとあんたらしくおらんと」
と、 かっこよく言った。
なのに 母のいないところで涙が止めどなく溢れる。溢れ落ちる。
2018年9月26日入院する あとこの家で過ごす時間はあとわずか、、、
多分 戻ってこれないだろう この家での生活。
幼い時はほとんど母の手作りの服だった
次はどんな服ができるのか楽しみでカタカタミシンの側を離れられなかった
冬は冬で編み棒から生み出されるセーター、ベスト、帽子、手袋、、
古くなったセーターをほどいてヤカンの蒸気で伸ばして、、、新しい別の物に。
6歳の夏、二人でお弁当(おにぎりだけ)持って近くの小さな浜へ泳ぎに行った
その浜には母と私しかいなくて浮き輪で泳いだり浜で砂遊びしたり
あの波のキラキラは今でもはっきり覚えている
私が10歳の時弟が生まれ それ以降あまり母との思い出は浮かんでこない
厳しかった父の事の方が多く残っている
スパルタ教育だった 何度も手を上げられた
でも 良くひねくれもせず家を飛び出す事も無く(笑)大きくなったもんだ
遠く北海道から親戚もいない、食べる物や生活環境の違うところへよく嫁いできたものだ
九州のど田舎へ プライドだけは高い父の両親
「どこの馬の骨か分かん嫁もらってきて、、」と何度も言われ
父の弟達の嫁と比べられ、、辛い事が多かったようだ
そんな父の両親を最後まで介護した母
2011年 体調不良で受診して すい臓がんが見つかる
このままだとあと3ヶ月、良くても半年と宣告される
77で手術を受け膵臓、胃、十二指腸をグルっと摘出。
その時、リンパに転移していると言われた
さて、この先抗がん剤の投与でどれだけ生きられるものかと、、
なんだかんだで ゲートボールや、カラオケにも行けるほどに元気になった
そんな矢先、2015年父が悪性リンパ腫発病
2016年のはじめ入院、4月頃には自主強制退院 父は在宅治療を希望。
体力が落ちていく父は私に残されて1人になる母を頼むといった
これは母は知らない
そんなワガママな父も在宅で最後を迎えた。
2018年8月頃から母がご飯が欲しくないと言い出す
母には言ってなかったが主治医からは何があっても不思議はない状況である事は聞いていた
食が細りだんだんお粥と梅干ししか口に入らなくなる
無理矢理ヨーグルトや果物を勧める
口がその時の体調で変わって昨日食べたから今日も、、、とはいかない
2018年9月19日主治医から母に末期に入ったから入院した方がいいと言ってもらう
また ホスピスも紹介してもらう
なかなか私から入院を勧めても重大さがわからないようだったので。
「なんでこんなにまで生きんといけんかな〜」と言う母に
「生きたくても生きれん人もおるんやから 最後までちゃんとあんたらしくおらんと」
と、 かっこよく言った。
なのに 母のいないところで涙が止めどなく溢れる。溢れ落ちる。
2018年9月26日入院する あとこの家で過ごす時間はあとわずか、、、
多分 戻ってこれないだろう この家での生活。