今週二人に遠回しに聞かれた。
自分でもよくわからんのだ。
辞めない理由ではない。
空手をやる理由が である。
あえていうなら
やはり師範が空手を続けられておられる理由に
似ているのかもしれない。
(師範とのレベルの違い云々は指摘されても困るし意味が無い)
大山総裁の晩年の大会には
「極真カラテは勝負偏重主義である」
と必ずポスターに書いてあった。
大切なことである。勝たねば意味が無い。
総裁が生きてこられた環境は負けは許されない。
自分もあらためて肝に銘じておきたい。
しかしながら思うのだが
当時の極真は
「大会偏重主義」であったようにも思う。
師範も
「極真空手は大会に特化しすぎてしまった」
とよく言われる。
極真について
よく空手関係者と話していると
「フルコンは~云々」
と話してくる。
つまり 『極真=フルコン』
なのだ。
ここが爺にとってはもろに違和感なのだ。
浜井師範ですら
極真カラテ=フルコンタクトカラテ
と言われているがどうもピンとこない。
入門当初(昭和48年)
オープントーナメントの存在すら知らなかった。
入門動機がそもそも違う。審査も興味なし。
単に強くなりたかっただけである。
では
なんで「空手」だったのか?。
さらには なんで「極真」だったのか?。
審査も試合も興味ない今となって
あらためて掘り下げていこう
という気になった。
入門に至る経緯は前に書いたとおりだが
http://moon.ap.teacup.com/0455312155/2016.html
師範が言われる
極真空手は大会に偏重しすぎた
と言われる前の本来の極真
に今 少なからず興味がある。
少しずつ掘り下げていきたい。
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