基本稽古での立ち方を
三戦立ちから騎馬立ちに変えてみたという
FB記事を読んだ。効果も著しいという。
勇志会はもともと極真会館渡辺道場で稽古されていた松井師範が佐藤塾に移籍後
さらに独立されてできた道場会派である。
こう言っては何だが
極真会館の三戦立ちがもともと変なのである。
ずばり足幅が広すぎる。
「基本は大きく組手は小さく」
という考え方なのだろうが
この考え方が日本空手でできたのは昭和10年代まで遡る
富名越義珍先生の写真を年代で追ってみるとわかるが
昭和10年までは歩幅がせまいのである。
本来の沖縄空手の歩幅であろう。
それが戦争間近の昭和15年には現在の歩幅の広さに変わってきている。
西洋体育的鍛練的要素を取り入れたというのもあるだろうが
講道館との交流も一つの理由ではないだろうか。
柔道と交流試合もどきをやれば
どうしても捕まえられて投げられる。
あくまで交流試合となればキンタマは蹴れない。
必然的に腰を落とすしかないだろう。
ずいぶん前に平直行氏が
前屈立ちは正面からつかまれた場合
騎馬立ちは後ろから掴まれた場合
対応できる立ち方である
と誌上公開していたが
昭和10年代初期に講道館勢に投げられていた空手勢が
必然的に対抗処置で完成された立ち方なのだと思う。
恐らく天才義豪先生が確立されたのではないだろうか。
ちなみに和道では足幅を広くする事はない。
講道館勢に空手勢が投げられても大塚師範は
対処に自信があったのだろう。
まあ前屈立ちと騎馬立ちはかまわないと思う。
問題は三戦立ちである。
目的が全然違う。ケツを締めあげ肩からも締めてその力を丹田でぶつけて鍛えているのが目的の立ち方である。
これをおっ広げて立つと前から強く押されたらすぐコケてしまう立ち方になる。
フルコンの練習ばかりで基本稽古をきちんとやっていないとこの立ち方になる。
金澤先生の本で二十四歩のところで三戦立ちが出ていたがかなり歩幅が広い。
これで締まるのか?。宮崎さんに聞いてみたら「松濤館の基本の立ち方は前屈立ち。他の立ち方は応用にすぎない」との回答を頂いた。それが本当ならダメだろ(笑)。どうやら大きく見せる(魅せる)のは大山倍達が最初ではないのかもしれない。
大山倍達も最初から今の極真会館ほど幅を広く取っていなかったようだ。
松濤館時代の影響なのかどうかはよくわからないが
山口剛柔自体他の剛柔よりやや幅が広いように感じる。
なんでこうなったのか西田師範に質問した事があったが
歴史的部分については教えていただけなかった。
俺が足幅を狭くして本来の剛柔の三戦立ちができるようになった(いまだに下手だが)のは
谷川先輩の指導のおかげである。
それまで極真会館の立ち方に慣れていたので最初西田道場に来た時には大変抵抗があった。
しかし幅を谷川先輩の指導通り本来の広さにすると腹の締まり いやさ身体のしまりが全く違う強さになるのだ。
小笠原先輩が極真会館が誤った身体操作を教えている部分について最近かなり調べた上でセミナーで公開しているがなかなか気がついていない人は多い。その意味では清武会にいて本当に良かったと感謝している。
コメント一覧
もん爺
熊王子
最新の画像もっと見る
最近の「お知らせ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
1995年
1991年
1985年
1984年
1980年
1978年
1971年
人気記事