16日に心不全で永眠された。
享年44歳である。
厚木基地時代に
仕事上でよく口論にもなったが
なにかとお世話になり
爺が辞める時に一番心配してくれて
思いとどまるように言ってくれたのが永井さんだった。
仕事が出来て幅広い知識と経験を持っており
特にコンピューターネットワークの
知識と技術力は半端なものではなかった。
当時の上司の荒井さんが
「(職場を改革する)黒船だ!」
と評価したほどである。
当時爺の班長だった尾辻君がそれにライバル心を燃やして
争いになりよく巻き込まれたものだが
それも懐かしい思い出である。
爺のレパートリーである
「超人バロム1」「マイティージャック」
を互角に歌えるのが永井さんだったのだが
昨年の横浜での集まりが最後になってしまった。
武相高校では神崎・古屋の友人である馬場氏と同期であり
保険会社時代は「大綱中学のねずみ男」とよばれた宮野尾と同じ職場ったので
爺とは浅からぬ縁だった。
お通夜の会場に遅れて入るなり
ザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」がかかった。
いきなり「♪どぶねずみ~!」である。
一瞬『永井さん、生きてんのか!』と思った。
(ずっこけるのをこらえるのに苦労した)
矢沢永吉の大ファンというか信者だが
音楽の好みが金子によく似ている。
根っからの反体制派なんだろう。
80年代前半の勢いある曲ばかりがBGMで流れていた。
奥さんもよく理解されているようだ。
学生時代やバイト時代はかなり暴れまくっていたようで
デビュー直前の中森明菜をバイクの後ろに乗せてかっ飛ばしたり
瀬谷通信隊警備に勤務するまでは
警察や右翼相手にかなり暴れていた人である。
いやはや
惜しい人を亡くした。
合掌。

永井さん(一番右)と最後のカラオケ。平成20年10月31日。