池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)
昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)
池田大作には「若き日の日記」の原本となる予定だった「大学ノート事件」がある。これは山崎正友氏が暴露していることである。(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)その内容を要約して書く。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。
北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』
【資料】
昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)
池田大作には「若き日の日記」の原本となる予定だった「大学ノート事件」がある。これは山崎正友氏が暴露していることである。(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)その内容を要約して書く。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。
北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』
【資料】
<妄想性障害>
妄想性障害は、もともと妄想性パーソナリティ障害がある人に発症する。また、妄想性パーソナリティ障害は成人期初期が好発年齢とされ、妄想性障害は成人期中期が好発年齢とされている。そして妄想性パーソナリティ障害はそれが冗談ではないかと考える余裕を持つが、妄想性障害ではそういう余裕は無い。すなわち妄想性パーソナリティ障害では説得により訂正可能であるが、妄想性障害では説得によっても訂正不可能である。
妄想性障害の誇大型は妄想性障害の一つの型であり「妄想が肥大した価値、権力、知識、身分、あるいは神や有名な人物との特別なつながりに関するもの」と定義されている(DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き)。
なお、妄想性障害はもともと妄想性パーソナリティ障害のある人に発症する。
妄想性障害はしばしば妄想性パーソナリティ障害とともに起こる。妄想性障害では人格は保たれ感情や行動の異常は見られない。
妄想性障害における妄想は理にかない不自然なものではない。例えば「友人はスパイで自分は隠しカメラで監視されている」という妄想に対し、妄想性統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
<妄想型統合失調症>
妄想が患者の思考の大部分を占めている。妄想を語らなければ、一見、統合失調症とは解らない。他のタイプに比べると人格は荒廃しにくい。発病年齢はだいたい三十歳前後である。
法の華三法行の教祖、GLAの高橋信二、麻原彰晃、統一協会の文鮮明などは妄想型統合失調症である。このように新興宗教の教祖には妄想型統合失調症が非常に多い。新興宗教の教祖で妄想型統合失調症でない例は少ない。
彼らは妄想の中に生きる。妄想の中に生きることによって心の平衡を保っている。また、社会的批判を避けることができている。
【考察】
「会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた」
これが池田大作を妄想性障害または妄想型統合失調症を疑った第一の理由である。
妄想性障害者および妄想型統合失調症者は妄想を紙に綿密に記することが多くある。その紙より妄想性障害、妄想型統合失調症と診断がつくことが多い。その紙がなければ妄想性障害、妄想型統合失調症と診断ができない。単なる引き籠もりと考えられることが多い。
池田大作は自分を日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、と豪語していたが、傲慢また自己愛性パーソナリティ障害からではなく、妄想に基づく言動とすることは十分可能である。
池田大作は自分が日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、という妄想の中で生きてきた。その妄想が宗門問題を生み、宗門から破門された。しかし宗門から破門されたのは、自分の上に人が居てはいけないという妄想から破門を仕掛けたのである。その妄想が訂正可能な妄想であったか、訂正不可能な妄想であったか、おそらく訂正不可能な妄想であったと思われる。すなわち、妄想性パーソナリティ障害を越え、妄想性障害に至っていたと推測される。タイプは誇大型である。しかし、妄想型統合失調症の軽症との鑑別が難しい。妄想型統合失調症の軽症である可能性は十分ある。池田大作には人格崩壊、人格破綻と捉えられるところがある。これは同時放送で頻繁に見られることである。巨大な権力の中枢に長年君臨してきた故の傲慢では説明できないと思われる。巨大な権力の中枢に長年君臨したならば却って王者としての優しさが備わるものである。池田大作には王者としての優しさは微塵も感じられない。
【例】に書いてあることは池田大作の妄想ゆえに起こった出来事の羅列である。
大宗教団体のトップであったため気付かれなかった(放置されてきた)特異な症例である。妄想性障害の場合は抗精神病薬はほとんど効果がないとされるが、妄想型統合失調症の場合は抗精神病薬の効果は大きい。妄想型統合失調症であったとすると精神科医が抗精神病薬を服用するように勧めなかったことは残念である。
池田大作が妄想型統合失調症であった場合、抗精神病薬を服用していたら、宗門戦争そして宗門から破門されるようなことはなかったと思われる。
(未完)
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆
資料】
<妄想性障害>
妄想性障害は、もともと妄想性パーソナリティ障害がある人に発症する。また、妄想性パーソナリティ障害は成人期初期が好発年齢とされ、妄想性障害は成人期中期が好発年齢とされている。そして妄想性パーソナリティ障害はそれが冗談ではないかと考える余裕を持つが、妄想性障害ではそういう余裕は無い。すなわち妄想性パーソナリティ障害では説得により訂正可能であるが、妄想性障害では説得によっても訂正不可能である。
妄想性障害の誇大型は妄想性障害の一つの型であり「妄想が肥大した価値、権力、知識、身分、あるいは神や有名な人物との特別なつながりに関するもの」と定義されている(DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き)。
なお、妄想性障害はもともと妄想性パーソナリティ障害のある人に発症する。
妄想性障害はしばしば妄想性パーソナリティ障害とともに起こる。妄想性障害では人格は保たれ感情や行動の異常は見られない。
妄想性障害における妄想は理にかない不自然なものではない。例えば「友人はスパイで自分は隠しカメラで監視されている」という妄想に対し、妄想性統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
<妄想型統合失調症>
妄想が患者の思考の大部分を占めている。妄想を語らなければ、一見、統合失調症とは解らない。他のタイプに比べると人格は荒廃しにくい。発病年齢はだいたい三十歳前後である。
法の華三法行の教祖、GLAの高橋信二、麻原彰晃、統一協会の文鮮明などは妄想型統合失調症である。このように新興宗教の教祖には妄想型統合失調症が非常に多い。新興宗教の教祖で妄想型統合失調症でない例は少ない。
彼らは妄想の中に生きる。妄想の中に生きることによって心の平衡を保っている。また、社会的批判を避けることができている。
【考察】
「会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた」
これが池田大作を妄想性障害または妄想型統合失調症を疑った第一の理由である。
妄想性障害者および妄想型統合失調症者は妄想を紙に綿密に記することが多くある。その紙より妄想性障害、妄想型統合失調症と診断がつくことが多い。その紙がなければ妄想性障害、妄想型統合失調症と診断ができない。単なる引き籠もりと考えられることが多い。
池田大作は自分を日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、と豪語していたが、傲慢また自己愛性パーソナリティ障害からではなく、妄想に基づく言動とすることは十分可能である。
池田大作は自分が日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、という妄想の中で生きてきた。その妄想が宗門問題を生み、宗門から破門された。しかし宗門から破門されたのは、自分の上に人が居てはいけないという妄想から破門を仕掛けたのである。その妄想が訂正可能な妄想であったか、訂正不可能な妄想であったか、おそらく訂正不可能な妄想であったと思われる。すなわち、妄想性パーソナリティ障害を越え、妄想性障害に至っていたと推測される。タイプは誇大型である。しかし、妄想型統合失調症の軽症との鑑別が難しい。妄想型統合失調症の軽症である可能性は十分ある。池田大作には人格崩壊、人格破綻と捉えられるところがある。これは同時放送で頻繁に見られることである。巨大な権力の中枢に長年君臨してきた故の傲慢では説明できないと思われる。巨大な権力の中枢に長年君臨したならば却って王者としての優しさが備わるものである。池田大作には王者としての優しさは微塵も感じられない。
【例】に書いてあることは池田大作の妄想ゆえに起こった出来事の羅列である。
大宗教団体のトップであったため気付かれなかった(放置されてきた)特異な症例である。妄想性障害の場合は抗精神病薬はほとんど効果がないとされるが、妄想型統合失調症の場合は抗精神病薬の効果は大きい。妄想型統合失調症であったとすると精神科医が抗精神病薬を服用するように勧めなかったことは残念である。
池田大作が妄想型統合失調症であった場合、抗精神病薬を服用していたら、宗門戦争そして宗門から破門されるようなことはなかったと思われる。
(未完)
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます