池田大作大悪鬼論
創価学会内部改革派憂創同盟残党
【はじめに】
池田大作はもともと大悪鬼であり広宣流布を阻止するためにこの世に生を受けた、とする意見がある。これを「池田大作大悪鬼論」と呼ぶ。この論は昭和四五年頃、池田大作に批判的な会内の一部から自然にわき上がってきたものである。誰が言い始めたのかは不明である。おそらくこれから創価学会内部改革派憂創同盟など会内批判派が発生したと筆者は推測する。
【考察】
広宣流布の気配を感じ取った“魔”は「広宣流布を為させるまい」とその頃、創価学会に入会した池田大作の身に入り込んだ。そして戸田城聖氏の会社で働くように仕向けた。(もしくは入会以前に池田大作の身に入り込み、創価学会に入会するよう誘導したのかもしれない。)
“魔”は池田大作に「この家には金がある」「この家には金がない」と感じ取る能力を与えた。および池田大作に借金を容赦なく取り立てる傾向性すなわち病気で寝ている老人の布団を匍いで持ってゆくことを何の容赦なく行わせる傾向性を植え付けた。そして金融業(現代のサラ金業)に於いて池田大作を大成功させた。(池田大作は信じ難いことだが当時の平均の百倍近くの給料を得ていたと言われる。小説「人間革命」の「この冬もオーバー無しで過ごさなければならない」は虚構である。また、その金で、多くの創価学会大幹部を自分の味方につけ、第三代会長の座を石田次男氏より奪うことができたと言われる。)
また、極めて激しい燃えたぎる権力欲を池田大作に植え付けた。すなわち「天下を取ろう」が口癖の池田大作を造り上げた。その極めて激しい燃えたぎる権力欲は池田大作を成功へ導いた。その極めて激しい権力欲は他のどの青年部大幹部(藤原行正氏、竜年光氏など)よりも断然に勝っていた。惜しいことに次期創価学会会長の最有力候補だった石田次男氏は学究肌で権力欲が無かった。それ故に請われた創価学会会長の座を辞退したほどだった。創価学会員というお人好し軍団の中に一匹、池田大作という狐が混じっていたのだ。
(未完)
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創価学会解散建白書
創価学会内部改革派憂創同盟残党
戸田会長は「創価学会が御宗門にたてつくようになれば、すぐに解散させてください」と時の御法主上人に常々申されていた。
現在、創価学会は祈る対象も滅茶苦茶、教義も滅茶苦茶、である。宗教団体としての体を為していない。
もともと、創価学会は日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった。一信徒団体が祈る対象を持つはずがない。
創価学会は現在、単なる政治団体に過ぎない。このことは創価学会自身がよく分かっていることである。
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【研究と報告】
池田大作の堕落
創価学会内部改革派憂創同盟残党
【はじめに】
池田大作は、創価学会会長という権力の頂点に立ち、次第に堕落していったと考える者は多い。これを一般に「池田大作堕落論」と呼ぶ。
池田大作の堕落には池田大作の自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害が大きく関与している。
【考察】
<池田大作堕落論>
「池田大作堕落論」を考察するには妄想性パーソナリティ障害を考えなければならない。
『この障害は強大な権力を持つ者、特に一代で成り上がった絶対権力者に非常に多く、独裁者の病であることが知られている。独裁者は常に他人に蹴落とされる可能性(それも命を失う可能性)を秘めており、部下を常時監視する必要がある。成り上がりの独裁者は自分が独裁者になる過程で、前独裁者を謀略で失脚させるようなことをしていたり、自身の暗殺計画が発覚したり、実行されたりすれば、より部下を信用することができなくなり、さらに命を狙われる可能性が常にある為、元々の性格はそんな兆候のない者でも、成り上がった独裁者は必然的に“妄想性パーソナリティ障害”になり、ならない独裁者の方が少ない。なお、普通の巨大な会社の社長や、巨大な宗教団体(特に新興宗教)の教祖にも見受けられる。(パーソナリティー障害:岡田尊司)』
妄想性パーソナリティ障害では、発達早期の段階で自尊心や自己愛に深刻なダメージを受けていることが多く(池田大作の極めて貧しい幼年時代、少年時代を思い浮かばせる)、その損傷や傷付きを想像的に保障しようとする過程で誇大自己的な妄想念慮が肥大してゆく。
中身のない虚栄心や表面的な自尊心が強く、他者を利己的に利用して価値を引き下げようとする部分で自分を特別な人間と思い込む自己愛性パーソナリティ障害と重複する。
狂信的な妄想性パーソナリティ障害は現実状況を否定する「妄想的な全能感」「誇大的な自己主張」によって拡散している自己アイデンティティを強化しており、肥大した自己愛の欲求を満たしている(まさに池田大作そのものである)。
自分に特殊な超能力があると信じ込む宗教指導者や、他者に理解することが困難な哲学を開示する孤高の思想家などに、このタイプの妄想性パーソナリティ障害が見られることがある。
また、妄想性パーソナリティ障害の患者は「自尊心をおとしめる批判・屈辱・否定・威嚇」に対して非常に敏感に反応する。池田大作が国会喚問を異常なほど恐れるのはこの故と思われる。池田大作は当たり前の対応に対しても“バカにされた”とひがむ。
妄想性パーソナリティ障害は「回避的なタイプ・強迫的なタイプ・狂信的なタイプ・悪意のあるタイプ・不平の多いタイプ」の五つのタイプに分類することができる。
「狂信的なタイプ」は自分の能力や信念の影響力を実際以上のものと錯覚して傲慢不遜な態度をとり、他者の価値の引き下げをしようとする。池田大作はこの「狂信的なタイプ」に相当する。
池田大作はこの「狂信的なタイプ」の妄想性パーソナリティ障害のみではない。自己愛性パーソナリティ障害を合併している。
次に、自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を書く。
301.81 自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される(誇大な感覚、限りない空想、特別感、過剰な賞賛の渇求、特権意識、対人関係における相手の不当利用、共感の欠如、嫉妬、傲慢な態度のうち五つ以上が当てはまることで示されるとされる)。
1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている(誇大的な自己像を思い描き、その空想的な思い込みの世界に浸っている)。
3)自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または団体で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4)過剰な賞賛を求める。
5)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する(他者と関係を持つにしても、それは自分の自尊心を支えるために人を利用しているに過ぎない。しかし言語的表現力が優れているので、うわべだけの思いやりを示すことには長けている)。
7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない(本当に意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりすることが出来ない。表面的な適応はさておき、他者との現実的な信頼関係を持つことが出来ない)。
8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9)尊大で傲慢な行動、または態度。
(DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き)
有名な逸話として次のようなものがある。
1)昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」(人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:高瀬広居)
2)原島嵩氏は池田大作が次のように述べたことを著書の中で書かれている。
「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩)
パーソナリティ障害は単独であることは少なく、合併することが極めて多い。すなわち、一種類のパーソナリティ障害だけであることは少なく、二種類ほどのパーソナリティ障害が合併することが多い。そして、妄想性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害が合併する例は非常に多い。
すなわち、池田大作は「狂信的なタイプ」の妄想性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害とが合併していると考えることができる。
池田大作は創価学会会長となった故に妄想性パーソナリティ障害に罹患したと考えられる。自己愛性パーソナリティ障害は成人期早期までに始まることが多いと言われる。池田大作が戸田城聖氏が経営する日本正学館に入社した頃には既にそれが口癖になっていたといわれる(池田大作・創価学会の真実:原島嵩)。この「天下を取ろう」が口癖となっていた頃には既に自己愛性パーソナリティ障害に罹患していたと考えられる。
池田大作は、昭和二十七年、結婚したかね子夫人が「夫(池田大作)が勤行をしないんです。これで良いのでしょうか?」と戸田先生に質問したと言われる。池田大作はかね子夫人の「何故、勤行しないんですか?」との問いに「自分は特別だから」と言ったということは有名である。
池田大作が自らを大聖人以上の存在と考え始めたのは昭和三十八年前後と推測される。パーソナリティ障害が妄想性障害に進んだのはこの頃と考えられる。
(未完)
精神鑑定は難しい。一人の罪人に精神鑑定を行うと3つもの異なる病名が出てくることがしばしばある。宮崎勤は、統合失調症、パーソナリティー障害、多重人格障害の3つの病名を3人の精神鑑定医から付けられた。
池田大作もこのように精神鑑定医により異なる病名を付けられる可能性が高い。筆者は前稿で「自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害の合併」と診断したが、妄想性障害または妄想型統合失調症である可能性も高い。現在では妄想性障害または妄想型統合失調症と考えている。その方がより池田大作の奇行などを十分に説明できると思われる。
【症例】
これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)
平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。
昭和四十八年頃に制作・放映された映画「人間革命」の主題は『一人の偉大な人間革命は一国の宿命転換を可能にし、やがて全人類の宿命転換をも可能にする』というものであったが、この一人とは池田大作自身のことを指していることは明らかであった。
元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」
池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p256)
「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これは秘かに自負している」
「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のお袋は八十一歳になるが、実は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意した。私は久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初めて数珠を持って題目を唱えながら、もう死の直前のお袋の体じゅうをさすってあげた。足も全部冷たくなっていた。———中略———すると六月末に死ぬのが、死ななくなってねー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を始めから始めると言っていた」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p252-3)
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