私はその日 五十肩の治療で 整形外科に 通っていました
病院の自動ドアが
開くと同時に
天と地が ひっくり返るかと 思う位の揺れが…
電柱はきしみ
空は 一瞬かきくもり この世の最後かと 思うような 景色を呆然と見ていた
いまおもうと
大きな窓の側は 危険だったと 思う
震源地から何キロも離れている北海道でこんなに酷いんだから、それは想像を絶しますよね!少し落ち着いて
待合室のテレビが
被害状況を 続々放送している ちょっと 気分がわるくなった
それでも 肩のリハビリの 治療が 始まり
ものすごく痛い
肩の注射は終わりました 汗
2011年の写真を
探してみた
全て消えていた
なんで?自分でも 解らない??
その前の年
旭山水族館に 行っていたんだよね
ペンギンの雪中行進
アザラシのトンネル抜け? ああ
前の年
被災された方にも
幸せな時間があったに違いないのに
一瞬にして 全てを失った
私たちにも いつおこるか解らないことだ 他人事ではない
未だに 北海道にも
二千人を越える方々が 避難しています
震災は まだ まだ
終わっていない
忘れてはいけない この日の事を
震災の年の 多分9月
くろたは 生まれた そして 翌年3月
家の子に なった
最初の写真は
ゲージに 引きこもりで オモチャも 遠慮して さわらないころです
被災者の方に自分で
協力できることは
いったい 何だろう
毎年改めて考え直さなくてはいけないことだと思いました。