玉野この1枚

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宇野港生みの親

2010-09-02 19:00:16 | 日記
 JR宇野駅下車 正面に産業振興ビルが見える。ビルの東側に小さな公園がある。その中に「檜垣 直右」の銅像が建っている。
 檜垣 直右は1851年に萩城下(山口県)の宇野家に生まれる。幼名を安之進と言い7歳で檜垣家の養子となる。名を直右と改名。
 1874年東京師範学校を卒業し、師範学校長を経て1893年官界へ。 1902年に岡山県知事になり、宇野港の重要性を説き、1905年宇野港築港案を県議会に諮ったが否決された。
 ところが1906年内務省の築港許可により工事が開始されている。ただし、工事開始時は休職扱いとなっている。現在であれば、県議会が否決した工事を知事の「原案執行」とはいかない。
 彼のお陰で今の宇野港がある。正に生みの親である。
 

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