[図表]ジャイアンツの捕手達_2010(←別窓で開きます) に登場する選手の略歴をまとめてみました。
NPBのHPとWikipedia、書籍が主な情報源です。
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◆ちなみに、セリーグ各球団捕手を年齢順に一覧化したこんな表もあります。
2010年セリーグ在籍の捕手達(←別窓で開きます)
◆その他、各球団の捕手に関する記事への目次(リンク集)はこちらです。
【目次】12球団の捕手達(2010年終了時点)(←リンク先の記事に移動します)
◆昨年のリンク集はこちら
【目次】12球団の捕手達(←リンク先の記事に移動します)
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※【 】内数字は2010年シーズンの背番号。他球団に移籍した選手は【移】、引退した選手は【引】と
載しています。
【10】阿部 慎之助(1979年3月20日生)2001読売~
・2000年ドラフト1位
・2001年開幕スタメンを務め、この年はそのまま127試合に出場。
村田真一選手に代わる正捕手として、1軍で起用され続け、経験を重ねる。
・入団当初から捕手としての評価より打撃面の評価が高かった。
コンバートの話が出るものの、本人の希望と原監督の捕手起用明言により、捕手継続となっている。
・時に3割を超える打率、本塁打量産によりチームの勝利に大いに貢献しているが、
2003~2006年は故障に苦しむ。
・2005年、2009年は打力をかわれて1塁手としても出場している。
・2010年は一塁手での出場も含めると140試合に出場。自己最多でありリーグ3位となる44本塁打を
放っている。また、2007年から4年連続、自身5度目のベストナインにも選ばれた。
※打撃成績での記録的活躍や、数々のタイトル(ベストナイン、ゴールデングラブ賞etc)の獲得など、
華々しい経歴をお持ちです。が、書き切れませんのでかなり省略させていただいております。
【引】村田 善則(1974年4月24日生)1993読売~2008
・1992年ドラフト5位
・1995年に一軍初昇格。1999年に1軍定着、2000年は工藤公康投手とバッテリーを組み、
試合出場数を自己最多の76試合に増やす。
2001年以降は、阿部選手が正捕手となり、自身は2番手捕手としてカバーに回る。
その後、星選手や加藤選手の存在や故障もあって試合出場機会は減少。2008年に引退。
【移】小田 幸平(1977年3月15日生)1998読売、2006中日
・1997年ドラフト4位
※「ドラゴンズの捕手達」に掲載する予定です。
【引】西山 秀二(1967年7月7日生)1986南海,1987広島,2005読売~2006
・1985年ドラフト4位
・1987年シーズン途中にトレードでカープへ。
1993年からは達川光男選手の後継者として正捕手になり、2002年までカープの本塁を守った。
・2004年のオフに自由契約となりジャイアンツに移籍。
2005年に引退し、2006年からはジャイアンツのバッテリーコーチに。
【40】加藤 健(1981年3月23日生)1999読売~
・1998年ドラフト3位
・2000年に1軍初出場、プロ初安打は2006年。2007年は阿部選手に次ぐ2番手捕手として開幕1軍入り。
2008年は怪我で出遅れる。その年の阿部選手の不振もあって鶴岡選手が加入。加藤選手は3番手捕手と
してチームを支え、出場機会を得るも、阿部選手不在の際の正捕手は鶴岡選手が起用される。
・2010年は捕手としての出場は1試合、途中出場を含めても4試合のみとなった。
【53】實松 一成(1981年1月18日生) 1999日ハム,2006読売~
・1998年ドラフト1位
・守備面で期待され、長打力がありながらも、打率の低さから正捕手争いには出遅れる。
2005年は高橋選手の故障により出場機会を得るが、目立った結果は残せず。
・2006年開幕直前にトレードでジャイアンツに移籍。
・2010年は2試合出場にとどまった。
【引】原 俊介(1977年8月30日生)1996読売~2006
・1995年 ドラフト1位
・強肩強打の選手として2軍で活躍。しかし村田真一選手の後の正捕手候補としては
村田善則選手、小田選手が起用された。その後阿部選手の控え捕手として1軍で役割を果たす。
・小田選手の移籍後は、星選手、加藤選手、實松選手の入団もあり、内野手や指名打者として
試合に出場。
・2006年に戦力外通告を受けて退団。
【43】鶴岡 一成(1977年5月30日生)1996横浜,2008読売~
・1995年ドラフト5位
・一軍初出場は2000年。しかし1軍に定着することは出来ず、
2004年は相川選手の不在(五輪出場)、中村武志選手の負傷により出場機会を得る。
2005年は2番手捕手、代打として1軍に定着し、2006年も相川選手の故障などにより出場機会を
得るが、2007年には出場機会が減少。
・2008年は武山選手が優先起用されていた。阿部選手の不振、加藤選手の骨折で捕手事情の厳しい
ジャイアンツにトレードで入団。2番手捕手として1軍に定着した。
・2009年は阿部選手と併用で起用され、グライシンガー投手とバッテリーを組む。
・2010年は阿部選手の打撃好調もあり、昨年より少ない31試合出場に留まった。
【58】星 孝典(1982年5月4日生)2005読売~
・2004年ドラフト6巡目
・2005年1軍初出場、翌日にプロ初安打。
・2007年,2008年は二軍で多数の試合に出場し、好成績を残す。
が、1軍を見ると實松選手、加藤選手、さらに鶴岡選手といったライバルと、
阿部選手の控え捕手争奪戦を戦っていかねばならない厳しい環境に置かれている。
・2010年の一軍試合出場は無し。
【引】 木村 拓也(1972年4月15日生)1991日ハム,1995広島,2006読売~2009
・1990年にドラフト外でファイターズに入団。
・以下、略!です。ごめんなさい。
「ユーティリティープレーヤー」で、投手以外のポジション全てを守れる、というこの選手、
どのエピソードを拾っていいのやら、と困り果てました。
というか「捕手」というカテゴリーに入れるのは変ですよね、この方の場合。
【27】市川 友也(1985年5月9日生)2010巨人~
・2009年ドラフト4位
・一軍初出場は2010年。3試合に出場したが、無安打に終わる。
この年、インターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれている。
【45】小田嶋 正邦(1979年4月12日生)2002横浜,2007巨人~2010
・2001年ドラフト3巡目で横浜に入団。
・一軍初出場は2002年。2003年は26試合、2004年は42試合と出場試合数を伸ばすが、2005年は
相川選手が全試合スタメン出場した影響もあり、出場試合数は7試合に留まる。
・2006年に長打力を活かす為に内野手に転向。同年オフにトレードで巨人に移籍。
巨人では捕手としての守備練習も行っており、2010年は2試合で捕手の守備機会があった。
同年オフに任意引退し、巨人軍のブルペン捕手を務めることになった。
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※【 】内数字は2010年シーズンの背番号。他球団に移籍した選手は【移】、引退した選手は【引】と
載しています。
【10】阿部 慎之助(1979年3月20日生)2001読売~
・2000年ドラフト1位
・2001年開幕スタメンを務め、この年はそのまま127試合に出場。
村田真一選手に代わる正捕手として、1軍で起用され続け、経験を重ねる。
・入団当初から捕手としての評価より打撃面の評価が高かった。
コンバートの話が出るものの、本人の希望と原監督の捕手起用明言により、捕手継続となっている。
・時に3割を超える打率、本塁打量産によりチームの勝利に大いに貢献しているが、
2003~2006年は故障に苦しむ。
・2005年、2009年は打力をかわれて1塁手としても出場している。
・2010年は一塁手での出場も含めると140試合に出場。自己最多でありリーグ3位となる44本塁打を
放っている。また、2007年から4年連続、自身5度目のベストナインにも選ばれた。
※打撃成績での記録的活躍や、数々のタイトル(ベストナイン、ゴールデングラブ賞etc)の獲得など、
華々しい経歴をお持ちです。が、書き切れませんのでかなり省略させていただいております。
【引】村田 善則(1974年4月24日生)1993読売~2008
・1992年ドラフト5位
・1995年に一軍初昇格。1999年に1軍定着、2000年は工藤公康投手とバッテリーを組み、
試合出場数を自己最多の76試合に増やす。
2001年以降は、阿部選手が正捕手となり、自身は2番手捕手としてカバーに回る。
その後、星選手や加藤選手の存在や故障もあって試合出場機会は減少。2008年に引退。
【移】小田 幸平(1977年3月15日生)1998読売、2006中日
・1997年ドラフト4位
※「ドラゴンズの捕手達」に掲載する予定です。
【引】西山 秀二(1967年7月7日生)1986南海,1987広島,2005読売~2006
・1985年ドラフト4位
・1987年シーズン途中にトレードでカープへ。
1993年からは達川光男選手の後継者として正捕手になり、2002年までカープの本塁を守った。
・2004年のオフに自由契約となりジャイアンツに移籍。
2005年に引退し、2006年からはジャイアンツのバッテリーコーチに。
【40】加藤 健(1981年3月23日生)1999読売~
・1998年ドラフト3位
・2000年に1軍初出場、プロ初安打は2006年。2007年は阿部選手に次ぐ2番手捕手として開幕1軍入り。
2008年は怪我で出遅れる。その年の阿部選手の不振もあって鶴岡選手が加入。加藤選手は3番手捕手と
してチームを支え、出場機会を得るも、阿部選手不在の際の正捕手は鶴岡選手が起用される。
・2010年は捕手としての出場は1試合、途中出場を含めても4試合のみとなった。
【53】實松 一成(1981年1月18日生) 1999日ハム,2006読売~
・1998年ドラフト1位
・守備面で期待され、長打力がありながらも、打率の低さから正捕手争いには出遅れる。
2005年は高橋選手の故障により出場機会を得るが、目立った結果は残せず。
・2006年開幕直前にトレードでジャイアンツに移籍。
・2010年は2試合出場にとどまった。
【引】原 俊介(1977年8月30日生)1996読売~2006
・1995年 ドラフト1位
・強肩強打の選手として2軍で活躍。しかし村田真一選手の後の正捕手候補としては
村田善則選手、小田選手が起用された。その後阿部選手の控え捕手として1軍で役割を果たす。
・小田選手の移籍後は、星選手、加藤選手、實松選手の入団もあり、内野手や指名打者として
試合に出場。
・2006年に戦力外通告を受けて退団。
【43】鶴岡 一成(1977年5月30日生)1996横浜,2008読売~
・1995年ドラフト5位
・一軍初出場は2000年。しかし1軍に定着することは出来ず、
2004年は相川選手の不在(五輪出場)、中村武志選手の負傷により出場機会を得る。
2005年は2番手捕手、代打として1軍に定着し、2006年も相川選手の故障などにより出場機会を
得るが、2007年には出場機会が減少。
・2008年は武山選手が優先起用されていた。阿部選手の不振、加藤選手の骨折で捕手事情の厳しい
ジャイアンツにトレードで入団。2番手捕手として1軍に定着した。
・2009年は阿部選手と併用で起用され、グライシンガー投手とバッテリーを組む。
・2010年は阿部選手の打撃好調もあり、昨年より少ない31試合出場に留まった。
【58】星 孝典(1982年5月4日生)2005読売~
・2004年ドラフト6巡目
・2005年1軍初出場、翌日にプロ初安打。
・2007年,2008年は二軍で多数の試合に出場し、好成績を残す。
が、1軍を見ると實松選手、加藤選手、さらに鶴岡選手といったライバルと、
阿部選手の控え捕手争奪戦を戦っていかねばならない厳しい環境に置かれている。
・2010年の一軍試合出場は無し。
【引】 木村 拓也(1972年4月15日生)1991日ハム,1995広島,2006読売~2009
・1990年にドラフト外でファイターズに入団。
・以下、略!です。ごめんなさい。
「ユーティリティープレーヤー」で、投手以外のポジション全てを守れる、というこの選手、
どのエピソードを拾っていいのやら、と困り果てました。
というか「捕手」というカテゴリーに入れるのは変ですよね、この方の場合。
【27】市川 友也(1985年5月9日生)2010巨人~
・2009年ドラフト4位
・一軍初出場は2010年。3試合に出場したが、無安打に終わる。
この年、インターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれている。
【45】小田嶋 正邦(1979年4月12日生)2002横浜,2007巨人~2010
・2001年ドラフト3巡目で横浜に入団。
・一軍初出場は2002年。2003年は26試合、2004年は42試合と出場試合数を伸ばすが、2005年は
相川選手が全試合スタメン出場した影響もあり、出場試合数は7試合に留まる。
・2006年に長打力を活かす為に内野手に転向。同年オフにトレードで巨人に移籍。
巨人では捕手としての守備練習も行っており、2010年は2試合で捕手の守備機会があった。
同年オフに任意引退し、巨人軍のブルペン捕手を務めることになった。