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阪神タイガースの狩野選手を応援しています。キャッチャー&守備重視。楽天イーグルスが大好きで、日ハムも応援しています。

[略歴編]ライオンズの捕手たち_2010

2011-01-18 23:35:50 | 各球団の捕手達
[図表]ライオンズの捕手達_2010(←別窓で開きます) に登場する選手の略歴をまとめてみました。

NPBのHPとWikipedia、書籍が主な情報源です。
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◆ちなみに、パリーグ各球団捕手を年齢順に一覧化したこんな表もあります。
 2010年パリーグ在籍の捕手達(←別窓で開きます)

◆その他、各球団の捕手に関する記事への目次(リンク集)はこちらです。
 【目次】12球団の捕手達(2010年終了時点)(←リンク先の記事に移動します) 

◆昨年のリンク集はこちら
  【目次】12球団の捕手達(←リンク先の記事に移動します)
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※【 】内数字は2010年シーズンの背番号。他球団に移籍した選手は【移】、引退した選手は【引】と
載しています。

【27】細川 亨(1980年1月4日生)2002西武,2011ソフトバンク~
・2001年 自由獲得枠
・一軍初出場は2002年。この年は正捕手伊東勤選手の活躍もあり2試合の出場に留まったが、翌年伊東
 選手が選手兼任コーチに就任すると、93試合に出場し正捕手候補として試合出場数を伸ばしていく。
・2006年は新人の銀仁朗(灰谷銀仁朗)選手の存在により99試合出場に留まったが、盗塁阻止率.469と
 守備面で活躍し、同年オフに伊東監督の着けていた背番号27を受け継ぐことになる。
・2007年は自己最高の139試合に出場し、盗塁阻止率も4割を超える成績を残した。
 翌2008年は怪我もありながら133試合に出場し、ファン投票によりオールスターゲームにも出場する。
 この年はベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞している。
・2009年は銀仁朗選手が多くの試合でマスクを被った為46試合の出場に留まる。
 翌2010年は銀仁朗の故障離脱もあったものの、上本選手の起用もあり出場試合数は112試合となった。
 同年オフにFA権を行使し、ソフトバンクに移籍が決定した。

【引】田原 晃司(1975年2月26日生)1993~2008西武
・1992年 ドラフト6位
・一軍初出場は2001年。
 入団後しばらくは正捕手伊東選手の存在もあり、なかなか出場機会に恵まれず、プロ9年目に初めて
 一軍の試合に出場する。この年は1試合のみの出場で、無安打となった。
・2003年には9試合、伊東選手引退後の翌2004年は28試合に出場し、細川選手、野田選手に次ぐ三番手
 捕手を務める。
・2005年は細川選手の不調もあり46試合に出場するが、翌2006年はその年入団した銀仁朗選手が二番手
 捕手として多く起用されたこともあり、15試合出場にとどまる。
・以降は一軍での出場機会は無く、2008年オフに戦力外通告により引退。
 現在はライオンズのブルペン捕手を務めている。

【22】野田 浩輔(1977年12月4日生)2001西武~
・2000年 ドラフト6位
・一軍初出場は2002年。この年は33試合に出場し、初安打・初打点も記録している。
 2003年は細川選手の台頭もあり36試合、翌2004年は37試合出場。2006年は7試合出場に留まる。
・2007年はDHでの出場もあって19試合に出場、打率.280出塁率は.378という数字を残すが、細川選手
 銀仁朗選手の活躍もあり、出場試合数に伸び悩んでいる。

【49】上本 達之(1980年11月8日生)2003西武~
・2002年 ドラフト6巡目
・一軍初出場は2005年。
 入団当初は伊東選手、細川選手、野田選手の存在もあり出場機会に恵まれなかった。
 2005年一軍出場機会を得るが、代打出場を含めても4試合の出場にとどまった。
 翌2006年2軍では捕手だけでなく外野手、三塁手としても出場し、翌2007年は1塁手として一軍出場
 も果たしている。
・2008年は主に二軍で出場し、一軍での出場試合数は一塁手・捕手での出場を合わせても17試合となる。
 2009年は出場試合数を58と伸ばし、捕手としての出場も46試合にのぼり、初のスタメンマスクも経験
 する。
・2010年シーズンは、銀仁朗選手の負傷離脱もあり、細川選手に次ぐ二番手捕手として73試合、一塁手
 や外野手、代打出場も合わせると91試合に出場し、打率も.264という数字を残している。

【引】椎木 匠(1971年7月25日生)1990中日,1998ロッテ,2003~2006西武
・1989年 ドラフト外
・一軍初出場は1995年。
 入団後しばらくは正捕手中村武志選手、控えとしては矢野選手の起用が主で、出場機会がなかった。
 1995年に一軍初出場を果たし、この年は27試合に出場するが、翌1996年は8試合、1997年は4試合と、
 出場機会は限られていた。
・1998年にトレードでマリーンズに移籍。同年は53試合に出場したが、清水将海選手や吉鶴選手、
 橋本 将選手らの存在もあり、以降の出場機会は多くなかった。
・2002年オフに交換トレードで、西武ライオンズに移籍したが、主に2軍での出場となり、
 2006年シーズン終了後に戦力外通告を受けて引退。その後は西武のブルペン捕手を務めている。

【2】銀仁朗[炭谷 銀仁朗](1987年7月19日生)2006西武~
・2005年 高校生ドラフト1巡目
・一軍初出場は2006年。高卒ルーキーながら開幕から一軍登録され、この年は54試合に出場する。
 翌2007年、2008年は細川選手が正捕手として出場試合数を伸ばす中、二番手捕手としての出場に
 とどまる。
・しかし2009年、細川選手が前シーズンの怪我の影響で出遅れる中、多くの試合でスタメンマスク
 を任される。この年は自己最高の112試合に出場。涌井投手とともに最優秀バッテリー賞を受賞
 した。
・2010年シーズンはオープン戦で負傷し、一軍試合出場は1試合にとどまった。

【63】吉見 太一(1980年7月23日生)2006~2010西武
・2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
・一軍初出場は2010年。この年は銀仁朗の故障離脱により出場機会を得て、代打出場も含めると
 6試合に出場した。守備には定評があるものの打撃に課題があり、無安打のまま2010年オフに
 引退した。2011年以降はライオンズでブルペン捕手を務める。

【39】岳野 竜也(1986年5月14日生)2009西武~
・2008年 ドラフト5位
・一軍初出場は2010年。
 銀仁朗の故障もあり、この年は2試合に出場。
 二軍では一塁手で出場することもある。




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