大河矢作川は歴史の川です数々の逸話に満ちています中でもここ岡崎から下流には鎌倉幕府領地であり多くの武将たちを排出しています昔から鎌倉街道と呼ばれ岡崎安城知立と繋がります。
半世紀前にはこんな中洲はなかったと思いますが何時の間にか下流域でも上流のような豊かな自然の姿と同じような風景を見せてくれます上流から水資源の利用多く水位が下がった結果と思う
志貴野橋から500m程上流に堰がある中央と右岸側には魚道が作られているこの堰から矢作古川が枝分かれし海まで二本の川となって流れている茶臼山を水源として50数キロ今ここに流てる