続きです。
【ただ一口の施し】
『修身録』第ニ巻十九
あなたが毎日いただく椀の中にある食物は、
今ここで食しても、やがてはあなたのからだから外に出ていく物だ。
ならば少しでも良い、
食を椀の底に残して、あなたが念ずる神仏に捧げよ。
そしてまた人にも施しをすべし。
これは大きい陰徳であって、
これこそ誠というものだ。
神仏はお喜び下さる。
たとえそれが肉であっても、
けがれ不浄だからと厭われることなどない。
ただあなたの誠ばかりを受け取って下さる。
また食べ残った椀の一口を、口に入れたところで、どんな益があると言うというのか。
これを施すことこそ、すぐれた慈悲であるのだ。
しかし食物を別にあつらえて施しすること、これは大きな罪だ。
ただあなたが食べるはずの分から施すことが本当の陰徳なのだ。
あなたの行いに誠のこころが宿るなら、
祈らずとも神は加護して下さることまちがいない。
(感想)
食べ物を残す
ことはやはり憚れます。
よって私は、
本来食べる量よりも少なめに盛ることの実践中です。
ブラックコーヒーのお供のキャラメルも2個から1個に減らしております、笑
ご飯も気持ち少なめに盛っております。
「陰」徳となる
そうですが、「陰」なので私には徳が貯まる物なのかどうかはわかりませんが、
なんとなく気持ちがいいので続いております。
南北さんがおっしゃるように「神仏は誠を受け取って下さる」
ということですので、気持ちの良い「思い」であれば届くのかなぁ。
もうかれこれ4年前でしょうか、
貝原益軒さんの『養生訓』を一生懸命読んでいた時には、
「厳しすぎるぜ!細かすぎるぜ!益軒さ〜ん」
とツッコミながら読んでいて、
気持ちよく読めていたのは、最初の総論のあたりだけだったかなぁ
それでも大変参考にさせていただいて、【エッセンス】は習慣となっております。
益軒さんは繰り返し繰り返し
「食べ過ぎるな!」
「食べたら動け!」
でした。
南北さんからいただいている【エッセンス】は、
「献食」
という神仏へ捧げる・他人への施しの【気持ち】【慈悲】の心です。
「気持ち」「思い」が届く
そういうことのようです。