地獄、餓鬼、修羅、畜生。
六道だったか六界の中の世界。
その人がどうゆう世界で生きるのかも現していると思う。
修羅の世界に身を置く事になったとし、
弱肉強食の勝負の世界。
勝負があらかじめ法則によって決められていて、地獄まで落ちる運命だったら。
因縁果報がある。自分の心がうつしだした世界。では自業自得の世界なのかと言うと、勝負の世界に身を置く事になった。何故。勝負の世界に引き釣り込まれた。何故。それは因縁果報だったのか。
違うだろ。でも怨念が造る世界はある。
あらかじめ勝負にならない勝負で地獄の三界に落ちる。結果は決まっていたとする運命論。
じゃ運命論は何だ。あちらこちらにメールしたけどオレが思うに大人の都合だろ。玄人の世界。シロートのオレには踏み込めない領域。
対処療法ならあるだろう。自分達が気が付く出来る範囲で。
でも、それもそうなる事も決められていたら。
運命論はオレは造りモノだと思った。
でも運命論の方向流れが定まった、ある一定の方向に進んでいるとしたら、
運命論は結果が決まってる。
では運命論を造りモノだとして、
一定の方向に進めている流だとし。
運命論を創り上げのは何か。
個人であり家であり、社会であり、こうゆうのが、 相関関係や因果の法則なのかもしれない。
余談だが、運命論者は自分の運命を知り自分で運命論を造れるのか。と言う事でもある。