観光客にも大人気の「元祖長浜家」
九州のラーメン屋で「バリカタ」は少数派? 意外過ぎる指摘も、店主は「ゆで方は“普通”が一番おいしいっスよ」
2024/10/21 06:14 (デイリー新潮)
「バリカタ」と言いたい
九州ラーメン、特に博多や長浜、久留米ラーメンを食べる時に麺の硬さを聞かれて「バリカタで」と答える人も多いだろう。だが、実は地元ではそれほどバリカタは頼まれていない印象があるのだ。むしろ「普通」と注文する人が多い。
私は佐賀県在住だが、通常行く店では「普通」を最初は頼む客が多く、「替え玉」でようやく「バリカタ」を頼む人が出てくる。食べ心地を変えたい人がその時に頼むわけであり、「味変」として「バリカタ」を頼んでいるのだろう。これらの店の店主に話を聞くと「『普通』が一番おいしいッスよ。『バリカタ』は私は好きではありません」という返事が複数から寄せられた。
元々、長浜の市場の忙しい労働者向けにササッと出せるよう長浜のラーメン店では細麺を採用し、「バリカタ」も生まれたという。それが全国の九州ラーメン店に広がったわけだが、とにかく東京で九州ラーメン店に行くと「バリカタ」注文率が非常に高い。
もはや条件反射のごとく「バリカタ」と言いたいのかもしれないのだが、散々九州ラーメンを地元で食べまくった身からすると「バリカタより普通がウマい」と力説したいのである。挙げ句の果てにはさらに茹で時間が短い「ハリガネ」やら「粉落とし」もある。さらにその上を行く「湯気通し」なんてものもあるのは正気の沙汰ではない。
バリカタ信仰
そもそも九州という地は麺が柔らかいのが伝統である。うどんを食べるとよく分かるのだが、讃岐うどんのような、硬くて腰が強いのとは真逆の「やわい」麺が九州のうどんなのだ。チェーン店を見ても「ウエスト」「資さんうどん」「牧のうどん」の御三家のうどんは柔らかい。腰を追及するよりも、食べやすさを追求している面がある。
そういったこともあり、本来九州人は「バリカタ」はそこまで好きではないのでは、というのが私の見解である。というわけで本稿では「オレは好きだ」という人のことは置いておいて筆を進めることにする。
昨今、ラーメン屋という存在は面倒くさくなり過ぎている。例えば東京・荻窪の行列ができる人気店は、漫画家・東海林さだお氏が“「麺道」の有段者が行く店で、店の中はピーンと空気が張り詰め、会話さえ許されない”と評したほど。他にも、「背脂チャッチャッ」「魚介ダシが絶品」「無化調」「二郎インスパイア」「豚の頭のみ使用」「味変」などと通が好むラーメン専門用語が次々と登場し、素人を寄せ付けない。
そういった“麺道”の系譜の一つに「バリカタ」はあるのである。九州では「普通で」と堂々と言えるのだが、東京で九州ラーメン店へ行くと「あっあっ、ふつうで……」と途端に弱々しくなってしまう。
権力を得たラーメン
勝手に周囲の客が「ケッ、このトーシローが(笑)」と嘲笑うのであろうと思い込んでしまっているわけなのだが、それほど東京における「バリカタ信仰」というものは強固である。私も20年ほど前、東京の博多ラーメン屋では同行者に従い「バリカタ」を頼んでいたものだが、実際に本場で食べ続けるにつれ、「普通」の方が圧倒的にウマいことに気付いてしまい、今では東京で九州ラーメンを食べるにあたっても「普通」を選ぶようになった。
「ラーメンには権力のにおいがする」――これは、かの有名なラーメンズ・片桐仁氏が2004年にテレビブロスの「ラーメン特集」の巻頭インタビューで述べたひと言である。そりゃあ高級寿司店やら高級フレンチで緊張するのは分かる。何しろ箸で寿司を食べたら周囲から「ケッ、素人が」と思われ、フレンチでビールを頼んだらウェイターから「チッ、分かってねぇなぁ。フレンチではワインだよ」と苦笑いされるものだから。
しかし、ラーメンは安価ながらもこの権威性と支配力を手にしたのであった。それは言うまでもなく客が勝手に「ラーメン道」という名の作法を生み出し、常連ならではの暗黙知を知らぬ客をバカにするところから始まっている。ラーメン二郎の「ヤサイマシマシアブラ」といった呪文のごとき言葉は、築地の料理店で丼の具部分だけを頼む「アタマ」などに共通する。
築地の場合は、常連客と店との間の阿吽の呼吸があるのだろうが、とにかく「ラーメン道」を追求する素人は、こうした符牒というか、呪文を言うことこそ通だと思い込んでいる。それは挙げ句の果てには牛丼屋で「ツユダクダクネギヌキギョク」などと言うまでになってしまったことに繋がるのである。
好きに食わせろ
えぇい、同じカネ払うんだから、お前ら「道」を究めたヤツらはあまり素人をいじめないでくれ! なんてことを思うのである。その点、横浜を発祥とする家系ラーメンの場合は、おおらかである。
というのも、家系の場合は麺の硬さ、スープの濃さ、油の量を聞いてきてくれる。ここには「通」の概念はなく、「各人が好きなようにしろ」という思想があるのだ。さらに、やたらとライスがスープに合うこともあり、ライスにキュウリの漬物を載せ、そこに豆板醤を載せてラーメンに入った海苔で巻く、といった行為こそ至宝! と考える者もいるし、「いや、私はそこにショウガとゴマをかけます」なんて人もいる。
家系ラーメンは各人がカスタマイズしながらそれぞれの丼を楽しむ伝統があるのだが、九州ラーメンはとにかく「バリカタがエラい!」という誰が作ったのか分からん伝統がまかり通っている。さらには「最初から紅生姜や高菜を載せるのは邪道」なんて言う人もいる。ラーメンぐらい好きに食わせろ!
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。
デイリー新潮編集部
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