美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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楽しさが感覚を磨く

2016年07月12日 00時22分38秒 | 日記
レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていた。
あらゆる楽しみの根底には、感覚的知性を磨くという真面目な目的がある。
「デッサン」を学ぶことは、そういった感性を磨くことができる。

「デッサン」の語源は、目的、計画、設計図、意図、企画などを意味していた。いずれその意味は「デザイン」へと展開していく。
「デザイン」は、生活の中の不快を快に転換する手段、発想。だから「デッサン」を学ぶことで、生活の中の様々な問題を解決する手段、日常を豊かなものにしていく発想の“素”を身につけることができる。


描いて考える

2016年07月12日 00時18分05秒 | 日記
ニュートンが万有引力や光によって色がみえることに気づく(発見)まで大半の人々は、リンゴが地面に向かって落ちることも闇で色が見えなくなる(認識できなる)ことも“当たり前”のこととして捉え、深く追求することはありませんでした。
芸術の世界でも“気づき”を続けてきた芸術家たちがいます。
人は経験の違いによって色の認識が違うことにゲーテは気づき、ダ・ヴィンチは回転しながら空に舞う葉っぱをみながらヘリコプターの原理を思いついたり、老若男女の違いを解剖によって発見したりし、画家のコローは光の演出によって奥行きを具体的に設定できることに気づいていきました。
賢人たちの“気づき”はジャンルを超えて、日常生活の“普通”のこととして認識されていき、結果的に広く社会に貢献しています。
このような感覚的知性をデッサンで磨いていくことができるのです。


情報収集の83%は視覚情報

2016年07月11日 20時44分00秒 | 日記
法王も高貴な僧侶も紫色をまとう。黄色は中国で最も高貴、アメリカではゴールドラッシュ、キリスト教では裏切り(ユダ)の色。 世界的に勝負色は赤。青は貴重で誠実な色。日本では青のパッケージが売れるがアメリカでは黄色が売れる。欧米では赤い絵が売れる。
知覚(五感)による情報収集の83%は視覚情報だから、色やものを意識してよく観ると楽しみが増える。

どの色が使われているかで、西洋絵画の読み解きができる。
赤=慈愛・殉教・権力
黄=異端者・邪悪さ
白=純潔・無垢 黒=禁欲・死
緑=希望・恋 青=誠実さ・悲しみ
多色、縞=社会の規範を乱す者

何が描かれているかで、西洋絵画の読み解きができる。
羊=純真・神への犠牲
鳩=清純さや犠牲の象徴・平和や愛を表わす
牛=生け贄・人類の犠牲となったイエスを象徴する
白鳥=音楽や愛を象徴 
ユリ=聖母マリアの純潔を象徴する 
花 バラ=愛と美。聖母マリアの純潔の象徴
ブドウ=イエスの生命の象徴。血を表す
サクランボ=イエスの受難と聖餐(キリスト教の儀式:最後の晩餐など)を象徴 
ドラゴン=災いをもたらす邪悪な存在。異教徒
兎=多産と色欲。聖母マリアの足元に描かれる時は色欲が純潔に打ち負かされることを示す。


100年続く、一瞬のきらめき

2016年07月10日 10時57分48秒 | 日記
絵は、作者が気づいた日常の些細なことや発見を描き残せたり、覗けたりできる魅力がある。
その気づきや発見に共感する人が多いほど、またそのテーマが時代に関係なく普遍的なものであるほど長い時間愛され続ける。

100年もの長い時間、絵に置き換えられているものは日常の中の一瞬のきらめき。そのきらめきにルノワールが気づいたからこそ絵が生まれた。
ピエール=オギュスト・ルノワールが残してきた日常の中の普遍的な一瞬のきらめきを絵に描かなければ、その一瞬のきらめきを私達が見直し、その魅力や大切さを意識することはなかった。

多くの名画は、そういった日常の中の宝物を多くの人に与えているから、時代を超えて長い時間、支持され続けている。