“自分らしさに気づくために”のつぶやき
『楽しいことが才能』
継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力がある。
目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、
自分を突き動かしている「欲求・衝動」を
与えられたものだと考えると
寸暇を惜しんでやってしまう
好きなこと楽しいことが才能。
『ラ・グルヌイエール』 1869年 ピエール・オーギュスト・ルノワール
『嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい』
感覚的知性を磨くことになる。
人工知能が、まだ人からほど遠いのは
「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」
「誰かが喜ぶからやる」といった感覚が人として大事なこと。
だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、
楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。
『君はなぜ描いているのだ』
師匠からの問いに対して
「楽しいから」と答え、破門されたルノワールは、
モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で
幸せそうに絵を描いていた。
そんなルノワールは絵画に輝きを与えた。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1876年 ピエール・オーギュスト・ルノワール
『あれこれできないといった思い込み』
先のことを漠然と考えると不安になる。
できる、できないかを考える前に
やれることから始める。
続けていれば、理想とするビジョンへの筋道がみえてくる。
一日一日、真っ当に生きている実感が未来の希望になっていく。
毎日の意図の繰り返しで、成長していく。
『絵を描くことも』
仕上がった達成感というよりは
「もっと良くしたい、もっと描きたい」
といった過程で成長が加速し続ける。
だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多い。
「幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える」
フランスの経済学者ダニエル・コーエン氏の言葉
ピカソのアトリエ
『近所の窓明かりが』
夕暮れ時、二階の部屋のベランダ越しに観える。
以前、訪ねたパリ郊外にある
様々なジャンルのアーティストたちが集う
アトリエ長屋の明かりの記憶がよみがえって心地いい。
郷里にいた頃は、いつも外には
壮大な桜島が様々な姿を魅せていた。
今は、東京の郊外の風景を観ながら英気を養う。
『積極的な面倒くさい』
は「やりがい」に代わる。
面倒が起らないように面倒くさいことをやっておくことと
面倒が起きてから、面倒くさいことをやらされることとは
雲泥の差がある。
『バベルの塔』 1563年 ピーテル・ブリューゲル
『人の話を聞かない幼児に比べて』
経験と知識が豊富な大人ほど見たものを歪めるフィルターが多く重なっている。
意識してよく観て、思い込みを剥がしていかないと
脳の劣化を進行させてしまう。
立ち止まったり、どうしても前に進めなかったり何もかも忘れたい人は
怠け者なんかじゃない。正しい。
『子供十態:雪ん子』 1929年 藤田嗣治
『モネの思いが込められた3枚の絵』
妻と子と過ごす時間、溢れ出る幸せ、
その瞬間を描いた4年後に妻はこの世を去る。
その7年後に亡き妻の面影を風景画のように描いた。
顔が描かれていない。
その後「人物画のルノワール、風景画のモネ」といわれたように
ほとんど人物を描いていない。
『散歩、日傘をさす女』 1875年 『パラソルを差す女(右向き・左向き)』1886年 クロード・モネ
『文化的な日常を過ごす』
心が満たされる生活とは、
高いお金を使って物質的な贅沢をすることではなく、
いつでもどこでも心の贅沢ができる感覚が、
いつの間にか磨かれていく日常を過ごす。
本当にほしいもの、求めているものは、
文化的な日常で身につけられる。
『疲れたらしっかり休んで』
やるなら笑ってやったほうがいいに決まっている。
明るい未来をイメージすることが 安心につながる。
無理をしないで、今できることから考える。
『そんなことで?』
でも、その人にとっては幸せなのである。
『燕子花図屏風』1701年と1702年の間 尾形光琳
『お父さん、おやすみなさい』
寝る前に毎晩、仕事をしているところにきて声をかけにきてくれる家族。
どれだけ、その一言で色んなことを取り戻せているか、
その嬉しい気持ちをいろんな形で伝えていきたい。
『誰かの出した答えを目指す必要はない』
答えはいつも自分で創造していくもの。
戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』
ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」
と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは
「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。
『ゲルニカ』 1937年 パブロ・ピカソ
『何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと』
勘違いをしている方がたくさんいる。
絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、
その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。
『ひまわり』
『好き!が未来を切り開く』
19世紀の西洋画家たちは、産業革命による写真の発明により失業していく。
仕事のためではなく、
自分の信じる絵を描き続けたかった画家たちは
独自の絵画様式を探求し始めた。
何を得たかではなく、何を与えたかで違いがでる。
『ラ・ジャポネーズ』 1876年 クロード・モネ
『印象派の画家たちは失業者だった』
19世紀に写真が発明され、それまで依頼されてきた肖像画、風景画などの
仕事が減少し職を失った。
クライアントがいないのだったら
自分が好きなもの、家族や友人、信じる絵を追求しようということになる。
マネ
『物足りなさや空しさは』
創造性を磨く時間を増やすことで解消されていく。
絵を描いたり観たり、ブログ、料理、園芸、筋トレしたり
音楽を聴いて、ぼ~っとイメージするだけでも創造性は磨かれる。
穴を掘るだけでも可視化される創作は
更に心が満たされていく。
そんな時間を無駄だと思い込まないこと。
『芝生』 2009年 文田聖二
『それまで出来なかったことが自分の伸びしろ』
出来ていないことの見直しが成長につながる。
悩むのではなく、
視点を変えて新しい情報を受け入れて
考えればいい。
『自信って、過去は関係ない』
未来へ向かう力だから、
自信は未来に向けて持つか持たないかだけ。
『二つの生きる』
「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき(永六輔さん)」
の考え方は、世の中の朽ちていくモノすべてに通じる。
人や物は、永遠に生き続けられないが
その想いは、誰かが引き継いでいく限り生きる。
『好き、楽しいと感じることで五感が磨かれる』
つまらなくなると脳も感触も引きこもってしまうらしい。
脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。
絵もどれだけ五感を複合的に連動して描いているかで、
その表現の説得力に差が出る。
『記憶の固執(柔らかい時計)』 1931年 サルバドール・ダリ
『自分も相手にも』
楽しい、嬉しいと思えることができる人は、幸せ者。
『みんなクリエイターになれる』
創作は、本質に向かうから面白い。
本質に触れると楽しい。
芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく
日常的な生活、仕事そのものに創造性が求められてきている。
創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、
やりがいや生きがいを感じられる。
『あれもできないし、これもできない』
実は「これもできるし、あれもできるようになっている」と考えて、
今の自分も相手も褒めてあげた方が、上を向いて前進できる。
『つらい時にも洒落ているイタリアのことわざ』
「どん底に落ちたら、もっと掘れ!」なんだか覚悟を感じるいさぎよい言葉
『やりがいと面倒くさいは紙一重』
誰かに指示されたり注意などをされたりしてからやることは、
面倒くさい。
誰かのために積極的に自分で判断してやることは
人に喜ばれ、やりがいになっていく。
『隣の時計をみない』
劇団四季の座長が、
それぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。
他人と比較することで劣等感や不幸を感じてしまいがちで、
どんな状況でも
「今の自分から少しでも」といった“前へ”が
自分を成長させ楽しさに繋がる。
『日本では、自然の一部として一体感を感じることで』
情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。
『働くと汗をかく』
帰宅をすると小学生の息子が「お仕事のにおいだね。」と声をかけてくれる。
その優しい気持ちで仕事の疲れが吹き飛ぶ。
やっぱり思いやりや愛情が、元気な未来を創っていくと思う。
『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』 1891年 ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン
『自分という人間は自分だけ』
好きなことが才能
続けられることが実力。
癖は魅力
磨かれた感覚が、自分らしい幸せを見つける力になる。
『キュクロプス』 1914年 オディロン・ルドン
『誰かを想う気持ちで、自分も癒されていく』
脳科学の分野でも相手への感謝の言葉や褒めることが、
自分自身がそう言われているように脳が認識していくことが
やっと分かってきたようです。
藤田嗣治
『周りの人より勝ことがいいと思い込み』
また、劣っているから駄目だと思い込み、
ついつい人と比べて辛くなってしまうが、比べないように意識したらすぐに楽になる。自分が少しでも成長し続ければいい。
『人に正解や決まった答えはなく』
あるとすれば
嬉しかったり、喜べたり、安心できること。
『日本人を見直す言葉』
坂東玉三郎氏の芸の目的は
「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」
『実は意外なほど、意識し考えて判断していない』
「普通はこうだ。一般的にはそうするはず。」といった
漠然とした枠が、フロイトの分析した前意識。
思い込みにとらわれてしまうと
日常のほとんどを無意識に判断し行動してしまう。
思い込みを取り外し意識して考えること、
正直な判断が「思い」
『働けるありがたさ』
「仕事がある」「契約をとる」「オファーがある」、
それを目的にするというよりは、
そんなことの一つ一つのつながりを
「縁」「チャンス」と捉えて精一杯やらせていただくといった
思いの強さが、
生きがいや喜びに繋がっていく。
『普通の人に焦点を当てた』
評判の町娘の名前を出した肖像画を世に出すなどして役人ににらまれながらも
絵で庶民を元気にするために貢献し続けた歌麿。
歌麿の身近な存在、日常の当たり前を見直す発想が
日本文化として現代に引き継がれている。
『寛政三美人』 1793年 喜多川 歌麿
『道端の草木や石ころに心を引かれる人もいる』
好きなことで楽しむと感覚は磨かれていく。
「そんなことで」
その人によって心が揺さぶられるものは違う。
幸せは、頭で考えるものではなく心と体で感じるもの。
五感を意識して使うと気分がいい。
『磯遊び』 2009年 文田聖二
『誰かに言われたからやれるものでもなく』
望まれたからできるものでもない。
心が動かないと体が反応しない。想いが行動を生む。
一歩を踏み出せれば、あとは自分らしく続けるだけでいい。
『素直にやりたいことは始める』
専門知識やスキルがないと表現することが出来ないと
勘違いをしている人が沢山いる。
創作にしても遊びや仕事にしても
まず必要で大切なことは、突き動かす衝動があるということ。
その思いを達成したい、誰かに伝えたい、残していきたいという
欲求があるということ。
『一つ一つ、丁寧に過ごしている粋な人は』
悩む隙間さえない。
目の前のやれることをやらなかったり、後回しにしたりすることが
将来の漠然とした不安につながっていることに
気がつきにくい。
『どうでもいいと思っていたはずなのに』
なくなると空しくなる「好き」は
空気のように意識しなくなった頃にまだそばにいてくれて
何となく、ないと困るということに気がつくと
大切にしようと想う。その想いを持ち続けること。
普通で日常過ぎて「どうでもいい」ことが大切。
『積みわら、日没』 1891年 クロード・モネ
『日本の侍は、争いを望んでいたわけではない』
平凡に家族と過ごし変わりなく繰り返せる生活の幸福感をかみしめていた。
侍は、朝起きて出かける前に自分が惨殺されることを常に想定していた。
一日の仕事を終え自宅に戻ってこられたら、
無事に家族の元に戻れたことを感謝して、
毎日を大切に生きていた。
『幸せは、なりたくてなるものではない』
幸せは、感じるもの。
同じ状況なのに幸せを感じる人とそうでない人との違いは
幸せを感じとる感覚が磨かれていないから、
幸せだと感じない。
幸せを感じる感覚は
誰かに何かに強い想いを抱いているとき
何かに打ち込んでいるといつの間にか磨かれていく。
ターシャ・テューダー(1915年- 2008年) 絵本画家・挿絵画家・園芸家(ガーデナー)・人形作家
『思い込みに縛られないように』
新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、言葉の文化交流が人には必要。
絵や音楽、言葉を使う最大の目的は、
人に心を自由にする開放感をあたえること。
『未来のことを知っている人はいない』
だから先のことは自分で決めればいい。
『自分のことをアーティストだとは思っていない』
9.11以降、犠牲者のために1日1本、鉛筆の芯を彫刻しているアメリカの大工ダルトン・ゲッティ。
彼は、自分の国の犠牲者のために「自分に出来ることをみつけてやっているだけ」と語る。
ダルトン・ゲッティ
『歴史に残る作家は』
特別な才能があったということより
思いを伝えるモチベーションが極めて高かったといえる。
画家になる前にゴッホは牧師だった。
ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人、
ルソーは税理士で、世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。
フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、アンリ・ルソー
『一日、何かやりたかったこと』
一つでもできれば、それで上等
「今日はこれができたから、それでいい」
「明日は、これだけやればいい」
いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。
一つ一つ、実現していくことが大事。
『長岡の花火』 山下清
『すべて、思い込みが邪魔をしている』
他の人にとっては、どうでもいいものやことで、
随分と気持ちが晴れたり、心が穏やかになったりする。
一日に一つでもそんな出会いや気づきがあると嬉しい。
見直す意識があればそんなことが意外なほどある。
『花は咲く場所を選ばない、咲く時を知っている』
居るところで登ってゆけ、目指す自分の高みをもてばいい。
『子供は走る』
階段などで「走ると危ない!」と何度注意しても
子供は走り回ることが大好き。疾走する感覚を磨く大切な時期。
ゆっくりぶらぶら立ち止まりながら歩く気持ちの落ち着いた感覚も良いが、
周りのことを気にしないで全力で走っている時の感覚を思い返して
大切なことを思い出しそうになる。
『メリー』 2009年 文田聖二
『好きなことや気になること』
追及して極めれば極めていくほど、
未だ至らないところが次々と見えてくる。
純粋に楽しめないときもあるけど
気づいたことを一つ一つ乗り越えて続けていくことで
その喜びも楽しみも深く広いものになっていく。
気がつくことは辛くもあるが、新しい目標ができて嬉しい。
『情熱が人の心と体を動かす』
誰かに言われたからやれるものでもなく、望まれたからできるものでもない。
心が動かないと体が反応しない。
思いが行動を生む。
無理をしないで、楽に一歩を踏み出せれば、
あとは続けるだけでいい。
マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898年-1972年) オランダの画家(版画家)
『物も事も人によって価値が違う』
こんなことしかできない。
こんなものしかもっていない。
といった自分の勝手な思い込みで
価値を下げている。
好きなこと、楽しんでいたこと、
続けてやってきたことの価値は
自分が考えている以上に高い。
『好きであること』
思いを実現する力の源。
好きなものに出すパワーは果てしない。
『誕生日』 1915年 マルク・シャガール
『先のことは誰もわからない』
明るい未来を想うのか、将来にいつも不安を感じて過ごすのかで
今に随分と違いがでる。
『ほどほどがいい』
穏やかで暖かい日差しでの日向ぼっこは気持ちがいい。
日差しが当たらなくても暖かい部屋の中は気持ちが落ち着く。
たとえ寒くても嬉しい言葉や絵、映画や本で感動すると心が温まる。
暖かいは、絶対に正しい。
暖かいは、体も心も守って、強くしてくれる。
『つまらなくなると脳も心も引きこもってしまう』
好き、楽しい、嬉しいと感じることで心身ともに磨かれていく。
脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。
絵も視覚だけではなく、どれだけ五感機能を使って描いているかで
その表現の深さ、説得力に差が出る。
理解することで脳が喜ぶ。
『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』 江戸時代(18世紀) 安藤広重
『学生時代に色んなバイトをして』
様々な人たちと共に働いた。問題がない職場はなく、みんな踏ん張っていた。
どこの誰だったかは覚えていないが
「どうせやるなら笑ってやった方がいいに決まっている。」
と言ってくれたことが今でも心を強くしている。
『ポッピンを吹く女』 江戸時代(18世紀) 喜多川歌麿
『大半の方が、絵を描くことを楽しめていない』
実際に描けているのに自信が持てない方も多い。
デッサン指導した社会人の皆さんから
「絵を観ることも描くことも楽しくなってきました。」
といっていただけるのが最も嬉しい。
『楽しいことが才能』
継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力がある。
目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、
自分を突き動かしている「欲求・衝動」を
与えられたものだと考えると
寸暇を惜しんでやってしまう
好きなこと楽しいことが才能。
『ラ・グルヌイエール』 1869年 ピエール・オーギュスト・ルノワール
『嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい』
感覚的知性を磨くことになる。
人工知能が、まだ人からほど遠いのは
「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」
「誰かが喜ぶからやる」といった感覚が人として大事なこと。
だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、
楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。
『君はなぜ描いているのだ』
師匠からの問いに対して
「楽しいから」と答え、破門されたルノワールは、
モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で
幸せそうに絵を描いていた。
そんなルノワールは絵画に輝きを与えた。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1876年 ピエール・オーギュスト・ルノワール
『あれこれできないといった思い込み』
先のことを漠然と考えると不安になる。
できる、できないかを考える前に
やれることから始める。
続けていれば、理想とするビジョンへの筋道がみえてくる。
一日一日、真っ当に生きている実感が未来の希望になっていく。
毎日の意図の繰り返しで、成長していく。
『絵を描くことも』
仕上がった達成感というよりは
「もっと良くしたい、もっと描きたい」
といった過程で成長が加速し続ける。
だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多い。
「幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える」
フランスの経済学者ダニエル・コーエン氏の言葉
ピカソのアトリエ
『近所の窓明かりが』
夕暮れ時、二階の部屋のベランダ越しに観える。
以前、訪ねたパリ郊外にある
様々なジャンルのアーティストたちが集う
アトリエ長屋の明かりの記憶がよみがえって心地いい。
郷里にいた頃は、いつも外には
壮大な桜島が様々な姿を魅せていた。
今は、東京の郊外の風景を観ながら英気を養う。
『積極的な面倒くさい』
は「やりがい」に代わる。
面倒が起らないように面倒くさいことをやっておくことと
面倒が起きてから、面倒くさいことをやらされることとは
雲泥の差がある。
『バベルの塔』 1563年 ピーテル・ブリューゲル
『人の話を聞かない幼児に比べて』
経験と知識が豊富な大人ほど見たものを歪めるフィルターが多く重なっている。
意識してよく観て、思い込みを剥がしていかないと
脳の劣化を進行させてしまう。
立ち止まったり、どうしても前に進めなかったり何もかも忘れたい人は
怠け者なんかじゃない。正しい。
『子供十態:雪ん子』 1929年 藤田嗣治
『モネの思いが込められた3枚の絵』
妻と子と過ごす時間、溢れ出る幸せ、
その瞬間を描いた4年後に妻はこの世を去る。
その7年後に亡き妻の面影を風景画のように描いた。
顔が描かれていない。
その後「人物画のルノワール、風景画のモネ」といわれたように
ほとんど人物を描いていない。
『散歩、日傘をさす女』 1875年 『パラソルを差す女(右向き・左向き)』1886年 クロード・モネ
『文化的な日常を過ごす』
心が満たされる生活とは、
高いお金を使って物質的な贅沢をすることではなく、
いつでもどこでも心の贅沢ができる感覚が、
いつの間にか磨かれていく日常を過ごす。
本当にほしいもの、求めているものは、
文化的な日常で身につけられる。
『疲れたらしっかり休んで』
やるなら笑ってやったほうがいいに決まっている。
明るい未来をイメージすることが 安心につながる。
無理をしないで、今できることから考える。
『そんなことで?』
でも、その人にとっては幸せなのである。
『燕子花図屏風』1701年と1702年の間 尾形光琳
『お父さん、おやすみなさい』
寝る前に毎晩、仕事をしているところにきて声をかけにきてくれる家族。
どれだけ、その一言で色んなことを取り戻せているか、
その嬉しい気持ちをいろんな形で伝えていきたい。
『誰かの出した答えを目指す必要はない』
答えはいつも自分で創造していくもの。
戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』
ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」
と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは
「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。
『ゲルニカ』 1937年 パブロ・ピカソ
『何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと』
勘違いをしている方がたくさんいる。
絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、
その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。
『ひまわり』
『好き!が未来を切り開く』
19世紀の西洋画家たちは、産業革命による写真の発明により失業していく。
仕事のためではなく、
自分の信じる絵を描き続けたかった画家たちは
独自の絵画様式を探求し始めた。
何を得たかではなく、何を与えたかで違いがでる。
『ラ・ジャポネーズ』 1876年 クロード・モネ
『印象派の画家たちは失業者だった』
19世紀に写真が発明され、それまで依頼されてきた肖像画、風景画などの
仕事が減少し職を失った。
クライアントがいないのだったら
自分が好きなもの、家族や友人、信じる絵を追求しようということになる。
マネ
『物足りなさや空しさは』
創造性を磨く時間を増やすことで解消されていく。
絵を描いたり観たり、ブログ、料理、園芸、筋トレしたり
音楽を聴いて、ぼ~っとイメージするだけでも創造性は磨かれる。
穴を掘るだけでも可視化される創作は
更に心が満たされていく。
そんな時間を無駄だと思い込まないこと。
『芝生』 2009年 文田聖二
『それまで出来なかったことが自分の伸びしろ』
出来ていないことの見直しが成長につながる。
悩むのではなく、
視点を変えて新しい情報を受け入れて
考えればいい。
『自信って、過去は関係ない』
未来へ向かう力だから、
自信は未来に向けて持つか持たないかだけ。
『二つの生きる』
「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき(永六輔さん)」
の考え方は、世の中の朽ちていくモノすべてに通じる。
人や物は、永遠に生き続けられないが
その想いは、誰かが引き継いでいく限り生きる。
『好き、楽しいと感じることで五感が磨かれる』
つまらなくなると脳も感触も引きこもってしまうらしい。
脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。
絵もどれだけ五感を複合的に連動して描いているかで、
その表現の説得力に差が出る。
『記憶の固執(柔らかい時計)』 1931年 サルバドール・ダリ
『自分も相手にも』
楽しい、嬉しいと思えることができる人は、幸せ者。
『みんなクリエイターになれる』
創作は、本質に向かうから面白い。
本質に触れると楽しい。
芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく
日常的な生活、仕事そのものに創造性が求められてきている。
創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、
やりがいや生きがいを感じられる。
『あれもできないし、これもできない』
実は「これもできるし、あれもできるようになっている」と考えて、
今の自分も相手も褒めてあげた方が、上を向いて前進できる。
『つらい時にも洒落ているイタリアのことわざ』
「どん底に落ちたら、もっと掘れ!」なんだか覚悟を感じるいさぎよい言葉
『やりがいと面倒くさいは紙一重』
誰かに指示されたり注意などをされたりしてからやることは、
面倒くさい。
誰かのために積極的に自分で判断してやることは
人に喜ばれ、やりがいになっていく。
『隣の時計をみない』
劇団四季の座長が、
それぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。
他人と比較することで劣等感や不幸を感じてしまいがちで、
どんな状況でも
「今の自分から少しでも」といった“前へ”が
自分を成長させ楽しさに繋がる。
『日本では、自然の一部として一体感を感じることで』
情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。
『働くと汗をかく』
帰宅をすると小学生の息子が「お仕事のにおいだね。」と声をかけてくれる。
その優しい気持ちで仕事の疲れが吹き飛ぶ。
やっぱり思いやりや愛情が、元気な未来を創っていくと思う。
『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』 1891年 ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン
『自分という人間は自分だけ』
好きなことが才能
続けられることが実力。
癖は魅力
磨かれた感覚が、自分らしい幸せを見つける力になる。
『キュクロプス』 1914年 オディロン・ルドン
『誰かを想う気持ちで、自分も癒されていく』
脳科学の分野でも相手への感謝の言葉や褒めることが、
自分自身がそう言われているように脳が認識していくことが
やっと分かってきたようです。
藤田嗣治
『周りの人より勝ことがいいと思い込み』
また、劣っているから駄目だと思い込み、
ついつい人と比べて辛くなってしまうが、比べないように意識したらすぐに楽になる。自分が少しでも成長し続ければいい。
『人に正解や決まった答えはなく』
あるとすれば
嬉しかったり、喜べたり、安心できること。
『日本人を見直す言葉』
坂東玉三郎氏の芸の目的は
「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」
『実は意外なほど、意識し考えて判断していない』
「普通はこうだ。一般的にはそうするはず。」といった
漠然とした枠が、フロイトの分析した前意識。
思い込みにとらわれてしまうと
日常のほとんどを無意識に判断し行動してしまう。
思い込みを取り外し意識して考えること、
正直な判断が「思い」
『働けるありがたさ』
「仕事がある」「契約をとる」「オファーがある」、
それを目的にするというよりは、
そんなことの一つ一つのつながりを
「縁」「チャンス」と捉えて精一杯やらせていただくといった
思いの強さが、
生きがいや喜びに繋がっていく。
『普通の人に焦点を当てた』
評判の町娘の名前を出した肖像画を世に出すなどして役人ににらまれながらも
絵で庶民を元気にするために貢献し続けた歌麿。
歌麿の身近な存在、日常の当たり前を見直す発想が
日本文化として現代に引き継がれている。
『寛政三美人』 1793年 喜多川 歌麿
『道端の草木や石ころに心を引かれる人もいる』
好きなことで楽しむと感覚は磨かれていく。
「そんなことで」
その人によって心が揺さぶられるものは違う。
幸せは、頭で考えるものではなく心と体で感じるもの。
五感を意識して使うと気分がいい。
『磯遊び』 2009年 文田聖二
『誰かに言われたからやれるものでもなく』
望まれたからできるものでもない。
心が動かないと体が反応しない。想いが行動を生む。
一歩を踏み出せれば、あとは自分らしく続けるだけでいい。
『素直にやりたいことは始める』
専門知識やスキルがないと表現することが出来ないと
勘違いをしている人が沢山いる。
創作にしても遊びや仕事にしても
まず必要で大切なことは、突き動かす衝動があるということ。
その思いを達成したい、誰かに伝えたい、残していきたいという
欲求があるということ。
『一つ一つ、丁寧に過ごしている粋な人は』
悩む隙間さえない。
目の前のやれることをやらなかったり、後回しにしたりすることが
将来の漠然とした不安につながっていることに
気がつきにくい。
『どうでもいいと思っていたはずなのに』
なくなると空しくなる「好き」は
空気のように意識しなくなった頃にまだそばにいてくれて
何となく、ないと困るということに気がつくと
大切にしようと想う。その想いを持ち続けること。
普通で日常過ぎて「どうでもいい」ことが大切。
『積みわら、日没』 1891年 クロード・モネ
『日本の侍は、争いを望んでいたわけではない』
平凡に家族と過ごし変わりなく繰り返せる生活の幸福感をかみしめていた。
侍は、朝起きて出かける前に自分が惨殺されることを常に想定していた。
一日の仕事を終え自宅に戻ってこられたら、
無事に家族の元に戻れたことを感謝して、
毎日を大切に生きていた。
『幸せは、なりたくてなるものではない』
幸せは、感じるもの。
同じ状況なのに幸せを感じる人とそうでない人との違いは
幸せを感じとる感覚が磨かれていないから、
幸せだと感じない。
幸せを感じる感覚は
誰かに何かに強い想いを抱いているとき
何かに打ち込んでいるといつの間にか磨かれていく。
ターシャ・テューダー(1915年- 2008年) 絵本画家・挿絵画家・園芸家(ガーデナー)・人形作家
『思い込みに縛られないように』
新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、言葉の文化交流が人には必要。
絵や音楽、言葉を使う最大の目的は、
人に心を自由にする開放感をあたえること。
『未来のことを知っている人はいない』
だから先のことは自分で決めればいい。
『自分のことをアーティストだとは思っていない』
9.11以降、犠牲者のために1日1本、鉛筆の芯を彫刻しているアメリカの大工ダルトン・ゲッティ。
彼は、自分の国の犠牲者のために「自分に出来ることをみつけてやっているだけ」と語る。
ダルトン・ゲッティ
『歴史に残る作家は』
特別な才能があったということより
思いを伝えるモチベーションが極めて高かったといえる。
画家になる前にゴッホは牧師だった。
ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人、
ルソーは税理士で、世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。
フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、アンリ・ルソー
『一日、何かやりたかったこと』
一つでもできれば、それで上等
「今日はこれができたから、それでいい」
「明日は、これだけやればいい」
いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。
一つ一つ、実現していくことが大事。
『長岡の花火』 山下清
『すべて、思い込みが邪魔をしている』
他の人にとっては、どうでもいいものやことで、
随分と気持ちが晴れたり、心が穏やかになったりする。
一日に一つでもそんな出会いや気づきがあると嬉しい。
見直す意識があればそんなことが意外なほどある。
『花は咲く場所を選ばない、咲く時を知っている』
居るところで登ってゆけ、目指す自分の高みをもてばいい。
『子供は走る』
階段などで「走ると危ない!」と何度注意しても
子供は走り回ることが大好き。疾走する感覚を磨く大切な時期。
ゆっくりぶらぶら立ち止まりながら歩く気持ちの落ち着いた感覚も良いが、
周りのことを気にしないで全力で走っている時の感覚を思い返して
大切なことを思い出しそうになる。
『メリー』 2009年 文田聖二
『好きなことや気になること』
追及して極めれば極めていくほど、
未だ至らないところが次々と見えてくる。
純粋に楽しめないときもあるけど
気づいたことを一つ一つ乗り越えて続けていくことで
その喜びも楽しみも深く広いものになっていく。
気がつくことは辛くもあるが、新しい目標ができて嬉しい。
『情熱が人の心と体を動かす』
誰かに言われたからやれるものでもなく、望まれたからできるものでもない。
心が動かないと体が反応しない。
思いが行動を生む。
無理をしないで、楽に一歩を踏み出せれば、
あとは続けるだけでいい。
マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898年-1972年) オランダの画家(版画家)
『物も事も人によって価値が違う』
こんなことしかできない。
こんなものしかもっていない。
といった自分の勝手な思い込みで
価値を下げている。
好きなこと、楽しんでいたこと、
続けてやってきたことの価値は
自分が考えている以上に高い。
『好きであること』
思いを実現する力の源。
好きなものに出すパワーは果てしない。
『誕生日』 1915年 マルク・シャガール
『先のことは誰もわからない』
明るい未来を想うのか、将来にいつも不安を感じて過ごすのかで
今に随分と違いがでる。
『ほどほどがいい』
穏やかで暖かい日差しでの日向ぼっこは気持ちがいい。
日差しが当たらなくても暖かい部屋の中は気持ちが落ち着く。
たとえ寒くても嬉しい言葉や絵、映画や本で感動すると心が温まる。
暖かいは、絶対に正しい。
暖かいは、体も心も守って、強くしてくれる。
『つまらなくなると脳も心も引きこもってしまう』
好き、楽しい、嬉しいと感じることで心身ともに磨かれていく。
脳も筋肉、モチベーションが高くなると発達していく。
絵も視覚だけではなく、どれだけ五感機能を使って描いているかで
その表現の深さ、説得力に差が出る。
理解することで脳が喜ぶ。
『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』 江戸時代(18世紀) 安藤広重
『学生時代に色んなバイトをして』
様々な人たちと共に働いた。問題がない職場はなく、みんな踏ん張っていた。
どこの誰だったかは覚えていないが
「どうせやるなら笑ってやった方がいいに決まっている。」
と言ってくれたことが今でも心を強くしている。
『ポッピンを吹く女』 江戸時代(18世紀) 喜多川歌麿
『大半の方が、絵を描くことを楽しめていない』
実際に描けているのに自信が持てない方も多い。
デッサン指導した社会人の皆さんから
「絵を観ることも描くことも楽しくなってきました。」
といっていただけるのが最も嬉しい。