美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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このブログは「アートは自分とは無関係、よくわからない」といった方にも読んでほしい

2019年10月06日 11時37分16秒 | 日記
美術館や画集で世界的な名画を鑑賞してもよく分からないのは、絵心や感性、才能の問題ではありません。言葉や文化が違う異国の書籍や映画を翻訳や字幕なしに眺めているようなものなのです。絵には、制作された成り立ちや題材の意図、技法の発展、画材の発明、画家の師弟関係やライバル、パトロン、影響を与えた人物や社会背景があります。その時代のサイエンスとも影響し合ってきたアートはすべての人に関係し、芸術家のエピソードは、すべての人の心に響くはずです。

 古代人が絵を描きはじめてから現代まで4万年ほどのアート ヒストリーがあります。そんなアートの歴史はヒトの進化の歴史ともいえます。古代では木の実などの樹液や土、血液などを混ぜて作った絵具と木の枝や動物の毛を画材として使い、中世ではモザイク画やフレスコ画などの技法が開発され、ルネサンス期以降、絵画技法の発展や油絵が発明されてから現代までの数百年に社会の変化に伴って絵画様式もその役割も変わっていきました。アートとサイエンスの発展によって、ヒトや社会の成長が促進されたともいえるのです。
 何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいます。絵にしても小説にしても勉強、仕事や遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があるということです。だから芸術の本当の魅力は、才能ではなく”強い想い”から浮き彫りになっていく作者自身の生きざまとそこから生まれた独特な表現なのです。

 芸術家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように読者の皆さんも十人十色の自分らしさを見つければ芸術家なのです。



両方が必要、両輪の連携が大切

2019年10月06日 09時35分59秒 | 日記
 19世紀に産業革命が起こった近代社会以降これまでは、今いるA地点からB地点をめざし「効率」を第一に考えてB地点という正解に速くたどり着くことが求められてきました。現在のサイエンスやAI(人工知能)が発達してきた情報社会では、今いるA地点から先に見えているB地点をめざすのではなく、まだ存在しないB地点を創造するための思考力が求められはじめています。

 「効率」よりも何を実現したいのかといった「想い・新しい価値観」が大切になってきたのです。

 クライアントからの「○を描いてくれ」といった依頼に対して、専門知識とスキルで完成度の高い○を描くのがデザイナーですが、「○ではなく△の方が良いと思いますよ」と創造性と高い思考力でクライアントの意識と満足度までも向上させていくのがアートデェレクターです。最近では、どんな仕事にも指示で動くデザイナーよりも新しい価値観、独創性を持って動けるアートデェレクターが必要となってきているのです。

 美意識、文化を日常的に感じていると生活に張りがでます。理論物理学者のアルベルト・アインシュタインが「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった」といった言葉を残しています。
人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・創造力を近代社会や学校教育でないがしろにしてきたことが現代人、社会に影響しているのです。

 現代社会の仕事や生活の中では記憶力、計算力、語彙力、情報処理力などの能力が求められていますが「可愛い、美しい」と感じたり感動したりする情動をつかさどる前頭葉が機能しなければ、家族や友達と幸せな日常を過ごすことはできません。人にはアートとサイエンスの両方が必要なのです。