日蓮聖人様が、佐渡に流罪となり初めて1歩を踏まれた
場所として「松ヶ崎・鴻ノ瀬鼻」を
ご紹介しましたが
今度は、お帰りになる前夜に宿泊されたという場所?を
ご紹介しましょう~(^^ゞ
ここです! 「日蓮堂・日蓮洞窟入り口」
ちょーシンプルにご紹介しちゃいました(笑)
小木港から羽茂方向に走ると、赤泊港の点前!
ぼ~っと走ってると見逃しちゃいますよ(^^ゞ
バス停は「真浦」という地区になります
う~ん☆
歴史がある方を調べるとうそを書きたくないから
簡単に書いているようで実は(^▽^;)
結構、みっちり調べて書いているんです~~~(´・ω・`)
だから時間がかかるの(;^ω^)
結構疲れるんです(^▽^;)
ここ真浦は、古き当時から海が荒れる時
船待ちをするにはいい津
つまりよい港だったようです
結局この前浜海岸のちょっとした港は
どこも舟の港として利用されていたんですね~
多田もそうだし~~ふむ(・・?
日蓮聖人さまは
一の沢(現:佐和田=河原田)の配所(お住まい地)を
3月13日にたたれて鴻ノ瀬鼻(多分…)から
一度は出航されたようですが
佐渡の春先は、まだ海も荒れ狂う日々
結局、強い風の為にここ真浦に引き換えし、
再度上陸し2日間船待ちをなさったようです
こちらは船待ちの為に一夜を明かしたというお話が残る洞窟(跡)
洪水で埋まってしまい、いくらか掘り返したとか…
(こちらは現地で頂いた資料から写真を借用致しました<(_ _)>)
こちらは日蓮聖人御出船の際
船を仕立ててお送りしたと伝えられる「日蓮堂」
地元の船元家の別当として
寛永2年に再建したお堂への階段です(^^ゞ
(上まで登る体力が~~~暑くてなかった(´・ω・`)すみません)
奥にちらっと見えるのが日蓮堂です☆
書跡では洞窟で1晩?
その後?舟元、永井三郎兵衛の家でお世話になり
そのお礼として薄墨の御曼荼羅を拝受し
大切に受け継がれています
出発は旧暦の3月15日朝、真浦から出航し
5、6町(1町は約109.09メートル)離れたところで振り返り
佐渡への名残を惜しまれ
朝日に向かって合掌なさると
静かな海面に「南無妙法蓮華経」の文字が
浮かび上がったと申します
これを「波題目」といい、信心深い方には見えるといいます
そう、信心が深くないと見えないのです。。。
すごいんですよ~☆
このお話は実は、続きがあって
対岸、つまり現、長岡市妙法寺というお寺の日鋭上人さまが
6万部もあるというお経(法華経)を読破(しかも2度?!)なさって
この真浦の地を訪れた時
その波題目が拝めたんだそうです~(*^^*)
その読破なさった6万部のお経は
現上越市にある村岡城跡内に
六万部山という小高い山(塚)があり
その中に納められているとのこと☆おお~真実味が益々湧いてきますね♪
こちらの写真の自然石の碑が寛永5年(1628年)
天野七左衛門が立てたという元?波題目の碑
あまりにもこの下↓の昭和41年整備の石碑が立派すぎて
もうちょっとで、横にあるこの石碑、撮影忘れちゃうとこでした…(^▽^;)あせあせっ
こちら↑は昭和41年に全国2,286名の信者の浄財で整備した
「日蓮聖人御出船の地 顕彰霊蹟」
日蓮堂は道路をはさんで山側、顕彰碑は海側になります♪
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