建築・都市空間の考働美学

建築・都市環境とその周辺をめぐり日頃、考えながら働き実践し湧き上る考働の美学を試みたいと思います。

謎めいた黒川さんはそういえばAB型

2007年10月14日 | Weblog
黒川紀章さんの通夜しめやかに 親近者、所員だけで行われたらしい。

謎めいた黒川さんはそういえばAB型
AB型の方には申し訳ない。

しかし、面白い行動をとるのは一般相場でB型系の人で、特に奇行というカテゴリーになると、AB型の人だから・・・・というのは日本では理解が得やすい。

色々な奇行を行った有名な建築家。ある意味で事業家でもある。
もう少し適切に言うと、奇行なんかしなくても正当な評価が得られた建築家。

建築家のナンセンスなパフォーマンスは20世紀前半の有名な建築家の
バイオグラフィーに時折でてくる。

建築家の巨匠コルビジェの友人達の変装パフォーマンス・パーティー。
彼は囚人服を好んで着たりした写真記録を残している。

ニューヨークの超高層ビル摩天楼(スカイスクレーパー)を建築していった建築家の集まりで自分の設計した「超高層ビルくん」に扮したコスプレ写真・・・・・。

・・・それにしても、黒川さんのパフォーマンスはミョウにアナーキーだ。

「いかにも鼻につく・・・なんだろうね。」という感じも。

しかし、その「?」や「!」が狙いなんだろうね。

「私の一見センセーショナルな行動を記憶に刻んでくれた皆さんよ。私の概念をひとつ置き土産にこの世に置いておくからね。」と言いたげだな。

もうこうなったら、
「現代アートパフォーマンス」を演じていたとしか言いようがない。
そう、見かけの表層的な奇異さの背後に隠喩的に隠された表現の本質。
間違いなく、彼は現代美術は理解している。

日本建築界には彼の敵も多かった。しかし、彼の著述や翻訳は、重要な
思想概念を提示し実践していった。その部分に国内外の多くのすばらしい評価が与えられたのだろう。彼は単に有名だけではなく、建築家の地位として「殿堂入り」している。

とかく建築家が建築家としての独自性から、避ける社会経済に関してのコミットの仕方も再考すべき点があるかもしれない。その点でも一つの建築家の生き方をしめした。新建築という建築界の重要な雑誌の元編集長が20年以上前に「生き残れる建築家像」という本をだした。建築家の処世術としてつまり、生き残れる建築家像として建築界で誤解の多い彼を批判できるだけの実践をつまり、それだけ建築家としてクライアントに説得して実作を実現させていくという意味合いで、他の建築家がどれほどしているだろうかという、社会的な存在としての建築家像のあり方を今一度考え直す必要があるようなことを記述していた記憶がある。

かつて彼は社会工学の研究所も併設していたし、デザイン会議の中でもオピニオンを取り仕切っていた。

しかし、それにしてもいわゆる鼻につく行動も対外的な顔でよく見せる建築家としては有名だろう。

最近のパフォーマンスは知ってのとおりなので割愛するが、
昔、いまでもホントなのかという刻まれた記憶があるものとして、
日本文化や茶室等のお茶の文化のときに語った言葉のなかで

「私はお吸い物の茶碗を開いたときにふたが湯気でしたたったお吸い物はまず、飲まないですね。吸い物の味付けがふたからしたたった水で味むらが出ますからね。」
といったのを学生時代、テレビで見た記憶がある。

「本当の文化人はこのぐらいこだわりを持つことが一流なのかな。」と思ったりした。それにしても、うるさすぎてこの人をもてなすのは大変だろうなとも思ったものだ。

その後、社会人になり、日本文化に触れる和食の機会を持つことができたが、残念ながら、上記のようなこだわりをお店で配慮するところはひとつもなかった。
あの京都の粋といわれる最高峰の俵屋旅館ですらそのようなこだわり配慮はない。

この場合、お店の方が「湯気で茶碗が水したたるとお吸い物がまともに賞味できませんからそうなる前にご賞味くださいませ。」と配膳したときに言えばよい。

しかし、そんなことを言われたこともなければ、配膳されていきなり吸い物が結露していて蓋を開ければ水が滴ったことは幾度も高級な和食どころで経験している。

「黒川紀章氏のマスコミパフォーマンスだな。」と体験を深めるたびに内心ますますそう思ってしまうわけだ。

しかしこれまた、日本の文化にはこのようなデリカシーにとんだ「可能性」があってもおかしくない特徴が世界に対して日本文化の特質としてあるのだよ。と読み替えてこの一件を読み解くと多くの示唆が派生してくる。

こうなると、彼のこのような一見センセーショナルな行動は、
現代美術家のアートパフォーマンス同様に解釈されておかしくない。

そんなことが、彼に対する解釈だな。

都市建築思想の面で今後も尊重していきたい作家だ。
しかし、デザイン表現世界にまだこの展開の可能性の余地を残して去っていったように思える。それは残されたものの追求すべき点でもある。

合掌。
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