オリンピック,良かったですね。
人づくりにはちょうどいい7年後,
色々な希望がそれに向けて生まれてきますね。
そういえば,逆転劇でしたね。
色々なロビー活動の力学がそうさせているのでしょうね。
次回2024にはパリが本命になるべく手を挙げるとかの話も。
そうなれば3度目の正直のマドリードで開催となれば,またヨーロッパのすぐ近くパリでは
?となるので,バルセロナ開催からそう遠くないスペインへの投票を
フランス圏からの投票が,50年ぶりの日本に廻ったとか,
それまでの世界各国が注目したあの悲惨な災害の福島復興に関して,
首相も半ば国際公約的な発言で望むので
今後7年間で精力的に復興をおこない,オリンピックを記念式典的セレモニーにもしたい意向があるので
協力してくれないかとか。
経済援助の話しも含めて,色々外交色が入り交じっていたかもしれませんね。
世の中が快方に向かう事を期待したいですね。
札幌も秋の様相を深めてまいりましたね。
さて,件名の通り,今年は建築家組織最大の世界建築家連合UIA2011世界大会が間もなく東京で行われます。
その大会の記念国際交流企画として行われるものです。
昨年,北海道の現代建築展をヨーロッパのバルセロナのカタルニア建築協会通じて国際展(ARQUITECTURA HOKKAIDO EN Barcelona)としておこないました。
その報告展とも言える今回の展覧会です。10月2日(日)~9日(日)まで札幌駅前通地下歩行空間,地下鉄大通駅側の「北1条憩いの空間」で開催されます。
私の作品も4作品展示しておりますので,ご高覧していただければと思います。
併せて,同時開催で北海道大学遠友学舎(北区北18条西7丁目)にてカタルニア建築展in北海道が開催されます。特に10月2,3日両日14:00からのイベントは乞うご期待かもしれません。
バルセロナは世界的な建築の宝庫でもあります。近代以降,有名な建築家アントニオ・ガウディの建築で知られて,現代建築でも刺激的で興味深い建築の創造や都市再生創造が盛んな地域です。
詳しくは掲載サイトをご覧下さい。
http://www.jia-hok.org/ph/news0914.pdf
さて,件名の通り,今年は建築家組織最大の世界建築家連合UIA2011世界大会が間もなく東京で行われます。
その大会の記念国際交流企画として行われるものです。
昨年,北海道の現代建築展をヨーロッパのバルセロナのカタルニア建築協会通じて国際展(ARQUITECTURA HOKKAIDO EN Barcelona)としておこないました。
その報告展とも言える今回の展覧会です。10月2日(日)~9日(日)まで札幌駅前通地下歩行空間,地下鉄大通駅側の「北1条憩いの空間」で開催されます。
私の作品も4作品展示しておりますので,ご高覧していただければと思います。
併せて,同時開催で北海道大学遠友学舎(北区北18条西7丁目)にてカタルニア建築展in北海道が開催されます。特に10月2,3日両日14:00からのイベントは乞うご期待かもしれません。
バルセロナは世界的な建築の宝庫でもあります。近代以降,有名な建築家アントニオ・ガウディの建築で知られて,現代建築でも刺激的で興味深い建築の創造や都市再生創造が盛んな地域です。
詳しくは掲載サイトをご覧下さい。
http://www.jia-hok.org/ph/news0914.pdf
昨年、築37年のご覧の写真の老朽化した、一見、普通のオーナーなら、
どうしようもないマンションを新築並みに、いや今の新築以上の生活利便性能の快適性能のマンションに再生した設計シリーズをご紹介します。
その名も「Vintage-R」
最後の「R」は
リファイン、リノベーションという再生の2Rと
リユース、レデュース、リサイクルという環境に優しい3R
5つのRがそこに基本的に込められています。
コンクリート構造は新築から約20年程してコンクリート強度が20%強度が上がる事をご存知でしょうか。
それから新築時の強度へむけて緩やかに下降してゆきます。
ですから、コンクリート構造はまともなら、50年は普通に持ちます。
何より証拠に鉄筋コンクリートの償却期間に47年と言う法定償却期間が設定されています。
実際,日本の歴史事例からすると、かなり初期のマンション建築で有名な関東大震災復興の象徴でもある東京の同潤会アパートのシリーズは70年以上超えて今でも存在しています。
その同潤会アパートの中でも有名な東京の表参道のケヤキ並木に溶け込み多くの人に愛着を持たれていたのは記憶に新しいところです。
(保存再生を惜しまれながら、建築家安藤忠雄氏の設計により,景観空間スケールを継承し,表参道ヒルズにほぼ建替更新されました。)
と言う訳で、
このマンションの元々の施工者がコンクリート構造が得意だった技術者上がりの社長の施工会社のその当時のメイン工事でもあったので、
トライしてみました。
電気や設備は地中配管の一つまで全て新品同様です。コンクリート断熱工法や高耐久15年保証の外壁塗装剤等、内外部は15年間メンテナンスフリーを目指しました。
改修工事の融資期間が15年設定にし調度、借入金が完全意終わる時に、新築建物程度の改修工事ですむ経済的な設定にしました。
幸い、グループで運営管理してますのでクライアントにしっかりあらゆる面でサポート&コンサルティングを行う体制をととのえました。
老朽化マンションで札幌のように積雪寒冷地の厳しい環境なら尚更の事、困っているマンションオーナーがいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。
案外数少ない興味深い突破口の解決策で色々な意味でこれから迎える相続リスク対策の一助としてもお役に立てれるのではと思います。
いかが,お過ごしでしょうか?
弊社のアーティステック/デザイナーズのラファイエシリーズブランドの作品が,また一つ誕生しました。
その名も CASA VILLAGE (カーサ・ヴィラージュ)。
都心3km圏,地下鉄平岸駅,徒歩五分という公園隣接の閑静な好立地です。
ゆとりのあるカップル、夫婦、小さなお子さん一人まで可能な45㎡、12畳大+6畳大のフレキシビリティ感ある1LDKが、限定16戸。
そして,
minimal designのspiral階段&living吹抜のある、16.5畳大+7畳大+6畳大にウォーク イン クローゼットもしっかり配備し、札幌でも貴重なゆとりの本格的メゾネット2LDKが,限定4戸という,合計20戸。親密なプライベート感のある9階建高層レジデンスです。
今回は春の雪解け間もない竣工直前の時期に,まだ空室のある住戸に間隙を縫ってセレクトした家具をサッと、社員と即興でインテリアコーディネートをしたのを下記に写真掲載してます。
この手の高層レジデンスをデザインしますと、
「分譲マンションですか?」
「いつから販売しますか?」
「どのくらいの間取りで、おいくらですか?」
と竣工間際に立ち会っていると、現地に訪れるお客様から
不思議と聞かれるケースが何故か多いのです。
「実は通常のコストの賃貸マンションなんです。これはデザイナーズマンション系で、賃貸入居なら可能です。」とお答えしたり。
でもそう聞かれるのは、打放しのコンクリートの外観の肌合いが高級に見えるからなのでしょうか。たしかに、私たちの手がける打放しコンクリートには経年変化に対する耐久性があります。特にコンクリート打放しに関して、フォルムを含め、コンクリートという素材のもつ形態フォルムの可能性の追求とエイジングデザインに独自の発想が弊社にはあります。
ですから、他の平均的な打放しコンクリート建築と比較して経年変化に違いがやはりでやすいようです。特にコンクリート打放し程,会社によりその差は明瞭にでやすいものです。
建築をとりあえず竣工したときまでの見栄えはよければ,あとは深く考えないでいいと考えるか、長期視点のストックとしてエイジングを考えるか。やはり、こういうところにデザインも含めて現れたりするものです。
そういった意味から考えますと,邸宅もおなじですね。
これからも,
一つ一つ,地域特性の素型や祖型の特殊解を求めつつ,
地域の建築文化における潜在的な環境可能性を,
理解と見識のあるクライアントの皆様と共に,
地域のすてき創りを醸成していきたいものです。
中国の貞観政要に出てくる有名な名言である。
創業は創業者の自由な意思がある。もちろんないないづくしの環境制約もあろう。しかし環境に柔軟に対応できやすい。
ひとたびサスティナブルになった企業の守成は
環境にそぐわないしがらみを抱える負の遺産が生じて、
マイナスからスタートしなければならない重荷がある場合が多い。
しかも過去の事業継承を時流にそぐわない状態でも強いられ、
本来あるべき理想形を十全に発揮できないブレーキが生じてしまうことが多くある。
いまだに時流に乗り、玉の輿的な楽して継承できるのならこんな
楽なことはない。
本来長期運営前提の事業継承は、守・破・離のステップを踏んで、
一度その企業を理念だけ残し、解体的な創造破壊で事業継承者によって新たな顧客の市場開拓ができるように創業されるべきなのが理想だ。
いま、既存企業がそこの地点に立たされている。
これは表現者の表現追求の優れたコンセプトワークとほとんど変わらない。
企業経営者は本質的な理念を再解釈して常に顧客の創造を創造的な破壊を時に企てながら追及する実践家である。
芸術家とその意味で全く相似している。
そのように芸術を非言語的参照系として向き合い吸収できる経営者が、
また、
そのような実務を求道する経営者に優れたエッセンスを表現として
刺激してやまない芸術家が
少しでも増え続けると、
景気に左右されづらい美術市場ができる気がする。
創業は創業者の自由な意思がある。もちろんないないづくしの環境制約もあろう。しかし環境に柔軟に対応できやすい。
ひとたびサスティナブルになった企業の守成は
環境にそぐわないしがらみを抱える負の遺産が生じて、
マイナスからスタートしなければならない重荷がある場合が多い。
しかも過去の事業継承を時流にそぐわない状態でも強いられ、
本来あるべき理想形を十全に発揮できないブレーキが生じてしまうことが多くある。
いまだに時流に乗り、玉の輿的な楽して継承できるのならこんな
楽なことはない。
本来長期運営前提の事業継承は、守・破・離のステップを踏んで、
一度その企業を理念だけ残し、解体的な創造破壊で事業継承者によって新たな顧客の市場開拓ができるように創業されるべきなのが理想だ。
いま、既存企業がそこの地点に立たされている。
これは表現者の表現追求の優れたコンセプトワークとほとんど変わらない。
企業経営者は本質的な理念を再解釈して常に顧客の創造を創造的な破壊を時に企てながら追及する実践家である。
芸術家とその意味で全く相似している。
そのように芸術を非言語的参照系として向き合い吸収できる経営者が、
また、
そのような実務を求道する経営者に優れたエッセンスを表現として
刺激してやまない芸術家が
少しでも増え続けると、
景気に左右されづらい美術市場ができる気がする。
建築作品発表をイタリアのトリノで下記の通り UIA2008トリノ大会の「New Horizon of Japanese Architecture」展に
5作品,ノミネートされました為,参加してきます。
日本全国の建築家の一人として国際展にて発表し,北海道から世界へ発信したいとも思っております。
今後ともひとつ,宜しくどうぞ。
記
本年6月、イタリアのトリノ市で国際建築家連合(UIA)世界大会が開催されるにあたり、
日本の建築家(或はグループ)の作品を展示し、日本の建築の諸相を広く世界中にアピールします。
会場は、イタリア、トリノ市の中心部にあるトリノ市の所蔵で、元王宮の一部を利用したギャラリー。
展示は有名ブランド「KRIZIA」のデザイナーが手掛けます。
期間:2008年6月29日~7月3日(5日間)
会場:Cavallerizza:イタリア、トリノ市旧市街中心に位置するギャラリー
趣旨:2011年のUIA東京大会に向けて、UIA大会参加者及びトリノ市民に対し、日本の建築と建築家を幅広く紹介する。
建築作品とその設計者を一組として指定のフォーマットデータにまとめ、展示する。
これにより、日本全国の、様々なジャンルの建築作品及びその設計者を、ヨーロッパを中心とした大会参加者に幅広く紹介する。
日本の現在の建築文化に対する理解を深め、2011年のUIA東京大会に対する興味を増加させることが期待できる。
黒川紀章さんの通夜しめやかに 親近者、所員だけで行われたらしい。
謎めいた黒川さんはそういえばAB型
AB型の方には申し訳ない。
しかし、面白い行動をとるのは一般相場でB型系の人で、特に奇行というカテゴリーになると、AB型の人だから・・・・というのは日本では理解が得やすい。
色々な奇行を行った有名な建築家。ある意味で事業家でもある。
もう少し適切に言うと、奇行なんかしなくても正当な評価が得られた建築家。
建築家のナンセンスなパフォーマンスは20世紀前半の有名な建築家の
バイオグラフィーに時折でてくる。
建築家の巨匠コルビジェの友人達の変装パフォーマンス・パーティー。
彼は囚人服を好んで着たりした写真記録を残している。
ニューヨークの超高層ビル摩天楼(スカイスクレーパー)を建築していった建築家の集まりで自分の設計した「超高層ビルくん」に扮したコスプレ写真・・・・・。
・・・それにしても、黒川さんのパフォーマンスはミョウにアナーキーだ。
「いかにも鼻につく・・・なんだろうね。」という感じも。
しかし、その「?」や「!」が狙いなんだろうね。
「私の一見センセーショナルな行動を記憶に刻んでくれた皆さんよ。私の概念をひとつ置き土産にこの世に置いておくからね。」と言いたげだな。
もうこうなったら、
「現代アートパフォーマンス」を演じていたとしか言いようがない。
そう、見かけの表層的な奇異さの背後に隠喩的に隠された表現の本質。
間違いなく、彼は現代美術は理解している。
日本建築界には彼の敵も多かった。しかし、彼の著述や翻訳は、重要な
思想概念を提示し実践していった。その部分に国内外の多くのすばらしい評価が与えられたのだろう。彼は単に有名だけではなく、建築家の地位として「殿堂入り」している。
とかく建築家が建築家としての独自性から、避ける社会経済に関してのコミットの仕方も再考すべき点があるかもしれない。その点でも一つの建築家の生き方をしめした。新建築という建築界の重要な雑誌の元編集長が20年以上前に「生き残れる建築家像」という本をだした。建築家の処世術としてつまり、生き残れる建築家像として建築界で誤解の多い彼を批判できるだけの実践をつまり、それだけ建築家としてクライアントに説得して実作を実現させていくという意味合いで、他の建築家がどれほどしているだろうかという、社会的な存在としての建築家像のあり方を今一度考え直す必要があるようなことを記述していた記憶がある。
かつて彼は社会工学の研究所も併設していたし、デザイン会議の中でもオピニオンを取り仕切っていた。
しかし、それにしてもいわゆる鼻につく行動も対外的な顔でよく見せる建築家としては有名だろう。
最近のパフォーマンスは知ってのとおりなので割愛するが、
昔、いまでもホントなのかという刻まれた記憶があるものとして、
日本文化や茶室等のお茶の文化のときに語った言葉のなかで
「私はお吸い物の茶碗を開いたときにふたが湯気でしたたったお吸い物はまず、飲まないですね。吸い物の味付けがふたからしたたった水で味むらが出ますからね。」
といったのを学生時代、テレビで見た記憶がある。
「本当の文化人はこのぐらいこだわりを持つことが一流なのかな。」と思ったりした。それにしても、うるさすぎてこの人をもてなすのは大変だろうなとも思ったものだ。
その後、社会人になり、日本文化に触れる和食の機会を持つことができたが、残念ながら、上記のようなこだわりをお店で配慮するところはひとつもなかった。
あの京都の粋といわれる最高峰の俵屋旅館ですらそのようなこだわり配慮はない。
この場合、お店の方が「湯気で茶碗が水したたるとお吸い物がまともに賞味できませんからそうなる前にご賞味くださいませ。」と配膳したときに言えばよい。
しかし、そんなことを言われたこともなければ、配膳されていきなり吸い物が結露していて蓋を開ければ水が滴ったことは幾度も高級な和食どころで経験している。
「黒川紀章氏のマスコミパフォーマンスだな。」と体験を深めるたびに内心ますますそう思ってしまうわけだ。
しかしこれまた、日本の文化にはこのようなデリカシーにとんだ「可能性」があってもおかしくない特徴が世界に対して日本文化の特質としてあるのだよ。と読み替えてこの一件を読み解くと多くの示唆が派生してくる。
こうなると、彼のこのような一見センセーショナルな行動は、
現代美術家のアートパフォーマンス同様に解釈されておかしくない。
そんなことが、彼に対する解釈だな。
都市建築思想の面で今後も尊重していきたい作家だ。
しかし、デザイン表現世界にまだこの展開の可能性の余地を残して去っていったように思える。それは残されたものの追求すべき点でもある。
合掌。
謎めいた黒川さんはそういえばAB型
AB型の方には申し訳ない。
しかし、面白い行動をとるのは一般相場でB型系の人で、特に奇行というカテゴリーになると、AB型の人だから・・・・というのは日本では理解が得やすい。
色々な奇行を行った有名な建築家。ある意味で事業家でもある。
もう少し適切に言うと、奇行なんかしなくても正当な評価が得られた建築家。
建築家のナンセンスなパフォーマンスは20世紀前半の有名な建築家の
バイオグラフィーに時折でてくる。
建築家の巨匠コルビジェの友人達の変装パフォーマンス・パーティー。
彼は囚人服を好んで着たりした写真記録を残している。
ニューヨークの超高層ビル摩天楼(スカイスクレーパー)を建築していった建築家の集まりで自分の設計した「超高層ビルくん」に扮したコスプレ写真・・・・・。
・・・それにしても、黒川さんのパフォーマンスはミョウにアナーキーだ。
「いかにも鼻につく・・・なんだろうね。」という感じも。
しかし、その「?」や「!」が狙いなんだろうね。
「私の一見センセーショナルな行動を記憶に刻んでくれた皆さんよ。私の概念をひとつ置き土産にこの世に置いておくからね。」と言いたげだな。
もうこうなったら、
「現代アートパフォーマンス」を演じていたとしか言いようがない。
そう、見かけの表層的な奇異さの背後に隠喩的に隠された表現の本質。
間違いなく、彼は現代美術は理解している。
日本建築界には彼の敵も多かった。しかし、彼の著述や翻訳は、重要な
思想概念を提示し実践していった。その部分に国内外の多くのすばらしい評価が与えられたのだろう。彼は単に有名だけではなく、建築家の地位として「殿堂入り」している。
とかく建築家が建築家としての独自性から、避ける社会経済に関してのコミットの仕方も再考すべき点があるかもしれない。その点でも一つの建築家の生き方をしめした。新建築という建築界の重要な雑誌の元編集長が20年以上前に「生き残れる建築家像」という本をだした。建築家の処世術としてつまり、生き残れる建築家像として建築界で誤解の多い彼を批判できるだけの実践をつまり、それだけ建築家としてクライアントに説得して実作を実現させていくという意味合いで、他の建築家がどれほどしているだろうかという、社会的な存在としての建築家像のあり方を今一度考え直す必要があるようなことを記述していた記憶がある。
かつて彼は社会工学の研究所も併設していたし、デザイン会議の中でもオピニオンを取り仕切っていた。
しかし、それにしてもいわゆる鼻につく行動も対外的な顔でよく見せる建築家としては有名だろう。
最近のパフォーマンスは知ってのとおりなので割愛するが、
昔、いまでもホントなのかという刻まれた記憶があるものとして、
日本文化や茶室等のお茶の文化のときに語った言葉のなかで
「私はお吸い物の茶碗を開いたときにふたが湯気でしたたったお吸い物はまず、飲まないですね。吸い物の味付けがふたからしたたった水で味むらが出ますからね。」
といったのを学生時代、テレビで見た記憶がある。
「本当の文化人はこのぐらいこだわりを持つことが一流なのかな。」と思ったりした。それにしても、うるさすぎてこの人をもてなすのは大変だろうなとも思ったものだ。
その後、社会人になり、日本文化に触れる和食の機会を持つことができたが、残念ながら、上記のようなこだわりをお店で配慮するところはひとつもなかった。
あの京都の粋といわれる最高峰の俵屋旅館ですらそのようなこだわり配慮はない。
この場合、お店の方が「湯気で茶碗が水したたるとお吸い物がまともに賞味できませんからそうなる前にご賞味くださいませ。」と配膳したときに言えばよい。
しかし、そんなことを言われたこともなければ、配膳されていきなり吸い物が結露していて蓋を開ければ水が滴ったことは幾度も高級な和食どころで経験している。
「黒川紀章氏のマスコミパフォーマンスだな。」と体験を深めるたびに内心ますますそう思ってしまうわけだ。
しかしこれまた、日本の文化にはこのようなデリカシーにとんだ「可能性」があってもおかしくない特徴が世界に対して日本文化の特質としてあるのだよ。と読み替えてこの一件を読み解くと多くの示唆が派生してくる。
こうなると、彼のこのような一見センセーショナルな行動は、
現代美術家のアートパフォーマンス同様に解釈されておかしくない。
そんなことが、彼に対する解釈だな。
都市建築思想の面で今後も尊重していきたい作家だ。
しかし、デザイン表現世界にまだこの展開の可能性の余地を残して去っていったように思える。それは残されたものの追求すべき点でもある。
合掌。