アフリカからイラン 北上して中央アジアを移動し
多分 ネアンデルタールやデニソワとも交雑したかもしれない
D1グループは中央アジアで二手に分かれた
中国を南下し海に辿り着いたグループ
そして
シベリアの南辺を辿り 満州に入り 朝鮮半島を南下し
対馬海峡を渡り列島に入ったグループ
最終氷期の最中であるが 対馬海峡は陸続きではなかった
もう一つ
アイヌの人達の頭骨が
古代ポリネシアやオーストロネシアの人々の頭骨と共通の特徴を持ち
初期の現生人類は海洋狩猟民であった事から
沿岸伝いにスンダ大陸 当時は海ではなかった南シナ平原を北上し
黄海平原に入り朝鮮山脈を左に見ながら 対馬海峡を渡ったのかもしれない
D1a2aへの変異が旅路の途中で起きたのか 列島内で起きたのかは定かでない
今から38,000年程前
後期旧石器人 YDNA-D1a2aが列島にやってきた
多分 数百人程度の小集団の数バンドだろう
刃部磨製石器 落とし穴猟 サークル型の集団住居群
その後 ストーンサークルを作り 黒曜石製品の制作工房を作り
海上交易に巧みでもあった
その頃 この辺は針葉樹林帯だっただろう
でも 当時の人は どのようにして良質な石材が出土する場所を見つけたのだろう?
この時代の平野部の遺跡は 海面上昇によって 今は海の底に沈んでいる
多分 約17,000年程前
樺太から北海道 朝鮮半島から九州へ 南北から YDNA-C1a1集団がやって来た
細石刃文化を携えてやって来た
寒冷な氷河期末期に縄文土器が生まれ
彼ら二つのグループは交雑し 縄文時代が始まる
縄文中期には栗栽培や陸稲栽培も始まり食料も豊かになった
縄文時代は約13,000年続いた
気が遠くなるほどの 長い日々
今から12000年前
世界の人口は100万人から1000万人の間と推定されるが定かではない
約3000年程前 縄文晩期弥生草創期
世界人口は 3,000万人ほどになっていた
遺跡数からの人口推計
列島の縄文人の人口 縄文後期の寒冷化で急激に減少し76,000人程であった
温暖化と共に
水田耕作を携えて 南中国の古代人の一つである倭人
YDNA-O1b2a1a1が 中国山東半島付近から
朝鮮半島南部や列島に三々五々渡ってきた
当時 殷が滅び 周が領土を拡大し 南中国は混乱に陥っていた
日本では博多地方から 本州・四国へ
朝鮮半島では釜山地方から 慶尚南道・全羅南北道・忠清南北道へ散開してゆく
倭人を共通項とする 環玄界灘文化圏が海を挟んで形成されていった
この頃 中国では まだ漢族はいない
列島では文字は無く 縄文語と融合し倭語が形成されてゆく
また初期の倭人は青銅器や漢字すら知らない人々だった
所謂 当時の庶民集団がやって来た
文化的には影響があったが 弥生人形成に大きく寄与しなかった
弥生と縄文のDNA分布にあまり差がないので 来たとしてもそう多くはない
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
周の時 天下太平にして 倭人来たりて暢草を献ず
周の時 天下太平にして 倭人来たりて暢草を献ず
これは華南の倭人が 周に薬草を献じたと言う記録
列島の倭人とは何の関係もない
倭人は中国における東夷の一つ
列島に渡来した倭人以外 中国には沢山の倭人集団が居た
光和元年(178年)遼西・遼東鮮卑の檀石槐の記録
この頃まで倭人は中国に居た 倭人は昔から海や河川や湖の水辺の漁労民だ
その風俗 外観 慣習を見て 中国人は倭人とした
背が小さく 操船や潜水や漁猟が得意で 入れ墨の風習を持つ倭人
アイヌは 彼らから入れ墨の風習を取り入れた
また 南九州の熊襲隼人もその風習を取り入れた
列島内では 縄文人と弥生人は遺伝子的に差異はあまりない
交雑がうまく行ってたのだろう
列島に来た倭人は少ないが文化的影響は大きい
弥生時代末 AD200年
弥生全期間 約1,200年かけて 列島の人口は600,000人程になった
全アジアの人口は1億5,000万人
漢の人口5,700万人
高句麗50万人位
現代の規準では 地方の中都市ぐらいの人々が列島に散らばっているわけだ
日本列島で 単純平均で 1年で436人しか増えないわけだから
死亡率も高かったんだろうな
だが 2,100年前頃
朝鮮半島北部が漢の植民地になり
中国は列島と朝鮮半島の倭人の存在を初めて知ることになる
そして 倭を知ったYDNA-O2の人々が列島に流入し始める
漢字や当時の中国文化が流入し 国の概念が列島に芽生える
日本列島で群雄割拠の混乱と縄文人・弥生人・漢人の本格的交雑が始まる
遺跡数 古いデータだが
グラフを作ってみる
約1,800年前頃 弥生後期から古墳期にかけて 列島内で戦乱の時代が続く
200年後 5世紀 AD400年代 古墳中期
高句麗は 倭の五王の時代の 広開土王時で人口105万人
倭の人口推定 725年で約450万人だから
AD400年 少なく見積もっても人口150万人位だろうか
列島内では 関東 東海 近畿 九州と 大きな首長群が乱立していた
古墳期は渡来民の時代
倭王家の元 武官や文官や 職能集団官奴婢になった者
あちこちで 地方豪族になった者もいた
縄文人と弥生人に大きな遺伝的差はない
現代人と古墳人と大きな遺伝的差はない
古墳時代 列島が統一され遺伝的差異は薄められてゆく
飛鳥奈良時代 約1400年頃前 現代日本人の原型がほぼ完成する
現代でも 関ヶ原を境に 東日本と西日本の文化は分かれている
東国と西国の統一はもう少しかかるだろう
縄文人・倭人と漢人の融合はまだ完全には完成していない
倭 大和 日本 日本書紀の和訓(倭訓)ではすべて「ヤマト」と読み下す
耶馬台も含め ヤマトと言う言葉には 特別な意味があるのだろうか?
現代 全ゲノムでは縄文由来は10%程になっている
それだけ混血が進んでいる証拠だ
アジアの沢山の遺伝子を取り込んでいる
Y遺伝子を追いかけると Y遺伝子なので 男だけが対象だが
大雑把に分けると
旧石器人系縄文人 YDNA-D1a2a関連が40%前後
細石器人系縄文人 YDNA-C1a1関連が10%前後
倭人系弥生人 YDNA-O1b2a1a1関連が30%前後
漢人系古墳人 YDNA-O2関連が20%前後
BC1,000年からの第3次新規現住民とBC100年頃からの第4次現住民
BC36,000年の第一次現住民と BC15,000年からの第二次現住民との比率は
半分半分 ま 妥当なところだろう
共存関係が存立している
列島は他の大陸と違って 来る人はいたが 出てゆく人は少なかった
ガラパゴスな国であるが 歴史的にはとても興味深い
中国や朝鮮は当然だが 大陸では 人は簡単に移動できるので
土地の歴史と 人の歴史が異なるのが普通
日本は 土地の歴史と人の歴史が同じであると言う世界史的にも珍しい歴史を歩んできた
入ってきても出ていかない人が多いので
これからも混血は進んで行くだろう
歴史は仮説の積み重ね 今の定説も 新発見によって覆る可能性は何時でもある
だから面白い
昔
江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説が流行った事がある
東大の東洋史の先生が言うんだから本当なんだろうと
正直 当時 自分も思っていた
今 読み直すと矛盾だらけで歴史学説と言うより
司馬遼太郎のノンフィクション小説に近い
歴史小説としてはとても面白いのだが
歴史に政治や思想や主観は不要 客観的事実 追試が可能な証拠だけが大事
最近 アイヌが原住民とか琉球がとかの意見がある
アメリカンネイティブと米国のアングロサクソンやゲルマンは先祖は同じではない
アボリジニとイギリス人であるオーストラリア人の先祖は同じではない
だが 日本人とアイヌ人や沖縄人は先祖が共通
現代日本人は 縄文原住民の末裔であるのは事実
ご先祖様が共通する同じ日本人なのに何故だろう?
歴史上 単なる理屈以上の感情的反発があるのは分かる
が
対立を敢えて煽っている人々もいる 困ったものだ
彼らの行動の損得を観察しよう
あまり 民族とか人種に拘らない方がいいと思うが
今日の集計
中国 香港 韓国 台湾が要注意だな