ミトコンドリアの遺伝子は交雑によって粗型が薄まる
全ゲノムも同じ傾向を持つ
沢山混ざるほど原型を失うのは当たり前であるが
交雑の影響を受けにくい
機能としては劣化し短く染色体としては不完全でありながら
Y染色体が粗型を保存しているのは不思議だ
交雑の影響を受けにくい
殷族M95の現在分布は
やはり南に追いやられたようだ
漢族 002611 チベット族と同族である
魏・晋・明のM268
国と言う言葉について この方の考えも興味深い
日本列島 38000年前 旧石器時代
刃の部分だけ研がれた磨製石器があった
先端部が三味線のバチ状の鏃があった
大きな落とし穴猟が行われていた
円形の集落で 木材加工が行われていた
16000年前頃 土器が生産されていた
漆の使用も9000年前からあった
ここまではほぼ検証されている
日本には万を超える旧石器遺跡がある
朝鮮半島には数えるほどしか無い 未発見な可能性もあるが
なんとも言えない
5000年前頃 ほぼ無人の朝鮮半島南部に
櫛目文土器や縄文土器が出現した
遼河文明集団や縄文人の拡散定着が始まった
現在はO型が優勢である朝鮮半島民の基層はこのN型やD型と推定される
無紋土器になるのはBC1500年頃
中国のO1b2倭人が金属や水田耕作を携えて北九州や朝鮮半島に移動してきた
亡民達は山東半島から渤海湾や黄海を横切り南韓や北九州に定着し始めた
その一部は半島を北上し満州地域に広がっていった
渤海湾北部には水田の遺跡が見つかっていない
当時の米は 北緯37度以北の高緯度地方で安定した栽培は困難だ
朝鮮半島には厳しい気候条件で定着しなかった品種もあったが
南中国の水田耕作は長江環境に近い九州に定着した
朝鮮半島南部と北九州は縄文族と倭族の混成領域圏となった
倭 ヤマト 加羅 新羅 任那の萌芽が始まった
「ら」とか 「な」とか 「ぬ」とか
漢字では「羅」とか「那」とか「奴」とか「野」などが特定集団の領域を示す
領域集団を表現する言葉
「新羅」などは文字通り新しい領域集団を意味する
関東の「毛野(けぬ)」 南九州の「狗奴」も領域集団だ
BC300年頃 歴史的には国ではないが
北九州と南朝鮮の部族連合集団 所謂 中国史書の言う倭国が出来た
基層言語がなんにせよ
母体言語が同じと仮定して
朝鮮語と日本語の分離はBC4000年からBC5000年頃である
この時代 朝鮮語と日本語の乖離が始まった
半島住民と列島住民の言語の別々の進化だ
無文土器時代と弥生時代は250年頃に同時に終わる
この崇神天皇から垂仁天皇の時代にかけて全国的に巨大古墳ができ始める
崇神天皇(みまきいりひこ)の時代 ヤマトは任那の経営権を倭国連合から得た
新羅を「しらき」と言うように「みまき」は「任城」任那の都城を言う
「はつくにしらすすめらみこと」
初めて南韓の経営権を倭連合から奪った
封建制であった列島の豪族集団を四道将軍で押さえた
それが 容易でなかったのは日本書紀にある
関東・東北・吉備を内政化した
ヤマトは有明海筑後平野を中心とする倭連合を併合し
倭は北九州の一地方政権になっていった
小規模な反乱は続いたが 倭国連合が完全に滅ぶのは磐井の乱の時 528年
列島内では 九州 近畿 関東 中部の遺跡の増大が顕著だ
列島各地方の推定人口の推移

遺跡数の推移

古墳時代の巨大古墳の地域分布

縄文人も倭人も漢人も 日本人のご先祖様達である
あらためて思う
古代の文身 多分このようなものであっただろう
尺八 だな
同族としての記憶 かな?
暑い日が続く
籠もり生活
歴史は時間をうっちゃるに一番
でも暑い