むかしはなし
作 G
-写真はありません-
郡山 後編
その前に
俺の学歴
中央大学 英文科
女子大生三分の二の教室から脱出を試み
憧れの法科への転部を目指すが
結果として
頭悪かったため
学園紛争で大学閉鎖
新宿でヒッピーしたため
リズム&ブルース踊りすぎたため
ダンモ喫茶に沈殿したため
以上の諸事上で卒業式はなく
卒業証書は郵便で送られてきた
努力はしたんよ
だが 敢え無く
挫折・・・
俺の職歴
22歳
初めて
勤め人になった場所は原宿キディランド
お世話になったのは 橋立社長
ある日「ひで・ロザ」が来店した
芸能人見るのは初めてだったが
小さくて 垢抜けして 美しかった
橋立 孝一郎 1920年(大正9年)8月5日 – 1988年(昭和63年))
キデイランド創業者
1946年 秩父市に「読書クラブ橋立書店」創業
1950年 表参道に橋立書店を出店
1966年 表参道に地上6階・地下2階建ての本店ビルを建設
同時期に全国に店舗を出店
しかし 急な拡大策によって経営が悪化
創業者の橋立は社長を退任
22歳から24歳まで
日産の東村山工場で期間工
志村けんの「東村山音頭」の東村山
結構稼げた
1年間遊べるだけの金
むかしはなし スタート
三春の山は 山のてっぺん 砕石場がある
会社の進駐軍払下げのジープ
リジッドスプリング ぶっといショック シンクロ無し
ま
乗り心地は ゴーカートと変わんない
歯 食いしばってないと うっかりすると 舌先噛む
冬は最悪だよ
幌なんて 暖房が無いも同然
山の 発破の音が遠くに聞こえるんだが
積雪 平均50cm
正確に言えば積雪10cmもあれば
吹き溜まりは120cm
で
ジープにくっつけてある 折りたたみスコップ
軍事用では塹壕堀専用 ちっこい
故に雪かきにはむいてない
単純作業が延々と
10分もあれば30分もある
スコップ一杯 ごく少量だから
労働の 厳しさ わかるな?
体が温まるのが唯一の取り柄だ
当時 ガードレールなんて洒落たもんはないし
景色が真っ白で
何処が 道か 崖か わかんない
落ちたら あの世行き
心配 すんな
俺は今も生きている
どうゆうわけか
俺にもわかんない
運命の神秘だ
でさ
俺 専務のお供で 高知に言ったんだ
ほれ この人
でっかい皿で おもてなし受けた
カツヲ 1っ匹分の たたき
後 周りに なんかわかない魚や貝の刺し身がどっさり
半匹分 俺一人で食った
報いは 恐ろしく 1時間後 トイレ直行
食いだめは やっぱし だめだな
専務と別れて長野へ営業出張旅行
出張は儲かるんよ
安宿に泊まって
宿の人に 領収書 倍から3倍に書いてもらったり
一等車の切符 経理から渡されて 三等車の乗ったり
結構 貯金できたよ
そのくらい いいだろ?
精算の時
経理の女の子
「Gさん これ ほんとに?」
「そうだよ 結構 大変だったな」
「ほんと???・・・・・?」
「・・・ あ 俺 急ぎの仕事あるから」
感の鋭い子だったな
当たり前だけど
経理はあのくらいでなくちゃな
仕事は
受注と 納めた商品の品質管理と プレゼンテーション
お得意さん 110軒くらいかな?
ある時さ
奮発して 豪華な宿に泊まったんだ
夜中 1時くらい? だったかな?
寒いから 大浴場にいったんだ
人っ子一人いない 貸切温泉 天国
がやがや って 女の声 複数
やべー 身構えた
芸者さん 3人 美人 無防備 すっぽんぽん
・・・・焦った!
俺 そんとき 24歳 元気溌剌
俺の息子さん 一瞬で 元気もりもり
風呂 10mくらいあるんだ
前 隠して 首だけ出して
亀さんみたいに 静かに 隅っこへ移動
時々 ちらっと 偵察
3人が 鏡に向かって髪を洗い始めた
しめた 脱衣場へ 猛ダッシュ!
部屋で 丹前着て 羽織ひっかけて
角帯 結ぶのが難しい
長野の地酒はうまい
俺の息子さんも しょんぼりして めでたし めでたし
長い出張ほど 儲かった
会社 半年で辞めたけど
貯金 一杯できたので
1年ほど ぷらっぷら遊んでた
いい会社だったなあ〜
ほんとに おわり
じゃあな