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父の終戦と満州ひきあげ記 10〈ソ連兵〉

2021-03-04 20:16:00 | 日記
スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。

5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を

私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。

ソ連兵の侵攻

開拓団本部を幾重にも取り巻いていた満人たちは、しばらくは騒いでいたが、そのうち居なくなり落ち着いてきた。

治安もよくなり、近くの空き家になっている民家に、わたしたちは移り住み 生活するようになった。

そんなある日、ソ連兵が侵攻してきた。

噂は聞いていて、若い男はみな連れて帰って働かされる。とか 女は暴行される。というので
女性はみな、丸坊主になり、男性の服を着て男性の格好をし、若い男性は隠れていた。

兵隊たちは噂どおりで
一軒一軒、探し歩いた。

たくさんの人たちが捕まって連れていかれたし
「用の済んだ女性をむごい殺しかたしてる。」
と 大人たちが話していた。


他のサイトより引用

うちにも来た。
家の中を探し回ったが、わたしとおじさんだけがいて、峰さんとおばさんは屋根裏に隠れていた。
何回もやって来た。

日本人から取り上げた腕時計は、両腕に何個も、肩のほうまではめていて、万年筆はポケットにいっぱい差していた。

珍しいものはどんどん掠奪していった。
とは言うものの、皆 着のみ着のまま逃げてきているので、ろくなものはなかったはず。

わたしたちも、空き家になった日本人の家へ生活道具を探しにいって、役に立ちそうなものは持って帰っていた。

ソ連兵は ところかまわず やたらと自動小銃を乱射していた。




父の終戦と満州ひきあげ記 9 〈青酸カリ〉

2021-03-03 20:23:00 | 日記
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5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を

私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。

青酸カリ

開拓団本部の診療所に取りにいった青酸カリを水に溶かして、市村の人だけが集まって次々に飲み始めた。

飲んだ人は口を押さえて表に走って出ていく。

母の隣にいた、高村のおばさんが便所に行ったので、次の番だった母がガラスのコップで飲み、弟の照男に飲ませた。

わたしはそれが何だかわからなかったので、白っぽくて砂糖水のように見え、早く飲みたくてしかたがなかった。

そのコップをわたしが受け取った時に
誰かが叫んで コップを取り上げた。
水の入った鍋もとりあげられた。



母は建物の様子がわからず、みんなが出た方角とは逆の裏へ 照男を抱いて出てしまった。

早く表に出た人たちは、苦しくて、みんなが出てくるのを待ちきれず、円陣をくんで、手榴弾を何発か投げ、自決した。

腕や足や肉片がそこらじゅうに飛び散っているのを、わたしはあとで見た。

裏へ出てしまった母は、随分狂って死んでいったそうで、
それ以上に照男はなかなか死ねず、相当の時間が かかったらしい。

”こんなちいさな子が生きのびてくれたらどうしよう “
と心の中で思った とあとでおばさんは言った。







父の終戦と満州ひきあげ記 8〈開拓団本部〉

2021-03-02 20:34:00 | 日記
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5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を

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父の満州の思い出を。



日本人じゃ

カラスが飛んでいった方向へとわたしたちが移動していると、明かりが見え始めた。

それは焚き火の明かりで、周りにはたくさんの人がいるようだった。

建物のようすから「開拓団本部だ」とおじさんが言い、
「満人かもしれない、偵察してくる」と地面を這うようにして出ていった。



帰ってきたおじさんは
「日本人がおるど!みな日本人じゃ!」と叫んだ。

そこには、よその村からも集まった日本人がたくさんいた。
市村の人もいた。
どこにもいなくて、心配していた峰さんも、そこで無事に再会することができ、みんな大喜びをした。
峰さんは槍で突かれて、頭と腿にひどい怪我をしていた。

避難した開拓団本部

開拓団本部では、 広い板間の一角にわたしたちはいて、身動きがとれないほどのひとだった。

すぐ次の日だったのか、数日経っていたのか覚えていないが、

どうせ日本へは帰れない
死ぬ以外にない と
市村の人たちが話し合った。

死のう、と決まり
誰かが開拓団本部の診療所へ青酸カリを取りに行った。





父の終戦と満州ひきあげ記 7〈また襲撃〉

2021-03-01 20:22:00 | 日記
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夜 ふたたび襲撃

しばらくすると
また、バケツや金だらいを打ち鳴らし、うわぁーと叫ぶ大勢の声がして満人が襲撃してきた。

馬はおどろいて 馬車にあきらさんを乗せたまま走り去り、わたしたちは必死でトウモロコシ畑を駆け抜け、湿地の中に逃げこんだ。



どのくらいたったのだろう、わたしは腹が減り、水が飲みたくてたまらなくなった。
それを母に言うと、足元にあった水を両手ですくって飲ませてくれた。
それは泥水だった。

こんな水でも飲めるんだなあ と思ったので、強く記憶に残っている。

そのうち、皆が死ぬ話をはじめた。
じゃあ薬を取りに帰ってくる とおじさんが戻っていった。

しかし おじさんは「薬はなかった。」と戻ってきた。
家の中の物は 何一つ残ってはいなかった。
土間やオンドルの下も 鉄の棒でトントン突いて、音の違うところは全部掘り返したらしく、
箸一本も残ってはいなかったそうだ。

わたしは、みんなが死のうと言っていたとき、死にたくないなぁと思っていたから、この話を聞いてホッとした。



カラスの案内

湿地の中で 死ぬことをあきらめたわたしたちは、移動をはじめたが、辺りは木や草が繁り、足元はべとべとの水溜まりで、真っ暗な中 どっちに行けばよいのかわからず 困り果てていた。

頭上で一羽のカラスが カァカァ鳴いて ぐるぐるまわり始め、しばらくして飛んでいった。

大人たちは「 カラスが案内してくれている。あっちへ行ってみよう。」と言い
カラスが飛んだ方角へ歩きだした。

どのくらい歩いたか
何時間歩いたかわからないが
遠くで 人の声が聞こえ始めた。

満男が乳を欲しがって泣きやまないし、
この声が満人に聞こえたらまた襲われる との心配から母は意を決し、わたしたちから離れ、自分の腰ひもを使って満男の首を絞めて殺し、その場に置いてきた。

照男は母の静かにしなさい と言うのを守って、ずっと静かにしていた。







父の終戦と満州ひきあげ記 6〈襲撃〉

2021-02-28 19:43:00 | 日記
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満人の襲撃

坂本のおじさんが武器を本部におさめて 帰ってきて、馬を杭につなぎ終えるか終えないかくらいの時に

金だらいやバケツをガンガン鳴らしながら、何百人という大勢の満人が 口々にダース、ダースと叫びながら村になだれ込んできた。



外にいた家族は みんな 家の中に逃げ込み戸を閉めたが、
鍬を改良した槍で開口部を突き壊されてとうとう家の中に入ってきた。





最初は家の中でバラバラになっていたわたしたちは、だんだん追い詰められて一番奥の部屋にひとかたまりになっていた。

どうしようもなくて、ついに満人の中をかき分けかき分け、必死で出口に向かって逃げた。



外に出るまでに、みんなは相当 叩かれたり槍で突かれたりしたらしい。

わたしは小さかったのが幸いしたのか、子供だから手心を加えてくれたのか、何ヵ所かをやられただけで、外に出ることができた。

逃げこんだ満人の家で 見つかったが
わたしが必死に「しぇーしぇー」と繰り返す姿を見てか、見逃してくれた。



どのくらいたっただろうか。


騒がしかった音や声が静かになったのでおそるおそる外に出てみると暴徒がいなくなっている。

家へ戻ったら、みんな血まみれになっていた。



わたしの無事な姿を見て、母やまわりのみんながとても喜んでくれた。

あたりは既に薄暗くなっていた。
壊れた家で休んだり、傷の手当てをしている人。
瀕死の状態になった人。

動かないあきらさんを馬車に乗せていたおじさんは、襲撃の際に便所に入っていて 出たところを満人につかまり、羽交い締めにされて棒でなぐられたので服が脱げなくなるほど体中が腫れていた。


瀕死のあきらさんは、家の中に入ることができず、ひとりだけ乾燥場へ逃げて滅多打ちにされたので 、
乾燥場の随分高いところまで血が飛び散っていた。

満男も照男も無事だった。
母が必死に守ったのだろう。
母は頭が血だらけで、髪がぐちゃぐちゃになり、固いはずの頭がずやっとした。



今から思えば、のちに青酸カリを飲んでいなくても、あの状態では生きて日本に帰ることはできなかっただろう。