![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/25/7b5b5b69a255e4bd508783d44ff5f564.jpg)
スマホでブログを投稿できる、そして誰かに読んでもらえる。
父の残した満州からの引き揚げの記録も
どこかで誰かに読んでもらえたら嬉しいです。
日本人じゃ
カラスが飛んでいった方向へとわたしたちが移動していると、明かりが見え始めた。
それは焚き火の明かりで、周りにはたくさんの人がいるようだった。
建物のようすから「開拓団本部だ」とおじさんが言い、
「満人かもしれない、偵察してくる」と地面を這うようにして出ていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/75/771f5b5d05fe62e98801b038ad863509.jpg?1614649821)
帰ってきたおじさんは
「日本人がおるど!みな日本人じゃ!」と叫んだ。
そこには、よその村からも集まった日本人がたくさんいた。
市村の人もいた。
どこにもいなくて、心配していた峰さんも、そこで無事に再会することができ、みんな大喜びをした。
峰さんは槍で突かれて、頭と腿にひどい怪我をしていた。
避難した開拓団本部
開拓団本部では、 広い板間の一角にわたしたちはいて、身動きがとれないほどの人の多さだった。
すぐ次の日だったか その翌日か
どうせ日本へは帰れない死ぬ以外にない と市村の人たちで話し合った。
死のう、と決まり
誰かが開拓団本部の診療所へ青酸カリを取りに行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/39/d61c187d2151865d7339b9d1ca2ff45a.jpg?1614077658)
青酸カリ
開拓団本部の診療所に取りにいった青酸カリを水に溶かして、市村の人だけが集まって次々に飲み始めた。
飲んだ人は口を押さえて表に走って出ていく。
母の隣にいた、高村のおばさんが便所に行ったので、次の番だった母がガラスのコップで飲み、弟の照男に飲ませた。
わたしはそれが何だかわからなかったので、白っぽくて砂糖水のように見え、早く飲みたくてしかたがなかった。
そのコップをわたしが受け取った瞬間に誰かが叫んで コップを取り上げた。
水の入った鍋もとりあげられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/15/a9e0252b58f66ea682d9bf480ea94245.jpg?1614077607)
母は建物の様子がわからず、みんなが出た方角とは逆の裏へ 照男を抱いて出てしまった。
早く表に出た人たちは、苦しくて、みんなが出てくるのを待ちきれず、円陣をくんで、手榴弾を何発か投げ、自決した。
腕や足や肉片がそこらじゅうに飛び散っているのを、わたしはあとで見た。
裏へ出てしまった母は、随分狂って死んでいったそうで、
それ以上に照男はなかなか死ねず、相当の時間が かかったらしい。
”こんなちいさな子が生きのびてくれたらどうしよう “
と心の中で思った とあとでおばさんは言った。