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僕のお家の僕が生まれる前のお話 祖先の思い出

2023-11-20 07:19:14 | 日記
僕のお家の僕の生まれる前のお話

僕の父は養祖父のお家に養子に入ったのは僕の育ったお家の祖父の子供が、太平洋戦争で全員戦死したからだ!

で、父がそのお家に養子に来たのだ。
実は、義理のお爺さんは、僕の本家筋からいくつか分家して家を建てて頂いたその四つ目の分家であった。

過去帳には僕の育ったお家は第4新宅だと記録が残っていた。

僕の本当の祖父は実は本家の祖父であったが、祖父は朝から晩マでお茶を飲み碁会所のように大勢の碁が好きなお方が集まってくるお家だった。碁打ちだけではない。
実に、大昔には有名なお人も訪問したらしい。
松下電器の創業者である幸之助氏は最初リアカーを引いて行商をしていた。結構な距離が幸之助氏の生まれた地からあるが、本家にもリアカーで行商に来ていたらしい。実の祖父に聞いた話である。起業家は皆様苦労されて大きくなっておられるようである。
その本家のお家では、
タバコも売っていた面影が僕が小学生の頃まで残っていた。
実は僕の祖父が家業をせずに
事業をつぶしてしまったのである。

父の口癖が

『働かないとお金を無くス』

ということであった。
その意味は祖父の遊んで暮らして事業をつぶしてしまったことから来ているのである。


僕にはお爺さんが子供時代から三人いたのである。お婆ちゃんも三人いた。

義理のお爺さんの嫁(義理の祖母)は実はお医者さんの嫁であったが、戦争で夫は死に、そのお家の全てを失い、文なしになり一人ぼっちになって義理の祖父の嫁となったのだった。祖母も元は本家筋の遠い親戚の祖母であった。で、義理の祖父の3番目の嫁となった。義理の祖父は3度目の嫁として祖母をもらったのだった。

不思議なことだが、義理の祖父は以前の嫁も自分の持ち家に住ませてあげていた。もう一人の昔の嫁は病死したらしい。

さて
実の祖父のお話に戻ると、実は、義理の祖父のお家を新宅として作ったお人が僕のお家の伝説のお人なのだ。

『為吉』じいさんの噂である。

実は僕の祖先は船乗りで貿易をしていた。
(平家の末裔と言われる所以である)
また
僕の倉庫ヤードの一つの入り口付近の山頂の岩が、弁慶の足跡という名称がついていた。
今は造成工事でなくなってしまったが、大岩がそこにあった。


その荷を市内に運ぶのに実は僕の地元では線路の引き込み線が沢山あったことが僕が幼稚園時代の頃までの記憶としてある。

荷揚げした荷を市内まで鉄道輸送していたのである。

『為吉』
じいさんは、39才似て癌で早死にした。
本家の伝説の人物である。
一気に商売を拡大したらしい。
貿易で財産を拡大させた。

僕の育ったお家を分家として建てたのも
『為吉』じいさんである。

父の養子に来たお家だ。
だから、僕には生まれたときから

祖父が三人
祖母も三人
いたのである。

で後に、僕も養子に行くことになった。

僕の家系は養子に行く家計のようである。

しかし


僕が、事業を本格化させたのは、

ある会社にて
データ捏造発見
軍需産業関係からのあしぬけと
データ捏造財閥支配の社内いじめにて
一服盛られて病院送りにされた!
その後、
養子先を追い出されて、
人生の底辺をさまよい、

日雇い労働者からスタート
再起して
何とかお金を稼げるようになって

今の嫁と出会い

僕の実の父親が亡くなって

本格的に起業した

これが僕の事業のスタートである。

そういう流れがある。
僕は人生の底辺を長くさまよった。
だから、
その時代の経験が生きている。

今の時代も楽に事業計画を遂行出来る。

昔の僕の思い出や
祖先の平家一門の想いが僕の原動力になっている。

僕は人生の底辺をさまよった人間だ。
だから
世の中が分かった。
人間が何であるかも分かった。

何故自分が存在しているかも分かった。

故に
仕事にも迷いなど無い!

進んで行くのみである。

さて、

ぼちぼち仕事をするか!




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