日本中?がハロウィンで沸き立っている中、一ヶ月間わが家に来られていた
“阿弥陀物如来像”(木像)
が、今日は次のお宅へ・・・夕方 移動。
今月はウチの当番でした。
私がお嫁入りする前からずーっと続いている風習。
小部落で、一ヶ月ずつ交代でお祀りしている。
月末の31日か30日に次のお宅へ引き継ぐ事になっている…
お一日(おついたち)から祀れるように
お供え物をして、お線香とお茶を毎朝替える。本当は生花も祀った方がいいんじゃないかな?とは思っているけど、
わが家では、お姑さんのやり方をずっと真似しています。なにせ、場所が狭いので・・・(いま言い訳した)・・。
私がお嫁入り後に知る限り、そのフォルムはずーっと変わってないけど細々とした点に変化が・・・。
厨子に収まったお阿弥陀さん(この辺りの人は“お阿弥陀さん”と呼ぶ)と一緒に
お線香立て(灰入り)と湯呑み茶碗が付いてくる…まぁセットになっている
(余談)因みに“厨子”とは仏像を入れる箱で扉が付いているのが普通らしい。
のだが、その湯呑み茶碗は何度も替わっている:誰かが割ってしまった時に替わるんだと思う。
あと木像なので虫食いの箇所が少しずつ増えて色褪せてきた気がする。
それはそれで、味が出て余計に厳かな気持ちが芽生えるのですが。
ウチの集落(小分けした)、私が引っ越して来てから30年余り経つが、その頃で
11軒ほど?今では8軒になるんかな?
多分。
もしかして“お阿弥陀さん”って
50年選手?もっとかも・・・・・。
阿弥陀如来様とは…何ぞや・誰ぞや・・・
ググりました。要約すると
[阿弥陀如来;時間や空間を超越したすべてのものを救う仏さま]
で、とても有り難い仏様でした。
ただ、昔と家風が変わって来ているから存続が危ぶまれる。
昔は(こんな田舎では)独居老人とか核家族とかは、そんなになかったと思う。
お爺ちゃん、お婆ちゃんの年頃になると家を守る感が強くて&人生の最期の時も段々と近付いて来ているから
“お阿弥陀さん”をお祀りする適任者だと思うけど、
これが共働きとか働き盛りの人となると、
負担になってしまうんじゃないか?
と危惧してしまう。
危惧とか言っちゃってるけど
本当は、『神仏を祀る』という事は、
もっと厳かな、敬虔な気持ちじゃないと出来ないよね~。
とりあえず、現在住んでる住民の中では私と夫は、まだ若手。
人生の半分以上は過ぎてきて、
“お阿弥陀さん”を身近に感じて来ている昨今。
次にお会い出来る時は、一年未満。
それまで精進いたしますデス、ハイ。
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