30代で日本代表コーチを経験したオイラは、その当時ずいぶんと自惚れていたなぁと今更ながらに反省する。
一番最初にJAPANのユニフォームに袖を通したのは1995年の第1回トリ・シリーズ(※TRI-SERIES=日本・豪州・ニュージーランドの3カ国の選手が3箇所の大会会場を転戦するシリーズ。第1回大会はオーストラリアで開催され、キャンベラ、シドニー、メルボルンの3箇所でレースが行われた)。
今からかれこれ四半世紀以上前の事になる。その4年前、1991年に◯トマンスイミングスクール選抜の豪州遠征代表コーチには選ばれていたが、日水連のジュニア代表はそれが初だった。
その時の選手は皆、今では四十路を超え家庭を持ち…中には某大学の教授になり水泳部の監督をして、オイラの教え子に指導をしてくれている😁
(1995年トリシリーズにて=AISの食堂でA・ポポフ氏と)
1997年。
3月のニュージーランド遠征を皮切りに、5月に東アジア大会(韓国・釜山)、6月にはアメリカ遠征(サンタクララ国際大会、Jエバンス招待)の代表コーチになり、会社に出社するよりも遠征に行ってる日の方が多かった。
「後悔先に立たず」とは良く言ったもので、その頃のオイラの「自惚れ」が、後に取り返しのつかない大失敗(=人生の転機)に繋がっていった。
つづく(笑)